繊細で優しい音色を奏でる「ハンドパン」という楽器をご存知でしょうか。発祥地のスイスにはハンドパンの工房がいくつもあるそうですが、日本には作り手さんがほんの数名しかいないのだとか。そのひとりが燕市の「響楽舎(きょうがくしゃ)」、時田さんです。独学でハンドパン作りに向き合ってきた時田さんにいろいろとお話を聞いてきました。
響楽舎
時田 清正 Kiyomasa Tokita
1998年東京都生まれ。茨城県で育ち、19歳のときに燕市に移住。地域おこし協力隊として活動をしながら、独学でハンドパンの製作に打ち込む。2022年「響楽舎」を立ち上げる。
——時田さんが燕市に来たきっかけは?
時田さん:ハンドパンを作るためです。高校生のときに、同級生がハンドパンを演奏している姿を見て、僕は「演奏したい」じゃなくて「作りたい」と思いました。燕市は金属加工で有名なまちだと聞いていたので、地元の茨城県でハンドパンの製作をするよりも伝統的な技術を持つ地域で取り組んだ方が、日本ならではのハンドパンが作れるんじゃないかと考えて移住しました。
——ハンドパン独特の音色に気を取られそうなものですが、時田さんは演奏することよりもそのモノとしての存在や構造が気になったんですね。
時田さん:そうですね。なんだか変な楽器だな。どうやって作られているんだろうって、そこに興味を持ちました。
——はじめは地域おこし協力隊として活動されていたんですね。
時田さん:ハンドパン作りに集中したいところでしたけど、地域おこし協力隊としての役割もあるので、移住した最初の3年間、日中は協力隊の仕事をして、空いた時間と夜にハンドパンを作っていました。
——ということはハンドパン作りは独学?
時田さん:完全に独学です。といっても「形を作る」のと「音を作る」のはまったく違う作業で、形を作ることに関しては燕の技術を取り入れています。音作りは自分で研究してきました。スイスに行けば工房がいくつもあるし、そこに弟子入りすることはできるんでしょうけど、独学を選びました。
——それはどうしてですか?
時田さん: これからずっと「誰かの弟子」と言われるのがどうしても嫌で。それにオリジナリティがなくなっちゃう気もして。「燕の伝統技術を取り入れたハンドパンを作る」っていう新しいことをしているのは僕だけだし、よその音作りをコピーしたら意味がないと思ったんです。
——最初はどんな感じで音作りをしたんですか?
時田さん:材料を買えなかったので、ドラム缶を叩いて作るところからのスタートでした。ハンドパンは作業工程が30近くあります。その順番や使用する道具、材料の厚さなど、何かをひとつだけ変えて、同時にふたつ試作するんです。それで良かった方を残して、またやり方を変えてっていうのをひたすら繰り返しました。鍋底を叩いたような音から、かろうじてハンドパンの音色と呼べる音が出るまで86個作りました。
——なんだか、ものづくりというより研究をしているみたい。
時田さん:金属ってバネみたいに元に戻ろうとする性質があるので、今日は音が鳴ったけど、明日は鳴らないってこともあるんです。でもなぜそうなるのかデータがないので分からない。時間ごとの音の変化をエクセルにまとめてみたり、とにかく試行錯誤しましたね。
——途方もない作業ですね……。
時田さん:きっと想像の何倍も大変だと思います(笑)。好きじゃなければ嫌になっちゃうかもしれませんね。
——ご自身のハンドパンが「これで大丈夫」と思えたのはいつ頃ですか?
時田さん:人前に出して恥ずかしくない音を作れるようになったのは去年の6月。200個くらい作った頃ですかね。ただ奥が深すぎて、まだまだ分からないことがたくさんあるので、「今はこの音で販売はするけど、作りながらより良い音にしていく」という気持ちです。そういう意味では今も試作をしていると思っています。でも、半端なものは絶対に世に出しませんよ。
——生産量についても教えてください。ひとつをどれくらいのペースで作るんですか?
