新茶シーズン真っ盛り!北限の茶処・村上「冨士美園」と村上茶。
ものづくり
2019.06.08
上品な味わい、素敵なパッケージ、最上級茶…村上茶の魅力を発信する「冨士美園」。
今まさに新茶シーズン真っ盛りの“北限の茶処”=村上。村上茶の歴史は古く、栽培の始まりは江戸時代初期の約400年前まで遡ります。最盛期の明治中期には650haもの茶畑が一帯に広がり、主要地場産業のひとつとして製品が海外へ輸出もされるほどの興隆を誇りましたが、時代の流れとともに次第に産業として縮小を余儀なくされていきました。
そんな村上茶の再興の一翼を担い、注目を集めているのが創業明治元年、150年の歴史を持つ茶舗『冨士美園』です。同園では「雪国紅茶」(2004年)を皮切りに、村上茶ペットボトル(06年)、高級ボトリングティー(17年)、「雪国烏龍」(18年)・・・など、それまでの村上茶にはなかった新機軸を相次いで商品化。高齢者を中心とする従来のお茶の消費者だけでなく、若者やオーガニック志向の人など、新たなファン層も開拓しています。同園の6代目・飯島剛志さんに、村上茶の魅力や商品化の裏話、将来の展望などについてうかがいました。

冨士美園
飯島 剛志 Goshi Iijima
1975年生まれ。冨士美園6代目。小・中・高時代はバリバリの野球少年(主に内野手)。大学浪人時代のある出来事をきっかけに、それまでほぼ未知の世界だった茶業に身を投じる決心をする。ことし3月に三男が誕生したばかり。

厳しい環境で育つ村上茶の魅力とは。
――本日はよろしくお願いします。いきなりですが、ズバリ村上茶の魅力とは?
飯島さん:いきなりですね(笑)。一言で表すのは難しいですが、北の厳しい環境で育った茶葉ならではの、豊かな味や香りが楽しめることですね。
――厳しい環境で育つと、味や香りが良くなるのですか?
飯島さん:常緑樹であるお茶の木は冬の間、雪の下で栄養分をじっくり蓄えます。それで茶葉に旨味や香りの成分が凝縮され、より美味しくなります。
――つまり「玉露」や「かぶせ」(人工的に日光を遮って味を引き出す高級茶の手法)を冬の間、自然にやっているという感じですか?
飯島さん:ごく簡単に言えばそうです。村上は決してお茶の栽培に適した環境とは言えず、収量の面では静岡や九州などの温暖な大産地にはとても太刀打ちできませんが、逆にその厳しい環境があるからこそ、味や品質の面で他産地にはない特徴を出せるのだと思います。
――村上茶は県外大産地のお茶に比べ、オーガニックな面でも注目を集めているそうですね。
飯島さん:それもまた村上の気候風土あってこその成果です。つまり、お茶の木は雪の下で育ちますが害虫は寒すぎて冬を越せない(笑)。なので、温暖な他産地に比べ低農薬での栽培を実現できるのです。

「あったらいいな」をカタチにする、冨士美園の商品群。
――冨士美園さんでは、村上茶の新商品をどんどん世に送り出していますね。
飯島さん:自分が一消費者として「あったらいいな」と思うものを作っています。
――村上茶のペットボトルを開発した背景には、悔しい思いがあったとか。
飯島さん:悔しいというほどでもないですが(笑)。行政の会議や地域の集会でペットボトルのお茶が配られることってよくあると思うんですけど、ある日出席した地元の会議で大手メーカーのペットボトルが机にズラッと並んでいるのを見て、「地元にもお茶があるのに・・・」と疑問に思ったんですよね。それで、ならウチで作ろう、と。今では上越新幹線などでも車内販売もしてもらっています。
――「雪国紅茶」も、お洒落なパッケージや上品な味わいで人気を集めています。
飯島さん:ありがとうございます。ただこれ、全くの新商品ではなく「復刻商品」なんですよ。村上茶の歴史は古く、明治期には紅茶を作って海外に輸出していました。ラベルのデザインも、当時輸出で使っていた「蘭字」というラベルを基にしています。この雪国紅茶をきっかけに村上茶を知ってくれた方も多くて、とても嬉しいです。
――昨年にはついに1本2万円の高級ボトリングティーも発売しました。試飲させてもらいましたが、これまでのお茶の概念を覆すような美味しさです!
飯島さん:そうですね。いわばお茶の大吟醸、最上級品です。低温抽出で茶葉の旨みを最大限に引き出しています。お酒が飲めない方もワインのような感覚で、料理に合わせて楽しんでほしいですね。受注生産で正直値段は張りますが、リピーターの方や高級レストランからもご注文をいただいています。


