新年あけましておめでとうございます。Thingsは今年もいろいろな新潟の人をご紹介し、意外なエピソードやときにはホロリとした人情話などをお届けして参ります。読者の皆さん、本年もどうぞよろしくお願いします。元旦の今日は、新潟の総鎮守としても知られる「白山神社」の宮司、小林さんにお話を聞いてきました。実は昨年の能登半島地震の影響で本殿の屋根などに修理が必要となり、寄付を募っているのだそうです。関心のある方はぜひ「白山神社」ホームページなどで詳細をご確認ください。
白山神社
小林 慶直 Yoshinao Kobayashi
1981年新潟市生まれ。国学院大学文学部神道学科(現:神道文化学部)を卒業後、「明治神宮」と全国の白山神社の総本宮である石川県「白山比咩神社」で修行。その後、新潟に戻り「白山神社」に入る。2020年より宮司に就く。
――元旦に「白山神社」をご紹介できるなんて、今年もいい年になりそうです。せっかくなので小林さんのことも教えてください。「白山神社」に奉仕されるまでは、どんなご経験を積まれたんですか?
小林さん:大学を卒業してから、「明治神宮」で2年間、それから石川県、岐阜県、福井県にまたがる「白山」の麓にある白山神社の総本宮「白山比咩神社」で1年間修行をしました。「明治神宮」には、私と同じような境遇の方が全国からたくさん修行に来ていたんですよ。鎌倉の名のある神社の息子さんとか初詣に200万人が足を運ぶほどの神社の後継ぎとか。
――「白山比咩神社」でのお話も聞きたいです。
小林さん:「白山夏山」といって、シーズンになると大勢の方が白山を訪れます。山頂に開設される「白山奥宮祈祷殿授与所」に、1週間交代で出仕したこともありました。標高2,702メートルの職場です(笑)
——小林さんが「白山神社」に戻ってきてから、15年以上経ちますよね。やっぱり神社でのお役目は、経験とともに変わるものなんですか?
小林さん:若手の仕事は、この世界でもありますよ。汗をかく仕事だったり、新人ならではの役目があります。どの家業もそうでしょうけれど、次期後継者がすぐに実家で働くとなると、まわりの職員さんは教育しにくいかもしれません。そういう意味では、他で厳しく基礎を学んだことは大事だったかなと思います。
――何代目の宮司さんなんでしょう?
小林さん:18代目になります。戦国時代に資料が燃えてしまって、それ以前の記録は残っていません。そこから数えて18代目なんですね。
——じゃあ、もっともっと前から代々続いていたかもしれないですね。
小林さん:神社の歴史としては、だいたい900年から1,000年ほど前からこの地にあっただろう考えられています。というのは、日本海側の北前船の港には「白山神社」がありまして、糸魚川市の「能生白山神社」、鶴岡市の「白山神社」の創建時期からして、新潟市の「白山神社」だけが新しいとは考えにくいという理由です。
——北前船とも関係が深いとは、興味深いです。
小林さん:北前船の時代は、「白山神社」の駐車場から向かいの裁判所があるあたりまで、米蔵が軒を連ねていたそうです。そこに保管された年貢のお米を大阪まで運んで商売をしていたんですね。その頃から、港の安全や商売繁盛、豊作などのお願いごとをされる方が大勢「白山神社」へいらっしゃいました。ここは交流の場でもあったんです。
——宮司さんというお役目についても教えてください。
小林さん:宮司は神社の代表を意味します。一般企業でいう社長ですね。職業は神主ですので、祝詞を読み、家内安全、交通安全など皆さまのお願いごとを神様にお伝えする「なかとりもち」の役目を果たします。「白山神社」には年間100近いお祭りがありますので、そのときも「なかとりもち」としてご祈祷をします。
——そんなにお祭りがあるんですか。
小林さん:いちばん大きなお祭りは、7月15日。「白山神社」が鎮座した日をお祝いする大祭です。
——そういえばお隣の「白山公園は、去年開園150周年を迎えたと聞きました。
小林さん:新潟は開港5港のひとつです。今から約150年前の開港時、外国の船がたくさんやって来るようになりました。そこで新潟に西洋の文化を取り入れる必要があると、当時流行っていた「公園」を作ることにしたのだそうです。「じゃあ、どこに公園を作ろうか」「人が大勢集まる場所がいいだろう」と、「白山神社」が選ばれました。もともとは「新潟遊園」でしたが、白山神社の隣にある公園なので、皆さんが「白山公園」と呼ぶようになって名前が変わったそうです。
——それが「白山公園」の由来だったとは。
小林さん:公園を作るにあたり、「白山公園」内に点在していた小さな神社を壊したため、その神社の神様が「白山神社」にお引越しされました。なので、本殿には18の神様がいるんです。
——「白山神社」には神様がたくさんいるというお話は、そういうことだったんですね。
小林さん:代表する神様は「くくりひめ」です。日本書紀に登場する神様で、とある夫婦が口論になった際に間に入って仲直りさせたと言われています。日本書紀には、縁結び、夫婦円満、家内安全の神様と記されています。
——現在「白山神社」では、「令和の御造営事業」を行なっているそうですね。
小林さん:去年の元旦に起きた能登半島地震の影響で、皆さんにお参りしていただく拝殿、本殿にの銅板屋根から雨漏りするようになりました。銅板の屋根は、50年〜60年が寿命のようですけれど、「白山神社」の場合、65年が経っております。すでに限界を迎えているため、皆さまからの寄付をお願いしています。銅板にお願いごとを書いていただくこともできます。向こう60年神様と一緒ということは、なかなかないことかと思いますので、ぜひともご協力をお願いします。(詳しくは特設サイトをご覧ください。)
――「白山神社」が新しく生まれ変わるタイミングなんですね。
小林さん:ちょっと妙な言い方ですが、この工事を機に「神社を新しくする」のではなく「古くしたい」と思っているんです。昔のまま残したい考えがあるんですね。お祭りにはヨーヨー釣りとか金魚すくいとか、そういう昔ながらの屋台が並んでいて欲しいなと思っています。もちろんバリアフリーなど現代の便利な機能は取り入れつつ、ずっと続いてきた文化を継承して、次の50年、100年先に向けて作り直したいと考えています。
——それから今年は巳年。「白山神社」には、蛇にまつわる神社もあるんですよね。
小林さん:本殿の裏に「蛇松明神」があります。江戸時代に起きた大洪水の際、私の先祖が光り輝くものを見つけました。それは、水におぼれて息も絶え絶えだった白い蛇だったとか。蛇を助け、神社境内の老松に置いたところ、蛇は美しい姫に姿を変え「この神社の守り神となります」と言い残して姿を消した。そういった逸話があります。願いが叶うというので、昭和の時代になって神社が作られたんですよ。
——最後に、小林さんがいつもどういうお気持ちで参拝者さんをお迎えになっているのか教えてください。
小林さん:「白山神社」へのお願いごとはさまざまですが、赤ちゃんの初宮参りや七五三、安産祈願などに祝詞をあげることが多くあります。人生のおめでたい瞬間に立ち会う仕事をさせていただいていますので、皆さんの健康や幸せを心から願っています。次の世代を担うお子さんが笑顔になって、「白山神社って楽しいな」という思い出になればありがたいなと思います。
白山神社
新潟市中央区一番堀通町1-1