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「鮭のまち」村上市で、塩引鮭の伝統を守る魚屋さん。

  • ものづくり食べる | 2019.04.12

塩引鮭を作り続ける魚屋

町屋の軒下にずらっと並べて吊り下げられた塩引鮭は、村上市の冬の風物詩ともいえる光景。そんな町に「うおや」という魚屋さんがあります。その歴史は古く、なんと200年前の寛政年間にまでさかのぼるとか。現在の店主で9代目。今回はその「うおや」さんの社長と、そのお母さんである女将さんに、老舗魚屋の歴史をお聞きし、特別に塩引鮭づくりの密着取材をさせていただきました。

 

 

うおや

上村八惠子 Yaeko Kamimura

1933年生まれ。魚屋で育ち、20歳で「うおや」に嫁いだ8代目女将。バイクやトラックを運転して魚の配達をしたり、60歳を過ぎてコンピュータでの受注管理をおぼえたり、かなり先進的な女性。

 

うおや

上村隆史 Takashi Kamimura

1957年生まれ。「うおや」9代目社長。早稲田大学理工学部を卒業後、システムエンジニアとして大手コンピューター企業に就職。2000年に帰郷し、ネット販売にを中心に顧客の拡大に力を入れている。

まずは、村上と鮭の関係をおさらい。

「鮭のまち」と呼べるほど鮭と縁の深い村上市ですが、その関わりの歴史はかなり古く、平安時代の書物にも京都の貴族に鮭が献上されたことが記されています。江戸時代も村上藩の主要財源は鮭でした。ところが江戸時代後期になると、不漁の時代がやってきて、藩にピンチが訪れます。そこで登場したのが、村上藩の下級武士・青砥武平次(あおとぶへいじ)。武平次は世界で初めて、鮭が生まれた川に帰ってくるという「回帰性」を発見します。三面川に「種川」を設け、産卵に適した環境を整えることで、鮭の「回帰性」を促し、三面川の鮭の漁獲量はそれから飛躍的に増えていくのです。もちろん村上藩の財政もこれでうるおい、村上市は「鮭のまち」として全国的に知られるようになりました。

 

代表的な鮭料理は、やっぱり塩引鮭。

村上に伝わる鮭料理は100種をゆうに超えると言われています。白焼きにした鮭をだし醤油に漬け込んで作る保存食「鮭の焼漬」。美味しいですよね。鮭のはらこ(いくら)を醤油に漬け込んだ「はらこの醤油漬」。こちらも白いご飯と一緒に食べると最高ですよね。さらに、鮭を乾燥させた保存食で、お酒を振りかけて食べると一層美味しい珍味「鮭の酒びたし」。酒飲みの定番ですよね。とまあいろいろな食べ方がありますが、やっぱり代表的なのは「塩引鮭」ではないでしょうか。適度な低温と湿度、北西の潮風が運ぶ塩分と乳酸菌。これらの要素が絶妙に組み合わさって低温発酵し、鮭のうま味が極限まで引き出される塩引鮭。焼いて食べると熟成されたうま味を味わうことができ、皮までパリパリとおいしく食べられます。

 

塩引鮭づくりに密着しました!

というわけで、今回は特別に塩引鮭づくりに密着させてもらいました。地域によって異なりますが、「うおや」さんでは10月末から11月初め頃の鮭を使って作られます。赤い婚姻色が出る前の、お腹が少し黒くなって来た頃が、脂が乗っててよいのだとか。美味しい塩引鮭を見極めるときは、開いてあるお腹の色が赤いものを選ぶとよいでしょう。

 

 

塩引鮭に使うのはオスです。メスははらこ(いくら)に栄養が行くので、オスに比べて味が落ちます。
腹を割いて内蔵を取り除きます。村上は城下町ということで、昔は切腹を連想させる真一文字の割き方をせず、1か所つないだ割き方をする「止め腹」が一般的ですが、うおやでは創業時より風の通りが良いように真一文字に割いています。
よく洗ってぬめりを取ります。
丁寧に塩を擦り込み、腹の中までいっぱいに塩を詰めます。その状態で1週間ほど漬け込みます。
半日ほど水につけ、塩を抜きます。
皮まで磨き上げた後、窓のない部屋に吊るして、日本海の寒風に1週間ほど陰干しします。そのあと、続けて室内で陰干しして仕上げます。部屋の天井が吹き抜けになっていて、風が通る仕組みになっています。

 

男勝りな女将と帰って来た若旦那の話。

「魚屋の娘は魚屋に嫁ぐのが一番いい」そう語るのは「うおや」の女将・八惠子さん。実家も魚屋だった八惠子さんは、20歳で「うおや」に嫁いでから、魚屋一本の人生を送ってきました。トラックやバイクを運転して魚の配達をしていた八惠子さん。当時はまだ女性ドライバーが珍しく、男勝りな仕事ぶりは注目の的だったといいます。赤ん坊を背負ってバイクで走り回る八惠子さんを見かねた近所の人が、赤ん坊を預かって面倒を見てくれたとか。

 

そのときの赤ん坊こそ、現在の社長・隆史さんです。八惠子さんは隆史さんを早稲田大学理工学部に入れた後になって、「『うおや』をどうしよう…」と後悔します。大学卒業後、東京の大手コンピュータ会社に入社しシステムエンジニアとして働きはじめた隆史さん。でもいつかまた川に帰ってくる鮭のように、隆史さんは「うおや」に戻ってきました。

 

1999年に村上に帰り「うおや」を継ぐと、隆史さんはまず普及しはじめたばかりのインターネットに目をつけ、いち早くネット販売を始めます。これが当たって爆発的に注文が舞い込み、一気に顧客数が伸びたのでした。当時は新潟出身者を中心に関東圏からの注文が多かったのですが、最近では九州や沖縄まで利用者が拡大。看板商品の塩引鮭はもちろん、生ガキ、真ダラ鍋、桜マスと季節ごとにヒット商品も生まれ、ネット販売は安定した人気を獲得しています。

 

 

お食事処「海鮮一鰭」をオープン。ランチ、楽しめますよ!

2013年9月、隆史さんの同級生でもある地元のお医者さんが「うおや」の店舗の隣に「大町文庫」という施設をつくります。恩師が保有していた膨大な蔵書を引き取って収蔵した図書施設です。蔵書は貸し出しできないものの、施設内で自由に読むことができます。そこで隆史さんに話がまわってきました。「大町文庫」の運営管理、そしてランチやカフェが楽しめる「海鮮一鰭」のオープンです。ランチメニューは海鮮系中心で、魚屋直営店だけあって新鮮なネタが自慢。観光客をはじめ訪れる人々を楽しませています。ぜひ皆さんも村上を訪れたら足を運んでくださいね。

 

 

華 1,450円

彩 1,750円

海鮮はらこ丼 1,380円

うおや塩引御膳 1,500円

 

 

越後村上うおや

村上市大町4-3

0254-52-3056

9:00-17:00 不定休

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※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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