新潟の魅力を世界に向けて発信する、
「株式会社トークパス」の大島さん。
その他
2025.12.27
今回お話を聞いたのは、「株式会社トークパス」の代表で、フリーアナウンサーの大島巧さんです。「どこかで見たことが……」と思った方もいるのではないでしょうか。大島さんは昨年の7月まで「株式会社テレビ新潟放送網」のアナウンサーとして、『新潟一番』のMCやスポーツ実況を担当されていた方。そんな大島さんが、起業したきっかけや、今のお仕事のことなど、いろいろ聞いてきました。
大島 巧
Ko Oshima(株式会社トークパス)
1999年東京都出身。大学を卒業後、「株式会社テレビ新潟放送網」に就職し、アナウンサーとして『新潟一番』『新潟一番サンデープラス』でメインMCやリポーターを務める。スポーツ実況も担当しており、アルビレックス新潟の試合や高校サッカーの試合も担当。昨年「株式会社テレビ新潟放送網」を退社し、自身の会社である「株式会社トークパス」を立ち上げる。座右の銘は「練習は不可能を可能にする」。
アナウンサーになったきっかけは、
大学時代のアルバイト。
――まずは大島さんがアナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
大島さん:学生時代、サッカーとゴルフをやっていて、特にゴルフは競技として一生懸命やっていました。そのときに、ゴルフ部に脈々と受け継がれている、ゴルフ中継のアルバイトをやっていたんですよ。
――ゴルフ中継のアルバイトって、どんなことをするんでしょう。
大島さん:海外のオープン戦の試合状況をテキストに起こしたものを、アナウンサーや解説の方に渡すっていう仕事でした。学校に通いながら深夜に行って朝帰る、みたいな結構ハードなアルバイトでしたね。もともとテレビがすごく好きだったので、アナウンサーってすごいと思っていましたし、実際にアルバイトで関わっていく中で素敵な仕事だなって改めて感じたんです。
――そこから、アナウンサーを目指されたんですね。
大島さん:就職活動をしているときは、北海道から福岡まで全国のキー局を受けました。それでもご縁がなくて、アナウンサーの就活をいったんやめて、一般企業の就活に乗り換えたんです。それで大きな企業から採用をいただいたんですが、アナウンサーになることをどうしても諦めきれなくて。そのときに、新潟でアナウンサーの募集を見つけて、「最後のチャンスだ」って応募して、ご縁がありアナウンサーになることができました。
――看板番組のMCやリポーター、スポーツ実況をされていましたね。
大島さん:アナウンサーとしては、カメラの前で話すだけではなく、番組内で取り上げる取材対象者のアポ取りから原稿作成もしていましたし、VTRの制作も少し携わったりしていました。皆さんの想像する「アナウンサー」以外のお仕事もできたのは、すごくいい経験になりました。
――その後、退社して新潟で起業したのには、どんな思いが?
大島さん:生意気にも(笑)、入社する前から「3年で辞めよう」って思っていたんです。それには理由があるんですけど、大谷翔平選手も使っていた「マンダラチャート」を、学生時代からつくっていて。そこに、他のテレビ局に転職するか、フリーのアナウンサーとして活動するか、起業するって書いたんです。
――じゃあ最初から起業することも視野に入れていたんですね。
大島さん:学生の頃から事業家だった祖父に憧れていて、自分でビジネスをはじめて、平日は会社で仕事をして、週末はアナウンサーとして活動しようと、起業を決めました。

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伝えたくても、伝えられなかった。
そんな新潟の情報を発信したい。
――それにしても、どうして新潟で起業しようと?
大島さん:友達や知り合い、親戚も誰もいない中で、ひとり新潟に飛び込んで来たんですが、3年間ですごく友達が増えたんです。退社する前「この先どうしようか」って考えたとき、関わってくれた人の顔がたくさん浮かんで。その人たちの温かさに惹かれて、新潟に残ろうと思ったんです。あとは、アナウンサーの仕事を通じて、新潟でまだできることがあるって感じていて。
――まだできること、といいますと?
大島さん:取材をしていくと、いろんな方から「取材をしてほしい」っていうお話をいただくことが多かったんです。尺や取り上げる時期などを考えると、そういった声に応えきれないこともありました。他にも、僕自身が伝えたいと思う新潟の情報もたくさんあったので、ここに残ることにしたんです。
――そして、立ち上げた会社が「株式会社トークパス」になります。こちらは、どんなことをしている会社なんでしょう。
大島さん:動画やSNSを使った情報発信や動画制作、採用支援などを行っています。この会社では、特に動画を使った採用支援に力を入れているんです。教育関係の会社さんや車屋さん、介護事業者さんや老舗の酒屋さんなど、いろんなところで働いている人に密着して、その仕事ぶりを動画にしています。
――新潟で働いている人のリアルを見ることができますね。採用に目をつけたのは?
大島さん:今までいろんな業種の方とお話してきて、皆さん自分のお仕事に誇りを持っているし、質のいいお仕事をされているのに、それがなかなか伝わっていないな、と感じていました。採用活動においては、それを伝えるのがとても大事になってくるので、動画制作を通してお手伝いをしたいと思ったんです。
――県外出身の大島さんから見て、新潟はどんなふうに見えているんでしょう。
大島さん:すごくいい街だけど、もっとできることがあるなって思います。特にイベントの数がもっと増えていくといいのかなって思っていて。今、新潟市の事業のコミュニケーターとして、20代や30代のいろんな業種の人と関わっています。その中で、若い世代が「人と交流したい」と潜在的に感じているのを知ったんです。彼らの「やりたい」ことを実現できる場所づくりみたいなのも、今後できたらいいなって思っています。


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新潟の魅力を、世界へ。
大島さんの思いと決意。
――独立してみて、大島さん自身に変化はありましたか?
大島さん:関わってくれる人の存在の大切さをより感じています。会社を立ち上げてから、同じ立場の人とのつながりができたし、一緒に頑張ってくれるメンバーと出会うことができました。わからないことを「わからない」って聞けて、頼れることがすごくありがたいんです。
――逆に、変わらないことは?
大島さん:ワクワクしながら仕事ができていることです。アナウンサーをやっているときも感じていましたが、今は自分でやりたいことだけに集中して進んで行けているので、すごく楽しいなって。独立してから、やることはたくさん増えましたが(笑)、今は毎日朝起きるのがすごく楽しいんです。
――とても素敵です。これから、さらにどんなことをやっていきたいですか?
大島さん:いろんなメディアとコラボできたらいいなって考えています。雑誌や新聞みたいな、テキストで情報発信されているところと手を組んで、新潟の情報発信の力をより強くしていけたらすごくいいんじゃないかなって。僕らの発信する情報を、世界にも届けていきたいので、外国語のコンテンツも今後つくりたいですね。
――新潟だけではなく、世界にも、ですか。
大島さん:外国人からしたら新潟と東京って、大して変わらないと思うんです。だからこそ、新潟が世界から認められている街として見てもらえるように、新潟の魅力や情報を届けていきたいなって思っています。
――最後に、読者の方にひとこと、お願いします!
大島さん:中長期的に見て、僕に新潟の未来を任せてほしいなって思います。「新潟の魅力を発信する」っていうひとつの軸をブラさず、新しい風を新潟に吹かせることができる存在になれるように、映像制作や情報発信をしていこうと思っています。


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