梅の節句の3月3日に、梅にちなんだ名前の日本料理店が新潟駅南口に開店しました。その名も「藤五郎(とうごろう)」。そう、江南区名産の「藤五郎梅」と同じ名前なんです。これはどういうつながりなのでしょうか。「藤五郎」店主の八木さんと板長の眞下さんにお話を聞いてきました。
藤五郎
八木 真 Makoto Yagi
1971年新潟市江南区生まれ。大阪にある辻調理師専門学校を卒業後、石川県のホテルや東京の日本料理店で修行を積む。結婚を機に新潟に戻り、寿司店や日本料理店に勤務。2021年3月に「藤五郎」を開店。趣味は釣りや山菜採りなどアウトドア。
藤五郎
眞下 貴裕 Takahiro Masimo
1992年群馬県生まれ。地元の割烹で3年修行した後、新潟の日本料理店に勤め八木さんの下で修行する。その後も複数の飲食店で働き、2021年3月に八木さんが開店した「藤五郎」で板長を任される。八木さんの影響で今年釣りデビュー。
——こちらのお店は先月開店したばかりですよね。「藤五郎」っていう店名にはどんな由来があるんですか?
八木さん:俺は新潟市江南区の出身で、名産品「藤五郎梅」を生んだ宇野藤五郎の子孫なんですよ。実家は農家で梅を作っているんです。それで、自分にとって馴染み深い「藤五郎」の名前を店名にしました。
——へ〜、そうだったんですね! 日本料理の道に進んだのは、特別な理由があったんですか?
八木さん:実は日本料理をやるつもりはまったくなかったんですよ。俺の中で日本料理っていうのは自分ん家の母ちゃんが作る料理で、わざわざ店で食べるもんじゃないって思ってたし、古臭くて封建的なイメージがあったんですよね。だから最初はイタリア料理をやろうと思っていたんです。
——え、イタリア料理?
八木さん:その頃はまだイタメシブームが来る前だったから、日本にイタリア料理が普及してなかったんですよ。誰もやってないことだったら、がんばればいいところまで行けるんじゃないかって思ったんです。それで知り合いの料理屋さんに勧められて、大阪にある「辻調理師専門学校」でイタリア料理と製菓を勉強しました。
——イタリア料理だけじゃなくて製菓まで(笑)
八木さん:洋食をやるんだったらデザートは欠かせないと思ったから、セットで勉強したんですよ。でもじつは俺、甘いの苦手なんだよね(笑)。試食しなきゃダメだから、きつかったですね。
——(笑)。でも、どうしてイタリア料理から日本料理に方向転換したんですか?
八木さん:亀田で割烹をやっている人と話したときに「いつか亀田でイタリアンレストランをやりたい」って話したら「亀田でイタリア料理なんてやっても月1回食べに来てくれればいい方だ。でも和食だったら毎日食べに来るぞ」って言われて、その気になっちゃったんだよね。それで石川県にある観光ホテルで働いたのが日本料理のスタートでしたね。そこでは料理の技術や知識だけじゃなくて、座布団の向きとか、行儀作法から茶道や華道まで勉強しました。「人をもてなす心」を教えられましたね。
——そのホテルの後はどんなところで修行したんですか?
八木さん:石川県内もあちこち回ったし、東京にも行ったし、いろんな所に行きましたよ。東京の店にいたときは板前が15人もいたから、なかなか自分に仕事が回ってこないんですよ。みんな仕事をもらおうと思って必死だったので、熾烈な競争でしたね。そんなところで鍛えられて、25歳で結婚したのを機に新潟に戻ってきたんです。新潟では寿司屋に勤めて、寿司の握り方を覚えました。
——新潟に戻ってからは、ずっとそのお寿司屋さんで働いていたんですか?
八木さん:いや〜、誘われるままにいろいろな所で働いたね。あんまりあり過ぎて書ききれないと思うよ。東日本大震災が起こった頃は2ヶ月間、新潟と被災地を往復して物資を届けたりしていたし、実家で梅の仕事を手伝っていたこともありましたね。あるときこの物件の話がまわってきたので、前からやってみようと思っていた日本料理店を開店することにしたんです。
——続いて眞下さんにお聞きします。どんないきさつで、親方である八木さんの弟子になったんですか?
眞下さん:私は19歳から3年間、群馬県の割烹で働いていたんです。その頃の兄弟子から紹介してもらって、新潟の親方の下で修行させてもらうことになりました。それ以来、親方について4ヶ所の店で働きましたね。
——八木さんには今までどんなことを教わりましたか?
眞下さん:群馬の割烹では「作業」としての料理しか教わってなかったんです。でも親方には「料理人の心」を教えてもらいました。「一期一会」を大切にして人をおもてなしする心とか、お客様に対しての心配りや目配りとか、料理を作るだけじゃなくて人間として大事なことを学びました。今では仕事のときだけじゃなくて、日常生活でもしっかり自分を見つめるようにしています。
——なるほど。技術だけじゃなくて、料理人としての姿勢も教えてもらったわけですね。眞下さんは料理をするとき、どんなことに気をつけているんですか?
眞下さん:人の口に入るものを作っていますので、毎日市場に行ってしっかりと目利きして食材を選んでいます。食材は鮮度よく保つようにして、しっかり丁寧に下仕事をしていますね。お金をもらって人が食べるものを作っているという意識を忘れないようにしています。
——眞下さんから見た八木さんって、どんな親方ですか?
眞下さん:自分が今まで出会ったことがない「本物」を教えてくれる人ですね。口でいいことを言うのは簡単ですけど、「本物」を教えてくれる人はなかなかいないと思うんです。毎日親方から教えてもらうことで、心に響くことは多いですね。
——じゃあ、八木さんから見て、眞下さんはどんな弟子ですか?
八木さん:まだまだですよ。でも、今の時代にはなかなかいない根性のある子です。もっといろいろなことに挑戦して成長してほしいし、これからもついてきてほしいですね。もちろん、俺も死ぬまで追い抜かれるわけにいかないけどね。これから、ふたりで「藤五郎」をやっていって、いずれは店の表に立ってほしいと思っています。
——おふたりは、これからどんなふうにお店をやっていきたいですか?
眞下さん:自分自身のことになってしまいますが、もっと余裕を持てるようになりたいです。料理の幅も広げていきたいし、スピードを上げて温かい料理は温かいうちに、冷たい料理は冷たいうちに、お客様にお出しできるよう心がけていきたいですね。
八木さん:意識を持って努力を続ければ、芸術的な料理だって作れるようになるんですよ。でも、それより大事なのは当たり前の仕事をしっかりやることだと思っています。料理っていうのは「一期一会」の究極の形だと思うんですよ。ひとりひとりのお客様に寄り添って相手のことを考えながら料理を作るというか、自分が作りたいものじゃなくて、お客様の食べたいものを食べてもらうっていう気持ちで作っていきたいです。とはいえ、言うのは簡単だけどやるのは大変なんですよね。まあ、死ぬまで勉強ですね。
料理は技術や知識以上に「一期一会」の気持ちで作ることが大切と語る八木さんと、八木さんからおもてなしの心を学んだという眞下さん。おふたりが作る心のこもった料理を食べに「藤五郎」に立ち寄ってみてください。きっと素晴らしいひとときを過ごせると思いますよ。
藤五郎
新潟県新潟市中央区米山2-1-3
050-8881-0730
11:30-14:30/17:00-22:30
不定休