自然に囲まれた三条市旧下田村にアトリエを持ち、「acolier(アコリエ)」の屋号で活動している「ヤマヤアキコ」さん。色とりどりの布で絵を描く「布絵」の作家さんです。作品を間近で見ると、布が重なっている奥行きやひと針ひと針を丁寧に縫われている様子がよく分かります。今回は貴重な原画を見せていただきながら、ヤマヤさんの布絵作品についていろいろとお話を聞いてきました。
acolier
ヤマヤアキコ
1972年三条市(旧下田村)生まれ。新潟市のデザイン専門学校を卒業後、グラフィックデザイナー、営業職として広告代理店に14年間勤務。デザイン会社に転職し経験を積んだ後、30代後半で東京へ転居。7年前、結婚を機に旧下田村に拠点を移す。「acolier」として作家活動をはじめて今年で15周年。
——布絵作家さんになる前はどんなお仕事をされていたんですか?
ヤマヤさん:デザイン専門学校でグラフィックデザインを学び、新潟市の広告代理店に就職しました。デザイナーとして4年間仕事をして、それから部署が異動になって営業職を10年ほど経験しました。
——今とはちょっとジャンルが違うような気がしますけれども……。
ヤマヤさん:当時は制作技術がアナログからデジタルにシフトしている頃でした。今だったらパソコンでいろいろなテクスチャーを加えることができますけど、その頃はまだイラストを手描きしていて。そこにひとつの表現として布を貼ってみたりコラージュっぽくしてみたり、工夫を施していたんです。布の表現が好きだったんですね。
——広告代理店でお勤めされた後の転職先はデザイン事務所ということでしたが、やっぱりクリエイティブな仕事を続けたかったのでしょうか?
ヤマヤさん:広告代理店で部署を異動してからもグラフィックには携わっていましたし、「制作に関わりたい」という思いが強かったんですね。でも約10年デザイナー職から離れていて、その間にハードもソフトも大きく変化しました。もう、ついていけなくて(笑)。デザインを誰かにお願いする方が断然いいものができあがるのを目の当たりにして、それを現実として受け止めていました。それでもやっぱり「作る側」になりたかったんです。
——それでもデザインの仕事を選ぶってなかなか勇気がいりそうです。
ヤマヤさん:「よく採用してもらえたな」って思いましたよ。同僚も「ヤマヤさん、何をするんだろう」と不思議に思っていたらしいです(笑)。でもそれまでに培った広告の知識があるので、企画とかディレクションとかの分野に期待してもらえたんだと思います。私もそれでお役に立てたらいいなと思っていました。
——作家活動はいつ頃はじめられたんですか?
ヤマヤさん:デザイン事務所で働いていた頃、布絵の年賀状やクリスマスカードを知り合いにプレゼントしたのがはじまりですかね。作ったものがたまっていって、知人に「見てもらう機会を作ったら」と言ってもらえて。新潟県立図書館のエントランスで作品を無料で展示できることを知り、応募してみたんです。そしたら「ぜひ、やりましょう」ということになって。それがはじめての展示会でした。来館される方に自分の布絵を見てもらえるなんて、私には十分すぎるくらい光栄なことでした。
——グラフィックデザインのご経験もあるのに、布絵を選ばれたのはどうしてでしょう?
ヤマヤさん:イラストレーターとして活動することも考えましたけど、やっぱりすごいイラストレーターさんが大勢いらっしゃるんですよね。個性だとか突出した何かがないと使ってもらえないだろうなと、私自身、広告を依頼する立場としてもそう思っていました。でも自分が描くものがそれに値するかというと自信がなくて。そんな思いでいながら、イラストに布を貼るだのなんだのとしていたら、どんどん布が面白くなって。気がついたら「布絵」になっていました(笑)
——独自性のある作品にしたいというお気持ちがあったんですね。
ヤマヤさん:はじめから布絵として作品を作っていたら、そうは思わなかったかもしれません。絵が上手な方も布を使って表現される方も山ほどいらっしゃるので、その中で「ヤマヤアキコの絵にしましょう」と思っていただける何かがないと、お仕事にならないだろうと考えていました。
——当時から、今のように専業作家になろうとお考えだったのでしょうか?
