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New Eyes Niigata #01 ウェイティン

  • New Eyes Niigata
  • 2025.10.25

目に映るもの、出会う人、そして日々の生活……海外から新潟にやってきた人たちは、今、この街でどんなことを思い、感じているのでしょう。新シリーズ『New Eyes Niigata』では、海外出身の皆さんが歩んできたこれまでの人生の物語を振り返りながら、彼らが「新潟」という新しい環境で見つけた、小さな発見や気づきをお伝えしていきます。

 

1回目は、台湾出身で現在パティシエ見習いとして修業中のウェイティンさんです。新潟へ来る以前はグラフィックデザイナーとして働いていたんだとか。どのような経緯でお菓子づくりの道へ進むことになり、新潟で暮らしはじめることになったのか。その背景には、ある旅での出会いがありました。

 

 

企画/プロデュース・北澤凌|Ryo Kitazawa
イラスト・桐生桃子|Momoko Kiryu

 

自転車で日本をめぐる旅が、新潟での出会いを生んだ。

――いまは新潟で暮らしていますが、日本にはじめて来たのはいつ頃だったんですか?

ウェイティンさん:2018年に、自転車で本州一周の旅をしたのが最初でした。 台湾から成田に着いて、西回りで、日本海側を北上して青森まで行きました。

 

――いきなり自転車で本州一周とは、思いきりましたね(笑)。回りきるのにどのくらいの時間がかかるんですか?

ウェイティンさん:早い人は2~3カ月で回ります。でも私は急がない旅が好きなので、気になる街で足を止めて、歩いたり食べたり、写真を撮ったりしながら、半年くらいかけて回りました。

 

――自転車にこだわった理由はなにかあったんですか?

ウェイティンさん:よく「自転車って不便じゃない?」と言われるんですけど、自転車はいつでもどこへでも行けます。公共交通機関は時間を気にしないといけないし、車の移動は駐車スペースがある場所に限られます。だから、時間や場所に縛られず、自分のペースで自由に移動できる自転車が好きなんです。

 

――とはいえ、雨や風で大変な日もありそうな……。

ウェイティンさん:静岡から愛知へ向かっていたとき、逆風が強すぎて前に進めない日がありました。その日は目的地の宿を予約していたのに、力尽きて途中で動けなくなったんです。寒い時期だったので、寝袋にくるまっていたら、そのまま眠ってしまって……。

 

――えっ、どうなったんですか??

ウェイティンさん:数分後に目が覚めて、「このままじゃ危ない! 」って飛び起きて、急いで近くのネットカフェに駆け込みました。それ以来、各地でネットカフェを利用するようになって、気がつけば会員カードが18枚も集まっていました(笑)

 

 

――18枚も集まると、旅の記録にもなりますね。新潟には、その旅でやってきたんですか?

ウェイティンさん:はい、沼垂テラスにある「青人窯」という陶芸工房を訪ねました。そこでアルバイトをしていた女性に出会って、一緒にフィルムカメラで写真を撮ったんです。実はその女性が、いま一緒に暮らしているパートナーなんですよ。

 

――はじめての出会いから、交流が続いていったんですね。

ウェイティンさん:旅が終わって台湾に帰ったあと、現像した写真をお店に送りました。そうしたら、オーナーさんが彼女の連絡先を教えてくれたんです。それ以来、メッセージでのやり取りがはじまって、彼女が台湾に来てくれたこともありました。私も日本に行きたかったけど、コロナで飛行機が止まってしまっていた時期で。2022年にようやく飛行機の運航が再開されたので、新潟の語学学校へ留学の申請をしてやってきました。

 

――ウェイティンさんは、日本語がすごくお上手ですけど、勉強って大変でしたか?

ウェイティンさん:台湾にいたときから独学で勉強をしていたので、あまり大変だとは思いませんでした。入学前の日本語能力試験では、5段階中の上から2番目の評価を取ったんです。先生には「あなたはもう通わなくても大丈夫」と言われて、半年で卒業できました(笑)

 

デザインからお菓子づくりへ。新潟ではじまった、新しい挑戦。

――語学学校を卒業してからは、どうしたんですか?