時田さん:発注が入るかは別として、月4台は作れます。海外メーカーだと注文してから届くのに半年はかかりますけど、僕は何台かまとめて作っていますし、海外製品と比べると輸送に時間がかからないので短納期にも対応できます。
——試作を繰り返して、ようやく「響楽舎」を立ち上げたときはどんな気持ちでしたか?
時田さん:やっとスタートラインに立てたなって感じですね。いつなくなるかも分からないので、喜びに浸っている場合じゃないと思っています。「こうなりたい」って理想はあるけど、先のことを考えても仕方ないので、次々って一歩ずつ進まなくちゃって思っています。「やっとここまできた」っていう達成感はないです。
——それにしても、6年近くひとりでハンドパンに向き合ってきたってほんとうにすごいですよ。
時田さん:ありがとうございます(笑)。僕はそういう性分なんでしょうね。スイス人に作れて日本人に作れないわけがないっていう意地もあるけど、「やると決めたからやる」。それだけです。そうじゃないと、費やした時間に嘘をつくような感じがするから。
——誰にでもできることではないですね。
時田さん:ハンドパンを作れる人は限られていると思っていて。金属の動きが分かっていて、製作段階で金属を叩き続けられる体力がある人でなくちゃいけません。加えて音が分からないとダメなんです。工業的な分野と音楽的な分野、両方把握していないとハンドパン作りはできません。
——時田さんのハンドパンを手にした方からは、どんな反応がありましたか?
時田さん:楽器をお買い上げいただいた後が大事だと思っています。購入いただいた方は、そこからスタートするわけですから。買ったはいいけど演奏や練習方法が分からなくてタンスの肥やしになってしまっては、お互いいいことなしですもんね。
——じゃあ、何かフォローをされている?
時田さん:ハンドパン教室を開いていますし、ここで焚き火を囲む会を開催することもあります。そこで練習してきた曲を披露しあったり、他の人のハンドパンと交換して演奏してみたりするんです。皆さん、楽器が欲しいという気持ちはもちろん、ハンドパンを通じたコミュニティや友達と楽しむ時間が欲しいのかもしれない、と僕は思っています。
——その集まりでは、演奏技術の高め合いもメンテナンスの相談もできそうですね。
時田さん:ハンドパンは海外製が圧倒的に多いんですけど、言葉の壁もあるし、海外にメンテナンスを出すときのハードルがすごく高いんです。ここに来ていただければ僕が調律します。そういう面でも国内で作る、国内のものを買うメリットがあると思っています。輸入中のトラブルで大事なハンドパンを破損するリスクもないですしね。
——時田さんはきっと高い志を持っていると思います。これからの目標を教えてください。
時田さん:飲み屋さんにギターが置いてあるみたいにハンドパンがある、路上ライブでハンドパンが演奏されている。そんなノリでハンドパンが普及していくといいなと思っています。小学校、中学校にはハンドパンがデフォルトで置いてあるみたいな。
——音楽室にはハンドパンがあるわけですね。
時田さん:音楽が苦手な人がいるのは、義務教育の授業が原因なのかなって思っていて。本物の楽器に触れるのって、高校生くらいからじゃないですか。リコーダーも鍵盤ハーモニカもプラスチックですもんね。それじゃ音楽を好きにならないよな、楽しいはずがないよなって思うんです。燕は金物のまちだから、「地元でこんなかっこいい楽器が作られているんだ」「ハンドパンの演奏が楽しい」って思えたら、きっとみんな音楽を好きになると思うんです。
——時田さん個人としては、どんなふうになっていたいですか?
時田さん:今は正直、やっと生活できているようなものです。でもある程度、余裕のある生活ができていないとダメですよね。食べていけないのに続けているだけじゃ、誰も「ハンドパンを作りたい」とは思えないでしょうから。
——後任を育てたい気持ちってあります?
時田さん:それはもちろんあります。ここで教えてもらった技術とハンドパンを作る上で得た発見を誰かに伝えるためにやっています。先人たちが遺してくれた手法と僕が培ってきた技術を融合させて、「響楽舎」のハンドパンがあると思っています。僕なりの作り方をしっかり記録して、次の世代に繋げたいですね。死ぬときに僕のノウハウ、あの世に持っていけないんで(笑)
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