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コミュニティスペースとして復活した旧映画館「月潟劇場」。

月潟に古い映画館があることを知っている人は、はたしてどのくらいいるでしょうか。「水と土の芸術祭2018」で公開された映画館「月潟劇場(つきがたげきじょう)」。それがどんな建物で、どんなふうに復活したのか、管理運営をしている「月面構想(げつめんこうそう)」の水野さんからお話を聞いてきました。

 

 

月面構想

水野 祐介 Yuusuke Mizuno

1984年新潟市南区(旧白根市)生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。東京の広告制作会社や遊園地で働いた後、新潟に戻って2017年より期間社員として「水と土の芸術祭2018」に関わる。その際に出会ったアーティストグループ「OBI(オビ)」に所属。現在は「月面構想」という名で映像制作の仕事をする傍ら、「月潟劇場」の管理運営を行っている。漫画や映画、ドラマが好きでNHKの朝ドラ「あまちゃん」が大のお気に入り。

 

月潟の町に残された、知られざる映画館

——外観を見て想像していたよりも、とっても広いんですね。こちらは元々どんな建物だったんですか?

水野さん:ここは芝居小屋や映画館として使われていた建物なんです。1958年頃に映画館として開館しましたが、各家庭でテレビが普及して映画人気が衰退したことで、1962年頃に閉館して、その後は長い間物置として使われてきました。学校として使われていたこともあったようです。

 

——ここが映画館だったんですか……。

水野さん:ただ短期間の営業だったので、月潟に住んでいても知らない人が多いんです。2階にある映写室には映写機がまだ残されていますし、フィルム缶や宣材スチール写真、ベンチなんかも残されていました。

 

 

——なかなか貴重な史料ですね。見所があったら教えてください。

水野さん:そうですねぇ……。真正面に下がっている立派な緞帳でしょうか。この建物を建てた青柳良太郎(あおやぎりょうたろう)さんが、月潟の料亭をまとめる組合長をやっていたことから贈られたものみたいですね。刺繍されている2匹の獅子は、月潟に伝わる伝統芸能「角兵衛獅子(かくべいじし)」を意味しているようです。

 

——青柳良太郎さんという方はどんな人物なんでしょう?

水野さん:月潟村長や料理屋組合長といった様々な要職につかれ、「リトル田中角栄」とも呼ばれていたらしいです。明治末期から姿を消していた伝統芸能「角兵衛獅子」を復活させたり、月潟の文化復興にも多大な貢献をされました。亡くなられた後にその功績が認められて「従六位勲四等瑞宝章」を受章したり、胸像が造られたりしています。

 

——「リトル田中角栄」という呼び名からも、かなりの人物だったことがうかがえますね。その青柳さんが築いた「月潟劇場」を復活させたのは、どういう経緯からなんですか?

水野さん:新潟市が中心になって開催していた「水と土の芸術祭2018」の市民プロジェクトで、アーティストグループ「OBI(オビ)」が展示作品として「月潟劇場」を開放したんです。現在のオーナーは横浜に住んでいるので、手紙でやり取りをして使用許可をいただく交渉をしたそうです。僕はその当時「水と土の芸術祭2018」の事務局スタッフとしてこのプロジェクトをサポートしていました。

 

夢を諦めて帰ってきた故郷で、「月潟劇場」と出会う。

——水野さんは現在、どんなお仕事をされているんですか?

水野さん:映像制作、構成台本作成、イベントの企画運営を行っています。南区のPR映像とか保育園の運動会映像を作ったり、「月面構想」という団体として「月潟劇場」を利用したイベント「つきのまちシアター」の企画運営をしています。

 

——ずっと映像関係のお仕事をされていたんでしょうか?

水野さん:高校を出てからは大阪芸術大学の映像学科でシナリオの勉強をしていたんです。卒業後は東京の広告制作会社にコピーライターとして就職したんですが、2年勤めてやっと一人前になりかけたときに会社が倒産してしまったんですよ。その会社は仕事がハードでプライベートの時間がまったくなかったので、台本の勉強や投稿ができなかったんです。

 

——なるほど。それで、次はどんな仕事を?

水野さん:自分の時間が取れる仕事をしようと思って「としまえん」っていう遊園地のスタッフとして働きはじめました。とても居心地のよい職場だったのでずっと働いていたかったんですが、大学の同級生たちが映像業界で活躍しはじめる姿に焦りを感じるようにもなりました。その頃に恋愛して、相手の女性と釣り合う男になりたいという気持ちもあって、自分を見直すことにしたんです。

 

 

——いろんな思いが交錯したわけですね。

水野さん:そうなんです。そこで映像制作会社に入社して、一から夢を追いかけ直すことにしました。ただ、仕事がハードで次第に生活も荒れはじめたので、夢を諦めて地元の新潟に帰ってきたんです。そんなときに出会って、人生を変えてくれたのが「水と土の芸術祭」でした。

 

——どんな出会いだったんでしょうか。

水野さん:知り合いから勧められて、準備から終了までの期間社員として事務局スタッフをはじめたんです。主に県外アーティストや市民団体のサポートを担当したんですけど、個性豊かな市民の方々がむちゃくちゃ元気に活動する姿に刺激を受けました。そのなかで出会ったのが、アーティストグループ「OBI」と「月潟劇場」だったんですよ。事務局員のときはそれほど深く関わっていなかったんですけど、その後誘われて「OBI」に所属することになりました。

 

——参加しようと思ったのは、どうしてだったんですか?

水野さん:今までやってきた映像の仕事と近いことができるんじゃないかと思ったのと、「月潟劇場」という元映画館の建物と関われることに縁を感じました。新しいものを作り出すことも大切ですけど、元々あるものを生かして魅力的に見せていくというコンセプトにも共感できたんです。

 

地元の人たちと一緒に、月潟の町を盛り上げたい。

——現在「月潟劇場」はイベントがあるときに開放しているんですよね。

水野さん:「つきのまちシアター」として映画上映会やワークショップを行っています。月潟の人たちにとってのコミュニティスペースになってくれたらいいなと思っています。

 

——「月潟劇場」を運営する上で大変なことってありますか?

水野さん:古い建物ですので、夏は暑くて冬は寒いことですね。昨年の12月にイベントを開催したときは、あまりの寒さで死にそうになりました(笑)

 

 

——かなり過酷な環境なんですね(笑)。では、やってよかったと思うことは?

水野さん:当時を知っている年配の方々が懐かしそうに何時間も思い出を語っていったり、初めて来た方が感動しながら長時間見学している姿を見ると、やっていてよかったと思いますね。

 

——訪れた人たちが、建物からいろんなことを感じてくれているということですよね。今後はどんなふうに活動していきたいですか?

水野さん:月潟全体がファンタジーを感じさせる町だと思っているので、現実からトリップしてしまうようなイベントをやってみたいです。月潟在住の劇団主宰者や昔の電車の保存会の方々とコラボしたり、地元の人たちと一緒になって月潟の町を盛り上げていけたらいいですね。

 

 

 

月潟劇場

新潟市南区月潟1566

080-5453-8499(月面構想)

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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