ウェイティンさん:日本でパティシエを目指したかったので、製菓専門学校へ進みました。もともと台湾でグラフィックデザイナーをしていたんですが、ひとり暮らしをはじめてから料理をつくるようになって。その料理を友達に振る舞ったときに「美味しい! 」と喜んでもらえたのが、すごくうれしかったんです。それから自分の手でつくったものを食べてもらって、人を笑顔にできる、そんな仕事がしたいと思うようになりました。

 

――料理にはいろんなジャンルがあると思います。どうしてお菓子づくりの道へ?

ウェイティンさん:ご飯を食べに行くときって、「今日はつくるのが面倒だから外で済まそう」っていう理由もありますよね。でも、スイーツはそうじゃないと思うんです。「あのお菓子が食べたいから、あのお店に行こう」って、ハッキリとした目的があって選ばれます。自分もいつかそんなふうに選ばれるパティシエになりたいと思うようになったんです。

 

 

――パティシエという職業について、日本と台湾で違いを感じるときはありますか?

ウェイティンさん:台湾はすごく学歴社会で、職人という仕事があまり尊敬されない雰囲気があります。でも日本では、パティシエを含めた職人に対してリスペクトが強いですよね。だから、お菓子づくりを学ぶなら日本がよいと思いました。

 

――パティシエとして働きはじめてみて、いかがですか?

ウェイティンさん:職場は厳しいです(笑)。私はまだ見習いなので、これから学ばなきゃいけないことがたくさんあります。でも、お客様の笑顔を見ると心がすごく満たされますね。

 

――ちなみに、普段の生活で使っている、台湾の調理道具や食材があったら教えてください。

ウェイティンさん:ひとつは、台湾製の炊飯器です。炊く・蒸す・煮るがこれ一台でできるんです。台湾の家庭ではどこも当たり前のように使っていて、ずっと慣れ親しんできた器具なので、日本でも欠かせないと思って持ってきました。

 

 

ウェイティンさん:それから、緑豆糕(リュートーコー)をつくるための木型。日本でいう饅頭みたいな、台湾の伝統的なお菓子をつくるときに使っています。

 

 

ウェイティンさん:調味料はいくつか持って来たんですけど、八角や白きくらげ、ナツメは台湾料理にもよく使われています。甘いものやスープ、どんな料理にも使えて、薬にもなる万能な食材です。

 

 

――台湾だと屋台や市場が多いですよね。新潟だと買い物をする環境も変わって、大変だったんじゃないですか?

ウェイティンさん:最初は本当に困りました。料理をするとき、なるべく自分でダシを取るようにしているんです。例えば鶏スープなら、鶏の骨を入れて煮込みます。台湾の市場では、肉が丸ごと売られていて、その場で必要な部位に切ってもらうのが普通なんです。でも、日本のスーパーでは、限られた部位の肉やスープの素が大半ですよね。骨はあまり売っていなくて、食材を探すのに苦労しました。

 

――暮らしてみて気づいた、新潟の魅力ってありますか?

ウェイティンさん:まずは、田んぼの景色と空の広さです。私が住んでいた台北(台湾の首都)は高いビルが多くて、季節の変化を目で感じにくい場所でした。新潟では、田んぼや山の色が暮らしのなかで少しずつ変わっていくのがはっきりわかります。そこがすごく魅力的です。あとは、野菜や果物も豊富で、料理好きとしては本当にありがたいです。日本は年々食料自給率が下がっていますが、新潟は全国的に見ても自給率が高いですよね。普段から食材にこだわって料理をしているので、そのありがたさを実感します。

 

――最後に、ウェイティンさんのこれからの目標について教えてください。

ウェイティンさん:目標はやっぱり自分の店をやりたいですね。大きなお店じゃなくてもいいから、足を運んでもらえて、ひとつのお菓子をじっくり楽しんでもらえるような場所で、台湾の香りと新潟の季節を届けたいです。いまはまだいちばん下の新人ですが、いつか自分の店で、みんなを笑顔にできるスイーツをつくりたいです。

 

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