お茶について、何も知らないところからはじまった。
――次々とアイデアを実現している飯島さんですが、当初は茶業に就くとは夢にも思っていなかったとか。
飯島さん:そうです。もともとお茶屋でも農家でもなく、普通のサラリーマン家庭で生まれ育ちました。自分も高校を卒業後は、大学に進学して医療関係の仕事に就くつもりでした。
――転機は何だったのでしょう?
飯島さん:父が脱サラし、実家の冨士美園を5代目として継ぐことにしたのがきっかけです。父は10人きょうだいの末っ子だったのですが、家業をなくしたくない一心で安定した職を捨ててチャレンジする心意気に感化され、私も茶業の道に飛び込むことにしました。当時は大学浪人中だったのですが、すぐに荷物をまとめて都内の大きな茶舗へ住み込みで修行に出ました。
――それまで、お茶については?
飯島さん:ほとんど何も知りません(笑)。なので、本当にゼロからのスタートでした。父はサラリーマン時代に培ったスキルや人脈を活かして営業・販売をするので、私は栽培や製造の方面のスキルを磨こうと、先の茶舗で3年間の修行ののち、静岡の野菜茶業研究所で2年間学びました。全国のお茶処から来た後継者たちと机を並べ、農業・製造業としての茶業を一から学びました。
――帰郷してまず手掛けたことは?
飯島さん:父が入るまで実家は廃業するつもりだったので、茶畑は休耕状態、製茶機械も処分されていました。なので自分は静岡から、研究所の伝手で購入した中古の製茶機械といっしょに村上に帰ってきました(笑)。そして地元の同業者の先輩や行政と協力して、地元産茶葉の生産量拡大や製茶技術の向上に取り組みました。これらは今も続けていますが。

家に急須がない時代に、村上茶を飲んでもらうための取り組み。
――2013年には茶摘の一部機械化を実現し、2015年には同業他社と合同で製茶の一時加工場を作るまでに生産が拡大してきました。
飯島さん:まだまだこれからです。村上茶の最盛期、明治中期ころには650haもの茶畑が拡がっていましたが、戦争や戦後の開発によりどんどん減り、今は一進一退で20haほどです。これが100haほどにまでなれば、産地として一定の経済規模となり、茶葉の生産が“儲かる”仕事となります。当面はそれが目標になりますね。
――製茶技術の面では、手もみ茶で全国規模の品評会や技術競技大会で好成績を出し続けていますね(同業他社の若手有志でつくる村上茶手揉保存会で出品・出場し、品評会では過去4度の一等、競技会では過去2度の最優秀賞を獲得)。
飯島さん:手揉み茶は実際に販売もしていますが、手揉みで得られることを機械製茶にもフィードバックすることが、村上茶全体の底上げ、レベルアップにつながります。ここ数年は自分より若手が入ってきてくれたので、将来的に心強いです。
――最後に、今後の野望を聞かせてください。
飯島さん:いろいろありますが、直近では今秋、店舗に体験型カフェを併設する計画です。もはや急須が家にない時代、ティーパックやペットボトルなども商品化してきましたが、もう実際にこちらに来てもらって飲んでもらおう、という取り組みです。村上はもちろんお茶のほかにも、魅力的なコンテンツが本当にたくさんあります。カフェが村上に足を運ぶきっかけのひとつになれば、と思っています。みなさん、ぜひ村上に来て下さい!
――着実に基盤を固めながら、前に進んでいるんですね。本日は新茶時期の大変お忙しい中、ありがとうございました。

■主な商品(価格は税抜)
村上茶 400円~
雪国紅茶 500円~
雪国烏龍 700円
村上茶ペットボトル(350ml)150円
雪国紅茶ペットボトル(同)160円
村上茶ソフト 350円
村上茶ジェラート 350円
ボトリングティー(受注生産)
「村上茶 PREMIUM KANEEI」(720ml)20,000円
「雪国紅茶 MURAKAMI Black Tea」(同)8,000円
「村上茶 雪国煎茶 FUJIMIEN」(同)8,000円

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