日本人の暮らしの変化と共に、使われなくなっていった道具はたくさんあります。風除けや目隠しに使われていた屏風もそのひとつ。屏風の産地だった加茂市にはかつて20軒以上の屏風店がありましたが、現在では2軒しか残っていないそうです。そのうち1軒が今回取材させていただいた「株式会社 大湊文吉商店(おおみなとぶんきちしょうてん)」。出張前のお忙しい大湊社長から、製品の歴史やこだわりについてお話を聞いてきました。
株式会社 大湊文吉商店
大湊 陽輔 Yosuke Ominato
1962年加茂市生まれ。大学卒業と共に家業である「株式会社 大湊文吉商店」に入社。木工大学や中小企業大学などで学び、四代目として会社を受け継ぐ。アウトドアが趣味。
——加茂の桐箪笥は有名ですけど、屏風の産地だというのは最近知りました。
大湊さん:昭和2年頃に佐賀県から来た行商人によって伝えられたそうです。昭和5年に製造販売してみたら売れ行きがよかったので、昭和10年には製造業者も23軒に増えたんですよ。
——へぇ〜。「大湊文吉商店」さんは、最初から屏風をつくっていたんですか?
大湊さん:明治元年に初代の文吉が、加茂紙の問屋として創業し、加茂紙に柿から抽出したものを塗った「渋紙」の製造卸をはじめたんです。「渋紙」は主に畳の下に敷いて防虫に使われていました。屏風の製造卸をはじめたのは二代目からになります。三代目の父の頃に開発した簾屏風や障子屏風は大ヒットしたんですよ。
——160年近くも続いている老舗なんですね。
大湊さん:そうですねぇ。ただ、時代の流れとともに日本人の生活スタイルが変わってきたことで、屏風の需要は激減しました。
——確かに宴会場や料亭、旅館などでは見かけますけど、一般住宅ではなかなか見る機会がないですね。
大湊さん:そもそも日本家屋に合わせて目線や風をさえぎるために使われてきた道具なんですけど、現代ではそうした広い住宅が少なくなった上、洋風化も進んだので屏風が生活に合わなくなっていったんです。
——なるほど。
大湊さん:それで考えたのが格子屏風。洋風の室内にも合うデザインになっていて、角度を変えることによって光や風、視線をさえぎったり、通したりするんです。30代の主婦を中心にたくさん売れました。
——置く場所を選ばなそうだしお洒落ですね。
大湊さん:1990年代には神社や寺院の調度品も手掛けていました。でもコロナ禍の影響で注文が減ってしまったんです。その時期は、飛沫防止のパーテーションをつくることでしのぎました。木製ではダントツに売上があったと思います。ピンチのたびに発想転換をしながら経営を続けてこれたんです。
——その後は、どんな営業展開をしてきたんでしょうか?
大湊さん:2006年から新潟県が主管しているブランド「百年物語」に参加したことで、ドイツのフランクフルトメッセで毎年屏風などの発売をするチャンスをいただけました。それによって海外での販路開拓や富裕層向け生活誌「家庭画報」掲載にもつながったんです。
——チャンスが広がっていったわけですね。
大湊さん:ニューヨークやパリの展示会にも出展させていただいたんですよ。その頃から、秋田杉を使った組子製品の開発をはじめ、和膳や行燈、コースターなどを拡販することになりました。
——「組子」というのは?
大湊さん:釘を使わずに細い木片を組み合わせ、幾何学的な紋様をつくり出す伝統的な木工技法です。主に和室の欄間や障子に用いられていましたが、和室の減少とともに需要は激減しました。その素晴らしい技法を製品に生かしたいという思いで開発をしたんです。
——木を組み合わせるだけでこれを作っているんですか。
大湊さん:そうなんですよ。0.1mmというわずかなズレがあっても綺麗に組むことはできないんです。そうした組子製品をより生活のなかに取り入れることはできないかと考えて、6名の女性社員が立ち上げた「商品開発部」によるオリジナルブランド「FUNNY WORKS(ファニーワークス)」もスタートしました。
——より身近な製品が生まれたんですね。
大湊さん:ティッシュカバーや掛時計、コースター、箸置きなど、「自分たちのほしいもの」を考えてつくったラインナップになっているんです。御朱印帳はすごい人気で、神社でおこなうイベントの開催時間前に電話予約で完売してしまいました(笑)
——次々と新しい取り組みにチャレンジしていますね。
大湊さん:「伝統」というのは革新の連続なんじゃないかと思っているんですよ。古い技術を生かしながら、新しい製品を生み出していくことが伝統技術の活用につながっていくんじゃないでしょうか。今後も時代の流れに寄り添って、柔軟な姿勢で製品開発にチャレンジしていきたいですね。
大湊文吉商店
加茂市秋房1-26
0256-52-0040
8:00-16:30
土日祝日休