島村仁 Jin SHIMAMURA
時計物語
#01 腕時計は人生の勲章らしい
01
新潟の街を舞台にした「時計」をめぐるショートストーリー
新潟の“街と時間”をテーマに、毎月1回1話完結で物語をつむぐ新連載シリーズ『時計物語 NIIGATA TOWN STORIES』。人と時計のショートストーリーを、スリーク・アンバサダーのDJ島村仁さんによるリーディングをお楽しみいただけます。新潟の街を舞台にした毎回約7分間の物語を、ぜひ仁さんの素敵な声で堪能してください!
朗読・島村仁
#01
父が亡くなってひと月が経つ。
昨日、ようやく遺品の整理をはじめたと母から電話があったので、今日、私はそれを手伝うために川岸町の実家を訪ねた。
「これ、クレーシェルのケーキ」
父が好きだったお土産を、母が仏壇に上げる。部屋はホコリまみれで、あちこちにダンボールが散らかっていた。
「これ全部捨てるの? けっこうな量だね」
「それより問題は書斎のあれよ」
「ああ、あれ、か」
父の書斎には、高級腕時計のコレクションが飾られている。仕事で何かを成すごとに、時計をひとつずつ買い足していくのが、これといった趣味のない父の唯一の道楽だった。
就職、昇級、表彰、独立起業、大きな契約、海外進出……文字盤の裏には、それぞれ、成し遂げた記念の日付が刻印されている。父はよくそれを「人生の勲章だよ」と表現した。
でも私は、父のそのコレクションが好きではなかった。家庭をほったらかしにしていた父の、仕事人間としての象徴のように思えたからだ。私は幼いときからずっと、人には勲章よりももっと大事なものがあるはず、そう思いながら育った。
そういえば小学生のとき一度だけ、珍しく父から散歩に誘われたことがあった。
「何か甘いもの、食べたくないか」
ホテルオークラまで川沿いを歩き、萬代橋を背にして、古町まで連れていかれた。エトアールでケーキを食べて、最後に父は三越で時計を物色しはじめた。どうやら時計を見るのが本当の目的だったらしい。専門的なことをぶつぶつ呟きながら、「どれがいいかなあ」と父は言った。嬉しそうにガラスケースを覗きこむ父に対して、「わかんない」とぶっきらぼうに答えたのは、私なりのささやかな抵抗だった。
結婚するとき、私は父とは正反対の、仕事よりも家庭を大事にする人を選んだ。
父は何も言わなかった。相手を紹介しても、式の相談をしても、「お前が決めたならそれでいい」そればかりだった。きっと父は私のことがあまり大事じゃないんだ。そう感じた。時計にはこだわるのに、ひとり娘のことは何でもいいなんて、ひどい。
コレクションの中にも序列があって、父は、いちばん大切にしていた時計を誰にも触らせなかった。私は子どものとき、一度、それに手を伸ばしてケースごと床に落としたことがある。ものすごい剣幕で怒られた。あのときから、私は父と距離をとるようになった。父のことが苦手になった。
「お父さんは極端な照れ屋なの。どうやって愛情表現していいかわからない人なの」
母はそんなふうに言う。確かにそうなのだと思う。でも、私は、もっと仲良しの父と娘でいたかった。その気持ちに、父は一度も気づいてくれなかった。
「この時計、どうするの? 売る? それともずっととっておく?」
そう言いながら、その父のいちばん大切な時計にはじめて触れた。冷たい銀色の感触。世界的に有名なブランドのロゴ。父の人生における最大の勲章。でも何の記念の勲章なのかはわからない。
何気なく文字盤を裏返してみると、そこに刻まれた数字は他の時計よりも長かった。
199210301623——日付に続いて、何時何分まで細かく記されている。私はハッと息をのんだ。ただの数字の羅列が、なぜ時刻だとわかったか。
それは、私が生まれたその日の、その時間だったからだ。
FIN
スリーク
古町と万代に店舗を構える機械式時計と眼鏡、ファッションの専門店。カルティエやブライトリングをはじめ、ウブロ、タグホイヤー、パネライ、オメガなど高級機械式時計と、国内最高峰のグランドセイコーの計20ブランドなどを展開。人生の特別な一本に出会えるお店です。
朗読
島村仁 Jin SHIMAMURA
東京都出身。ラジオDJ、YouTube番組『Threec channel』、Jin Rock Festivalオーガナイザー、TVナレーション、航空会社の機内放送など多方面で活動中。趣味は自然と接するスポーツ。
小説
藤田雅史 Masashi FUJITA
1980年新潟市生まれ。日本大学芸術学部卒。小説のほか戯曲、ラジオドラマなど執筆。著書『ラストメッセージ』。最新刊『サムシングオレンジ』が好評発売中。