もうすぐ節分です。皆さんの家庭ではどんな豆をまいていますか? 新潟市では落花生を殻ごとまく家庭が多いようで、私の家でも殻付き落花生をまいていました。拾いやすくて後片付けが楽だし、拾ったら食べることもできるから合理的ですよね。今回は100年近く豆を売り続けてきた、「にいがた人情横丁」にある「笠原豆店(かさはらまめてん)」を紹介します。照れ笑いがキュートな三代目店主の笠原さんから、いろいろなお話を聞いてきました。
笠原豆店
笠原 盡子 Jinko Kasahara
新潟市中央区生まれ。三代目店主。県職員を経て1969年より家業の「笠原豆店」で働きはじめる。音楽健康指導士やカーリンコンインストラクターの資格を持ち、ボランティアで教えている。
——「笠原豆店」はずっとこの「にいがた人情横丁」で営業してきたんですか?
笠原さん:そうそう。でもその前は下本町でやっていたんだよね。
——へぇ〜。創業はいつ頃なんですか?
笠原さん:おじいさんが昭和2年にはじめたから、もう94年くらいになるろっかねぇ……。
——約100年……。めちゃめちゃ老舗なんですね。「にいがた人情横丁」ができたのは?
笠原さん:73年前だから、昭和26年頃かな。市場が建っているところに「二番堀」っていう堀があったんらこってさ。それを埋めることになったから、みんなでお金を出し合ってこの市場を建てたんですて。堀に掛かっていた「浦安橋」っていう橋の跡が今でも残ってますわね。
——堀の上に建てた市場だったとは。
笠原さん:当時は魚屋さんばっかりらったね。うちは豆屋で火を使うすけ、いちばん端で営業することになったんろも、その頃からほとんど変わらず続けてきたねぇ。
——70年以上前の建物っていうのが貴重ですよね。新潟大火や新潟地震でも被害に遭わなかったんでしょう?
笠原さん:平屋みたいに低い建物だったのが良かったんじゃないろっか(笑)。新潟地震のときは揺れたろも壊れなかったし、新潟大火のときは火が上を通り過ぎていったんじゃないかって聞いてましたて。
——運がいいというか何というか……。市場のなかに神社があるので、神様に護られているのかもしれませんね。
笠原さん:あの「白龍大権現」も、この市場と一緒につくったそうなんですて。この市場も本当は「本町中央市場商店街」っていう名前なんろも、よそにも同じような名前の商店街があって紛らわしいすけ、「人情横丁」と「人間横丁」の二案で多数決を採って「人情横丁」に決めたんこってね。
——お店が商品で埋もれそうですけど、いったいどれくらいの商品があるんですか?
笠原さん:お菓子とかも入れれば、500〜600種類はあるんじゃないろっかね。
——買いに来るのは常連さんが多いんでしょうね。
笠原さん:うちは三代目らろも、お客さんも三代目になってたりするっけね。常連のお客さんになると、商品の山から自分で出して買っていくっけね(笑)。もう少しすると節分が来るすけ、ちょっと忙しくなるかな。
——やっぱり節分には豆まき用の豆が売れるんですね。
笠原さん:神社やお寺での豆まき行事にも使ってもらっているっけね。
——「にいがた人情横丁」にも、ここ数年の間に新しいお店が増えましたよね。お客さんには変化があったんでしょうか?
笠原さん:以前はほとんどが買い物客らったろも、最近は観光客が増えたね。外国人も結構来るよ。英語じゃなくて新潟弁で対応してるんろも、とりあえずは何とかなってるね(笑)。折り紙でつくった鶴をサービスにつけてあげると、とっても喜んでくれるんだわ。
——外国人観光客も喜ばせてしまうとはさすがです(笑)。
笠原さん:その一方では、ひとり暮らしのお年寄りがやってきて、昔話をしていったりするんだわ。家にいても話相手がいないからね。昔と比べるとお客さんとの交流は少なくなったよね。
——振り返ってみると、昔の方が良かったですか?
笠原さん:ずっと昔のままっていうわけにもいかないっけ、若い人たちの意見を聞きながら市場を新しくしていきたいね。イベントもいろいろ企画していて、「ミモザ祭」っていう新しいイベントも予定しているんだわ。それに備えて百円ショップでミモザの造花を買ってきたこてさ。
——へぇ〜。盛り上がるといいですね。
笠原さん:学校の授業の一環で地元の小学生が手伝いに来るんだけど、子ども達が喜んでくれてお礼の手紙なんかくれると、こっちも嬉しくなるよね。これからも地元を大切にしながら、観光のお客さんにも足を運んでもらえるような。活気のある商店街にしていきたいね。
笠原豆店
新潟市中央区上大川前通6番町1202 にいがた人情横丁内
025-223-4640
8:30-18:00
日曜休