音楽制作やコンサートの企画・運営を手掛ける、新潟市北区の「日比野音療研究所」。代表を務める日比野さんは、作曲やプロデュースはもちろん、演奏家としても活動されている音楽のプロフェッショナル。そんな日比野さんの、とある音楽体験から生まれたのが、「凛舟」という音響装置です。今回は「凛舟」を制作したきっかけや、兵庫出身の日比野さんがなぜ新潟に来たのかなど、お話を聞いてきました。
日比野音療研究所
日比野 則彦 Norihiko Hibino
1973年兵庫県出身。大学時代にジャズ研究会に入り、卒業後はサックスの演奏者として活動する。音楽の専門知識を学ぶために、バークリー音楽院に入学。1999年に「KONAMI」に入社し、ゲームミュージックの制作を行う。その後、制作会社を自身で立ち上げ、商業音楽の制作をする。その中でハープセラピーに影響を受け、音響装置である「凛舟」の開発をはじめる。現在は音楽制作に加え、コンサートの企画や、保育園を運営するなど、幅広く活躍している。
——日比野さんは作曲家や演奏家として活動されていますが、音楽をはじめたきっかけは?
日比野さん:なんとなくサックスをさわりはじめたのは中学生のときですね。最初はそこまで熱中することはなかったんですけど、大学のジャズ研究会に入ったのをきっかけに、コンテストにも参加するくらいのめり込みました。
——大学を卒業された後は、演奏者として活動されたんだとか。
日比野さん:ありがたいことに、お声がけいただけて演奏活動をさせてもらっていました。ただ、当時はライブ活動が中心だったので、収入が安定しないこともあって。仕事として成り立たせられるように、作曲やアレンジ、楽曲のプロデュースを学びに、バークリー音楽院に行ったんです。その後、ゲーム業界とご縁があって「KONAMI」に作曲家として入社しました。「KONAMI」では『メタルギアソリッド』シリーズの音楽を制作していたんですよ。
——え〜! かなり大きなタイトルの音楽も手掛けられていたなんて、びっくりです。
日比野さん:制作のキリがいいところで、自分の制作会社を立ち上げて、個人で活動をはじめました。ゲームソフトはもちろん、アーケードゲームに使われるような、商業音楽と呼ばれるものを作っていました。
——音楽制作のプロとして、活動されていったんですね。
日比野さん:商業音楽は、クライアントの望む音楽をベストなかたちでお届けするのが仕事です。ニーズがあれば、当然それに合わせて音楽を作るわけで、ゲームの音楽は刺激が強かったり、人に興味を持ってもらえたりする音楽が好まれるんですよ。
——ふむふむ。
日比野さん:アクションゲームみたいな、戦いがあったり、ストーリーの濃い作品の音楽をつくることも多くて、3ヶ月くらいかかりっきりになっていると、廃人みたいになっちゃうときもあったんです。それがとてもきついと感じたこともあったし、「これは本当に音楽がやるべきことなのか」って考えたこともありました。そんなときにハープセラピーに出会ったんです。
——ハープセラピーとは、どんなものなんでしょう。
日比野さん:ホスピスなどで、患者さんを前でハープを弾いて心の安定を与えるものです。演目を演奏するのではなく、その人の呼吸に合わせて即興で演奏するんです。ホスピスの薬剤師をしている知り合いに誘われて見にいったとき、衝撃を受けましたね。
──当時、どんなことを感じましたか?
日比野さん:演奏者ではなく、聞いている患者さん自身が主体になっていて、ハープの音ひとつで、患者さんの苦しみや辛さを手放せるように感じたんです。それまで僕が作ってきた音楽とは違って、純粋に伝える姿勢をすごく感じて。「こういう音楽を作っていく必要があるんだな」って強く思いましたね。
——日比野さんに撮ってはインパクトが大きかったんですね。
日比野さん:ハープセラピストのやっていることって、とても素晴らしいんです。アメリカでは9割が在宅でホスピスケアを受けているんですけど、ハープセラピーを受けることができる方は多くないんです。ハープセラピストがいなくても、同じ音を届けたいと思って、「凛舟」の開発をはじめました。
——「凛舟」について、どんなものか改めて教えてください。
日比野さん:普通のスピーカーと違い、本体そのものが振動して音を響かせるものになっています。音を出したときに、スピーカーからは「粗密波」というものが出るんですが、実はこれが身体への刺激がすごく強くて。その刺激が苦手な方も多くいるんです。「凛舟」は「粗密波」を出さない、柔らかい音を届けられるように、湾曲した構造で作っています。この構造を実現させるために、新潟に来たんですよ。
——と、いいますと?
