新発田市にはたった一人で新潟県特産いちごの「越後姫」を作っているいちご農家の女性がいます。その女性の名は若杉智代子さん。収穫した越後姫でドライフルーツを作り、「Ichi-Rin 苺禀」というブランドを立ち上げて直販所などで販売もしています。なぜたった一人でいちご農家を始めることになったのか。なぜいちごのドライフルーツを作ることになったのか。若杉さんにお話を聞いてきました。
Ichi-Rin 苺禀
若杉 智代子 Chiyoko Wakasugi
1971年新発田市生まれ。東京の専門学校で英文秘書を学んだ後、イベント会社で仕事を経て新潟へ。結婚後、ハワイで3年間生活。2004年に新発田に帰り、体調を崩した父の思いを継ぎいちご農家を始めることになる。2015年に認定新規就農者として新発田市米倉地区にハウスを1棟建設。新潟特産いちご「越後姫」の栽培や加工品製造販売を行っている。
——若杉さんはお一人でいちごの栽培をしているんですよね? 以前からやってみたいと思っていたんですか?
若杉さん:いいえ(笑)。高校を卒業してから、東京の専門学校で英文秘書の勉強をしてたんです。その後はイベント会社に就職して学会運営の仕事をやってました。でも、新発田の親に呼び戻される形で実家に戻って、派遣会社の仕事をしたんです。そのときに派遣先で夫と知り合って結婚したんですけど、夫がハワイの大学で英語の勉強をすることになったので、夫と一緒にハワイで3年間暮らしてたんですよ。
——東京、新潟、ハワイ、あちこちで生活していたんですね(笑)。そこからどうして新発田でいちご栽培を始めることになったんですか?
若杉さん:日本が恋しくなってしまって、夫の卒業と同時に日本に帰国しました。それからは新発田市に住んでパートタイマーで働いていたんです。そんなある日、私の父が新潟特産いちごの「越後姫」の栽培を始めたいと言い出したんですよ。父は黒毛和牛の飼育と稲作をやっている農家だったんです。父の農園がある新発田市の米倉地区は稲作が盛んなんですが、これからはビニールハウスで野菜や果物を栽培する施設園芸が必要だということでした。ただ、その準備をしている最中に父が体調を崩してしまいまして…。
——ああ、それで若杉さんが引き継いだんですね。
若杉さん:私に白羽の矢が立ったんですけど、最初はいやだって断ったんです(笑)。私は農家で育ったので親が苦労してるのを目の当たりにしてきましたし、まして、農業のことなんて全くわかりませんし、当時は2人の子どもの子育て中でしたからとても無理だと思いました。
——なるほど。たしかに大変ですよね。でも、引き受けることになったんですよね?
若杉さん:発注済みだったビニールハウスの建材がどんどん届いちゃうし、何より、父の思いも強かったですからね。ついに私も決心して2013年から越後姫の栽培を始めることになったんです。
——越後姫を栽培しているビニールハウスは1棟だけなんですか?
若杉さん:はい。新潟県からは2棟で始めるように推奨されたんですけど、とても一人では管理できないので1棟で始めさせてもらったんです。農業なんて全くの素人でしたし不安しかなかったんですけど、ビニールハウスは着々と建っていくし、待ったなしの状態で泣き言を言ってる暇もないので、とにかくやるしかありませんでした。
——農業経験が全くないということなんですけど、どんな風に栽培についての勉強をしたんですか?
若杉さん:新潟県が主催している越後姫栽培技術確立研修を受講したり、新潟県が発行した「越後姫」の栽培マニュアルを参考にしたりしました。あと、農協の越後姫担当者や新潟県の越後姫栽普及員の方々から指導していただきました。普及員の方は大変厳しかったですけど、おかげで栽培1年目にして「新潟県施設園芸立毛品評会」で賞をいただくことができて、とても励みになりましたね。当時はとにかく目の前のことをやって、言われたことをこなすという感じで必死でした。
——大変そうですね…。越後姫の栽培をするときに気をつけていることはありますか?
若杉さん:いちごって直接口に入るものじゃないですか。だからできるだけ綺麗な環境で栽培するよう衛生には気をつけてます。そういう意味では、ハウスが1棟しかないので手入れが行き届くんです。あと、いちごを丈夫に育てるために気を使っているのが苗作りです。いちごの収穫は1月〜7月まで続くんですけど、苗作りで失敗してしまうと、長丁場を乗り切ることができない馬力のないいちごになってしまうんです。ビニールハウス内の温度、湿度、二酸化炭素濃度はいつもスマートフォンで管理して、データを蓄積してます。
——へ〜、品質を維持するにはデータが大切なんですね。
若杉さん:「越後姫」の栽培を始めたときにはなんの実績もなかったから、手がかりになるものが全然なかったんです。ですから、自分で栽培をしながら取ったデータとか、人から教えてもらった知識を栽培ノートに書き溜めていきました。そのノートを毎年見返しながら栽培してますね。でも、いまだに自分がなぜ農家をやっているのかって思うときがあるんです(笑)
——「 Ichi-Rin 苺禀」というブランドを立ち上げたのはどういう理由からなんですか?
