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眼鏡と時計の悩みをとことん解決。技術と伝統の「アイテックサイトウ」。

新潟市東区の国道113号線沿いにある「アイテックサイトウ」。1955年創業という眼鏡と時計の老舗店です。取材に伺った日は家族連れから年配の方まで、まさしく老若男女が続々と来店。全国でも数少ない時計修理職人でもある代表の齋藤さんに、業界の変化やお店の特色などいろいろとお話を聞いてきました。

 

 

アイテックサイトウ

齋藤 恭太 Kyota Saito

1987年新潟市生まれ。東京眼鏡専門学校卒業後、眼鏡ショップ「東京オプチカル」に勤務。「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」で時計技術を学び、2012年に帰郷。家業である「アイテックサイトウ」に入る。2021年同社の代表取締役社長に就任。

 

今では数少ない、時計職人のいる老舗眼鏡店。

——「アイテックサイトウ」さんは歴史のあるお店だそうですね。

齋藤さん:祖父が1955年に「齋藤時計眼鏡店」として創業し、父の代で「アイテックサイトウ」と屋号を変えました。僕は3代目になります。祖父は県内に何人もお弟子さんがいる時計職人だったんですよ。今ではお弟子さんたちもご高齢になってしまって、時計の技術を持っている人はずいぶんと少なくなりました。

 

——ずっと商売が続いているのは、きちんと世代交代されているからなんでしょうね。

齋藤さん:僕は高校生の頃にはもう家を継ぐつもりでいたので、卒業後はメガネの専門学校で3年間みっちり学びました。今でも「もう1回学校に通いたい」と思うくらいです。学生の頃は何に役立つか分からなかった知識が、現場に出て「なるほど、これだったのか」と納得できるようになりましたから。

 

——メガネの専門学校だけじゃなく、時計の専門学校「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」にも通われたそうですね。

齋藤さん:新潟に戻って家業に入ろうと考えている頃、安価な眼鏡屋さんが乱立しはじめました。業界の先行きがどうなるのか分からないと両親に相談して、「時計技術も学んでくればいい」と言ってもらったんです。それで勤めていた都内の眼鏡ショップを退職して、改めて「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」のウォッチコースに入り直しました。

 

 

——通われたふたつの学校、どちらも専門的なコースだったと思います。やっぱりクラスメイトは、齋藤さんと同じくお家の仕事を継承される方々だったんですか?

齋藤さん:僕のいた学年では、そういうクラスメイトは少なかったですね。「東京眼鏡専門学校」では同学年50人のうち10人くらいだったし、「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」でも何十人かいたうちのふたりだけだったかな。

 

——じゃあサラブレットですね(笑)

齋藤さん:いやいやそんな(笑)。ちょっと話が横道にそれますけど、新潟に戻ってくる前「これから一生働かないといけないのか」と思ったら客観的に日本を見てみたくなって、数ヶ月バックパッカーをしていたんですよ。ベトナム、カンボジア、インドを転々として、日本での生活がどれだけ恵まれているのか肌で感じました。それまで東京のせかせかした暮らしに嫌気が差していたんですけど、改めて働ける喜びを思い知りましたね。

 

何もかもがうまくいく、人生を変える1本を提案。

——途上国を巡ってから、新潟で家業に就いたわけですね。そのときはどんな思いでしたか?

齋藤さん:最初は父との衝突がかなりありました。正確には衝突できずにモヤモヤしていたというか。父が大事にしていることが何か、僕も十分わかっていたんだけど、時代の流れもあるし僕なりにやりたいこともあって。お互いの考えにギャップがあったんですね。もう父は引退してしまいましたが、もう1度あの頃に戻れたらお互い素直に仕事ができるんだろうなと思います。

 

——お父さんは偉大な存在なんですね。

齋藤さん:お客さまから「先生」って呼ばれていましたからね。それが羨ましくて。お医者さんでもないのに「先生」なんてすごいですよね(笑)。でもそれだけご年配の方が多いということでもあったんです。

 