日比野さん:本体を振動させて音を出すには、本体の木の部分と金属のパーツを全部合わせてつくる必要があるんです。でも、これは前例がなくて、全国の音響装置をつくるところや、木工屋さんに「一緒につくりませんか」ってお願いしても、断られちゃって。
——それだけ、今までにはないものをつくろうとしていたんですね。
日比野さん:そんな中で、唯一引き受けてくれたのが、加茂市で桐箪笥をつくっている職人さんでした。「とりあえずやってみよう」って言ってもらえて。さらに他の加茂市の企業さんにも協力していただけることになって、何度も試行錯誤を繰り返して、「凛舟」は完成しました。中に入っているスピーカーも、「分割振動」で音源を再生できるように設計していて、普通ではありえない、手巻きのコイルを使って実現しています。
——「凛舟」には約300曲が収録されています。
日比野さん:録音には、とてもこだわりました。商業音楽ってメロディーやハーモニーを重視してつくるんですが、「凛舟」が届けたい音はそういうのを全部すっ飛ばした、魂に響くような音なんです。音をひとつ聞いただけで涙が出そうになるような。その音源をつくるために、奏者には僕の体験や思いを話してから、録音に臨んでもらっています。
——心が穏やかになるような音の裏には、日比野さんの思いが詰まっているんですね。
日比野さん:演奏者の気持ちって、やっぱり音に出ると思うんです。「凛舟」には自分を表現する音源ではなく、聞いている人に寄り添った音源だけを入れたくて。それが最大限伝わるように、今までの楽曲制作の知識や経験を活かして制作しました。
——「凛舟」は病院や介護施設だけではなく、個人のお宅でも使われているんですね。
日比野さん: 数に限りはあるんですが、「凛舟」のレンタルもしていて。患者さんに対して「治療以外で何かしてあげたい」っていうご家族の方に使っていただいています。身体や心が辛いときに、本を読んだり、テレビを見たりすることが苦しいってこともあると思うんです。そんな状況のなかでも、「凛舟」の音を聴いてもらって、心穏やかになってもらえたら嬉しいですね。
——印象に残っていることはありますか?
日比野さん:「低周波過敏症」っていう、普段聞こえないような低い音がずっと聞こえてしまう原因不明の症状を持った方とご縁があって、「凛舟」を試してもらったんです。今までは、低音が聞こえるせいで寝不足になって、他の症状も出てきていたみたいなんですが、これを使いはじめてから、改善してきたみたいで。「効果があります」ってはっきりとは言えないんですけど、解決の手助けができたのは、とても嬉しかったですね。
——これからも困っている人たちの手助けをしてくれる存在になりそうです。
日比野さん:眠れない人はもちろん、日常に不安を感じている人や、拠り所がないと感じている人に「凛舟」が届いていけば良いなと思っています。どう感じるかは、使っているご本人次第なんですが、少しでも心が安らいでくれたら良いなと。
——日比野さんは「凛舟」以外でも、音楽を通じて人を癒やしています。
日比野さん:音楽や朗読を通して生きる希望を届けたいという思いからはじめた「天上の音楽」がありますし、阿賀野市の「長生館」という旅館で定期的にジャズライブを開催しているんです。心が弱っていたり、前に進めなくなるくらい落ち込んでしまったりしたときに、音楽が与える影響はとても大きいと思っていて。
——特に楽器から奏でられる音は、心に響くかもしれませんね。
日比野さん:「凛舟」では、コンサートやライブで直接行けていない場所にアプローチできると思っています。かたちは全然違うんですが、誰かを癒やせるような音を届けるということは共通しているんです。これからは、僕が今やっていることを、確実に次の時代に渡していけるように、仕組みをつくっていきたいと思います。
日比野音療研究所
新潟市北区太夫浜2044-1