あの灯りを、もう一度。
「鯛車復活プロジェクト」の野口さん

カルチャー

2026.01.25

text by Etsuko Saito

旧巻町の伝統的なおもちゃ「鯛車」。一度は途絶えかけた鯛車文化を再び甦らせようと動き出したのが、「鯛車復活プロジェクト」の代表・野口さんと、かつて町役場の職員だった土田さんです。プロジェクト発足のきっかけや現在までの活動について、野口さんに聞いてきました。

Interview

野口 基幸

Motoyuki Noguchi(鯛車復活プロジェクト)

1981年新潟市(旧巻町)生まれ。長岡造形大学卒業後、デザイン系の会社に就職。2004年に「鯛車復活プロジェクト」を発足。2006年にモスバーガー主催「ワクワクタウン大作戦」で大賞を受賞、2011年には「ティファニー財団賞」受賞。2006年から「株式会社博進堂」に勤務し、企画やデザイン業務に携わっている。

一枚のポスターが、
町に鯛車を呼び寄せる?!

――まずは、「鯛車復活プロジェクト」のはじまりについて教えてください。

野口さん:大学の卒業制作に、地元の鯛車を製作したんです。「鯛車を1台作って終わり」とするはずだったんですけど、掲示したポスターに「巻のお祭りに鯛車復活」というフレーズを加えていて(笑)。「宣言通り、鯛車を復活させないとだね」という周囲の声に押されて、その年のお祭りにもう10台製作しました。

 

――鯛車の作り方をご存知だったんですか?

野口さん:その頃、鯛車を作れる職人さんはひとりもいなかったので、自分で調べるしかありませんでした。実家の鯛車を分解して、図面を引き、地元の人にも話を聞いて完成したのが、最初の1台です。お祭り当日、苦労して作った鯛車を子どもたちが引いている姿を見て、「この活動をもう少し続けたい」と思ったんですよね。この頃に出会った、当時の町の広報担当の土田さんとふたりで、2004年に「鯛車復活プロジェクト」を立ち上げました。

 

――野口さんが子どもの頃にはもう鯛車文化は途絶えてしまっていたんですか?

野口さん:30年ほど前までは、長谷川さんという職人さんがひとりで鯛車を製作していたんです。でも亡くなられてからは作り手さんがいらっしゃらなくて。僕が小学校の頃は、まだ鯛車文化は残っていました。小学校2年生のとき、長谷川さんが作った大きな鯛車を引いて祭りに参加したときのことをよく覚えています。その日の絵日記は、今も大切に残しているんですよ。

 

――思い出深い一日だったことがよくわかります。ところで、「鯛車復活プロジェクト」の具体的な活動というのは?

野口さん:2005年から定期的に鯛車作りの教室を開催しています。これまで20年間で、約1,500台の鯛車が完成しました。職人さんがいなくなり鯛車の文化は失われてしまったわけですが、僕は「それはちょっとおかしいぞ」と思ったんです。「作り手を増やせば、町から鯛車が途絶えることなくなるのでは」と、教室をはじめることにしました。子どもから大人まで、誰でも鯛車を作ることができるんですけど、けっこう時間がかかるんですよ。通常は3時間を8コマ、合計24時間。大工さんが組んでくれた土台に、竹で骨組みをして、和紙を貼り、最後に色を塗って完成です。

 

土台→骨組み→和紙貼り→色塗り→完成。

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モノではなく、
鯛車のある「風景」を残す。

――活動拠点「鯛の蔵」には、数々の鯛車が展示されています。

野口さん:教室の先生方が作った鯛車に、村上、三条、県外の鯛車もあります。鯛車は巻以外の地域にも、全国的に根付いていたものだったようですね。

 

――ほぉ~。そうなんですか。微妙に柄や形が違って、興味深いです。

野口さん:いろいろ調べてるうちに、鯛車は祭りのためのものではなく、お盆に引くものだとわかりました。僕たちがこのプロジェクトで目指したのは、鯛車そのものの復活ではなく、「鯛車のある風景の復活」です。なので毎年8月13日には、鯛車の貸し出しを行なっています。会場には、展示用100台、貸し出し用100台、あわせて200台の鯛車がずらりと並び、貸し出しを希望する方の行列ができるんですよ。