ヤマヤさん:広告の世界しか知らなかったので、絵を仕事にするのは現実的ではないと思っていました。当初は作家ではなく「布を使ったイラストレーター」として仕事をしようと考えていたんです。イラストを担う側として広告制作に関われたらいいなって。でも新潟県立図書館で展示会をさせていただく機会に恵まれて、そこに見てくださった方が自由に感想などを書けるノートを置いたんです。そのノートを読んで、私の作品が求められていると感じました。それで「展示作品を買っていただくには、やはり作家かな」という気持ちが芽生えたんですよね。なんとなく頭の中に「作家」という選択肢はあったんでしょうけど、それが具現化したタイミングでした。
——その後、ヤマヤさんは東京へ行かれるんですよね。
ヤマヤさん:知人のデザイン事務所の立ち上げをサポートするために、30代後半で東京に引っ越しました。もう作家活動をはじめていたので、東京でいい経験を積みたいという思いもありました。デザイン事務所のサポートは数年で落ち着き、私の役目は終わったので、2012年頃から作家専業となりました。
——では、東京でさらに活発に作家活動をされた?
ヤマヤさん:個展をやったりいろいろしましたね。布絵一本で生活していくのは本当に大変でしたけど、その分やりがいがありました。「来月はちょっとヤバいかも」ってときにはバイトもしましたよ(笑)。刺激も多くて、すごく充実していました。
——結婚を機に新潟に戻られて、何か違いを感じたりはしませんでした?
ヤマヤさん:そんなに違いはないんですけれども、仕事の幅が広がったのは新潟に拠点を移してからですね。私は動植物を描くのが好きで、東京ではしょっちゅう自然を求めて公園に出向いていました。今は改めて、アトリエのある下田地域の良さを実感しています。窓から雄大な自然が望めますし、鳥や猿、イノシシだとかも普通にいて(笑)。仕事をする上で、この環境はとても恵まれていると思っています。
——ヤマヤさんの作品は、主に広告に使われているんですか?
ヤマヤさん:メインは作品の展示販売ですね。皆さんに馴染みのある実績としては、「新潟手帳」の表紙(2020年〜2024年版)や新潟県立図書館の利用カードになっているフクロウの絵などがありますよ。
——県立図書館の利用カード、これってヤマヤさんの作品だったんですか。
ヤマヤさん:初めての展示会を新潟県立図書館で開催して、そのご縁で当時の館長さんが、無名だった私を起用してくれました。心から感謝していますし、今でもこのフクロウのカードが使われていることがとても嬉しいです。
——新潟以外でもお仕事をされているんですか?
ヤマヤさん:千葉県の酒々井町で町の民話を絵本にするプロジェクトがあって、そのうちの1冊を担当しました。
——布絵の作り方やお裁縫技術は独自のやり方ですか?
ヤマヤさん:そうですね。それほどたいしたものではありませんけども。お裁縫なんて言われると、なんだか恥ずかしいですね(笑)。お裁縫が得意なわけじゃないんですよ。作品づくりをしているうちにこんなふうになりました。
——作品によるのでしょうけど、制作にはどれくらい時間がかかるんでしょう?
ヤマヤさん:手描きのイラストにフォトショップで色をつけて、それから縫う作業に取り掛かるんですが、いちばん時間がかかるのは「どんなデザインにしよう」と考えるところですね。例えば、2024年版の「新潟手帳」のテーマは器です。テーマを決めてから、器についていろいろ調べて、見られるものは実物を見て。そういうことにも時間を割きます。
——今日は貴重な原画を見せていただき、ありがとうございました。最後にこれからやりたいと思っていることを教えてください。
ヤマヤさん:グラフィックでイラストを描いていた頃から「本に関わりたい」という思いがありました。酒々井町のお仕事で絵本制作をさせていただき、作るものが布絵になってもその気持ちは変わっていないと感じました。また本と関わる機会があるといいなと思っています。
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