——でも「アイテックサイトウ」さんはスタイリッシュな内装で、おしゃれな雰囲気のお店じゃないですか。

齋藤さん:ありがとうございます。以前は「昔ながらの眼鏡屋」って感じでしたが、6年前に改装したんです。メガネは医療器具でもあるんだけど今ではファッションアイテムのひとつだし、ガラッと雰囲気を変えたいと思いまして。今までのお客さまはもちろん大事だけど、もっと年齢層の幅を広げて若い方も含めて来ていただける店舗にしたかったんです。今は2歳から100歳までのお客さまがいますよ。

 

 

——それは狙い通りでしたね。

齋藤さん:メガネ業界も大きな変化がありました。デザイン性、価格帯、ネガティブなイメージからファッションアイテムとしてポジティブなイメージに変わった。良い意味でも悪い意味でも随分変化してきていると思います。昔はメガネをしていたらお嫁にいけないなんて言われていた時代もあったくらいなのに、今では伊達眼鏡も当たり前ですもんね。一方でメガネは本来、視力を矯正するという医療器具という分類だったのが雑貨のような扱いにもなっています。きちんと視力に合っているか、目の位置に正しくフィットしているか危惧をしています。

 

——確かにメガネは手軽になりましたよね。「アイテックサイトウ」さんはプロとしてどんなふうにお客さんにフィットしたメガネを選ぶんですか?

齋藤さん:メガネがプラスの効果となるようにご提案しています。これだけの本数のメガネがある中で、お客さまご自身で似合うものを選ぶのはなかなか難しい。僕たちの仕事のひとつは、いちばん似合うメガネを選んで差し上げることだと思っています。

 

——メガネだけで顔の印象はガラリと変わりますもんね。

齋藤さん:その通りです。どんなお悩みがあるのか、どうなりたいか、どう見られたいか、普段どんなお洋服を着るか、前髪を下ろすことが多いかどうか、差し支えなければお仕事内容までヒアリングします。いろいろお話ししながら選ぶのがセオリーです。

 

——そんなに細かくヒアリングするんですか。

齋藤さん:お客さまの中にはメガネをかけたら仕事もプライベートも何もかもうまくいったという方もいらっしゃいます。僕はおおげさじゃなくて、メガネで人生を変えられると思っているし、そうなるきっかけをご提供できたら嬉しいですよね。

 

年間数千個の時計を修理。他では直せない腕時計の相談も多数。

——時計の技術についても教えてください。時計職人さんは高齢化しているそうですが、そうすると齋藤さんは数少ない職人さんなのでは。

齋藤さん:66歳の父が、とある時計の組合で最年少でしたから、僕がそこにいたらおじいちゃんと孫ほど世代の差があったでしょうね。世代交代や技術の伝承がうまくいっていないこともあり、時計修理ができるお店はかなり少なくなっているのが現状です。

 

——「アイテックサイトウ」には、どんな依頼があるんでしょう?

齋藤さん:腕時計の修理が多いですよ。おそらく、うちで修理ができなかったら対応できるところは他にないと思います。例えば年間数千個のご依頼をいただく中で、電池交換をお断りするケースは5年に1度あるかどうかです。どこに行ってもダメだったというお客さまからのご相談もあります。父から「正直に仕事をしろ」と言われてきたので、コスト面も常に頭に入れていて、できるだけ安く済む修理方法から考えるようにしています。

 

——時計修理の最後の駆け込み寺って感じですね。

齋藤さん:形見の時計だったり、就職記念で親御さんからプレゼントされた時計だったりを「もう一度使いたい」という方もいますからね。できるだけ全部対応したいですよね。

 

 

——「メガネの小売店」と思って取材にお伺いしましたが、お話を聞くとメガネと時計の「職人さん」のいるお店だとわかりました。

齋藤さん:ものを売るよりも技術を売る、どちらかというとそういう店だと思っています。

 

——まだまだ「アイテックサイトウ」さんは進化していくのでしょうね。

齋藤さん:年齢を絞ったお店とか、よりファッショナブルなアイテムを揃えるお店とか、コンセプト系の別店舗を作りたいとずっと思っているんです。それとは別にそうとうお金のかかる夢も持っているんですけど、それはちょっと非現実的かな(笑)。若い頃は保育士になりたい、美容師になりたいって思っていましたけど、この職が自分には合っていると思っています。誰かの魅力をより引き出すお手伝いが僕の天職ですね。そのために一生勉強しなくちゃいけませんね。

 

 

 

アイテックサイトウ

新潟市東区北葉町11-7

025-273-2917

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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