 

――有名な賞を受賞したり、ブランドとコラボをしたりもされていますよね。

野口さん:2006年にモスバーガー主催の「ワクワクタウン大作戦」で大賞を受賞しました。2012年からはアパレルブランド「BEAMS」で、鯛車の販売を行なっています。その後2011年には、日本の伝統文化の振興と地域社会の活性化に貢献したとして「ティファニー財団賞伝統文化振興賞」を受賞しました。「ティファニー賞」がきっかけで、新潟市が姉妹都市として交流を続けているアメリカのガルベストンを毎年訪れ、鯛車の教室を開催するなどしています。

 

――大学時代に鯛車を作ったことがきっかけで、20年間活動を続けていらっしゃいます。根底には、どんな思いがあるんでしょう?

野口さん:昔は自分の町があまり好きじゃなかったんですよね。大学を卒業したら、都会でデザイナーになりたいと思っていたくらいです。でも卒業制作に鯛車を作るとなって、地域の皆さんのお話を直接聞いたとき、やっと町の魅力に気づけました。山も海もあって、親切な人ばかり。これこそ財産だよな、と思えて。活動を続けてこられたことは、教室で出会ったみなさんのおかげです。自分ひとりでは、絶対に無理でした。

 

――教室の存在が大きいんですね。

野口さん:教室を開いてみて、鯛車は町の中ではそれほど注目される存在ではないんだな、ということもわかりました。「地元で活動するだけではかなりの時間がかかるかも」と、県外での活動もはじめたんです。鯛車が他の地域で知名度が上がったら、巻でも一目置かれるんじゃないかと思って。

 

――見事な作戦です。野口さんの策略家としての一面がわかった気がしました。

野口さん:いや、どちらかというと流れに身を任せるタイプですよ(笑)。いろんな偶然というかラッキーもあったんですよ。初めての鯛車教室に参加してくれた人が、「表参道・新潟館ネスパス」の館長さんだったご縁で、ネスパスを会場に教室を開催することができたり、今度はネスパスでの教室に参加した人が長野県でまちづくりをしている人で「善光寺でもどうですか」という話になったりして。それで活動範囲が広がっていったんです。新潟市の姉妹都市、ガルベストンでの交流事業に参加させてもらっているのも、鯛車教室の先生のお子さんが国際交流のお仕事をされていたつながりで、というわけなんです。

 

「鯛の蔵」2階の展示スペースに並べられている見事な鯛車。

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5,000台の灯りを目指して。
次世代も準備万端。

――巻の商店街を通ってここまで来たんですけど、道中で「鯛車」という言葉をたびたび見かけました。

野口さん:活動当初から目標にしているのは、鯛車の灯りで町を真っ赤に染めること。世帯数がだいたい5,000ほどなので、一家に一台として鯛車を5,000台製作することを目指しています。今は1,500台なので、目標達成まではまだまだです。僕が生きている間には無理かもしれないとも思うんですけど、嬉しいことに「鯛車復活プロジェクト」には、後継者もいるんですよ。

 

――なんて頼もしいんでしょう。

野口さん:ずっと前に小学校で開いた鯛車作り教室に参加していた生徒さんが、最近地元に戻ってきて。僕みたいに卒業論文のテーマに鯛車を選んで、いろいろ調べたんだそうです。今は「鯛車復活プロジェクト」の副代表に就いています。僕の場合、小さい頃に鯛車を引いた思い出が、今のプロジェクトにつながっています。その分、小学生に向けた活動には特に気合が入るんですよね。もしかしたら「20年後にこの町を支えているかもしれない」という期待を込めて活動を続ければ、自分がいなくても「5,000台」の目標は叶えられるだろう、と思っています。

 

町唯一の職人長谷川さんが製作した鯛車も展示されている。

鯛車復活プロジェクト

新潟市西蒲区巻甲635(活動拠点:鯛の蔵)

※最新の情報や正確な位置情報等は公式のHPやSNS等からご確認ください。なお掲載から期間が空いた店舗等は移転・閉店の場合があります。また記事は諸事情により予告なく掲載を終了する場合もございます。予めご了承ください。

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