若杉さん:とにかく他のいちご農家と競合したくなかったんですよ。でも実際は競合相手がいっぱいいるのに、販売先って少ないんです。だからできるだけ競合しなくていい方法はないかと考えたんです。それで思いついたのが加工という方法だったんです。周辺の農家は管理するハウスの棟数が多くて、栽培や収穫で手一杯になっちゃうから加工までは手が回らないんです。それで、いちごのドライフルーツを作ってみようと思い「Ichi-Rin苺禀」という商品名をつけたんです。
——なんでジャムではなくドライフルーツを選んだんですか?
若杉さん:いちごの加工品というと真っ先にジャムを思いつくんですが、ジャムはいろんなところがやっているので、私の規模で参入しても勝ち目がないのはわかってたんです。そこで思いついたのがドライフルーツでした。当時は東京を中心にドライフルーツが流行り始めていたんです。そこで2017年に商品化することになったんです。
——見た目もハート型でかわいいし、パッケージもお洒落ですよね。
若杉さん:製品はもちろんパッケージにもこだわりましたね。地元の女性デザイナーに依頼して、デザインのやり取りは1年近くかけて相当な回数重ねたんですよ。赤いドライいちごが引き立つように、白を基調とした彩度の低い色合いにしたんです。お洒落なパッケージにしたのは、まずは東京で販売して流行ってくれたらいいなっていう思いもあったんです。
——ドライいちごはどんなところで売ってるんですか?
若杉さん:2018年に加工所を兼ねた直売所を新発田市の五十公野に作ったんです。その直売所やオンラインショップ、新潟伊勢丹とかで販売してます。その加工所を作った理由の一つに、障がいのある私の息子が将来働ける場所を残したいという思いもあったんです。
——加工とかの作業も若林さん一人でやってるんですか?
若杉さん:ビニールハウスの管理は私一人でやってますけど、加工は障がい者支援施設の方にもお願いしてます。今後もそういった農福連携を続けていきたいと思っています。
——その他に今後やっていきたいことってありますか?
若杉さん:「ハウス1棟いちご農家プロジェクト」っていう活動をやってみたいんです。たとえば5棟のビニールハウスを建てて、主婦の方に1人1棟ずつリースします。そうすることで、パートに出るような感覚で農家になれるわけです。主婦っていろいろなストレスを抱えていると思うんです。私もそうだったからわかるんですよ。でもビニールハウスでいちごに向かうと不思議とストレスがリセットされるんです。お母さんが明るくなれば、子どもも家庭も明るくなると思うんですよ。また、お母さんがいちごを作っている姿を子どもに見せることで食育にもつながると思うし、その子どもが農家を目指してくれたらいいなって思いますね。
——それは素晴らしいプロジェクトですね。あと「Ichi-Rin苺禀」の方では新商品の予定とかあるんですか?
若杉さん:とりあえず来月限定で新商品の「生クリームいちごサンド」を販売する予定です。地元新発田の「あかたにヒュッゲ」が作る食パンとコラボして、「越後姫」、生クリーム、マスカルポーネを使ったスイーツなんです。2月1日から「Ichi-Rin苺禀」直売所で販売しますので、楽しみにしていてほしいですね。
——最後に「越後姫」に対する思いを聞かせてください。
若杉さん:「越後姫」っていう名前の通りお姫様だと思って扱ってます。たまに「はねだし」といって形のおかしいものがあったりしますけど、それも個性だと思って1つ1つが輝けるように育ててます。あと、私が一人でいちご農家をやってこれたのは家族の助けがあったからこそだと思ってます。子どもから気遣う声をかけてもらえたりすると、私のがんばる姿をちゃんと見て来てくれたのかなって嬉しくなりますね。
「苺禀」の「禀」という字には「生まれ持った運命を生きる」という意味があるそうです。お父さんの意志を継ぐ形で、最初はやむなく越後姫農家を始めることになった若杉さん。でも、前向きに新発田の農業について考えている姿勢は、まさに「生まれ持った運命を生きる」という言葉がふさわしく、若杉さんの作る「越後姫」ブランドにぴったりな名前だと思います。越後姫の収穫は、これからが本番です。
Ichi-Rin 苺禀
〒957-0021 新潟県新発田市五十公野6805-2
080-2248-6427
11:00-17:00
不定休(要電話確認)