乾物と塩干などを扱う「にいがた石山」は、人情横丁ができた当初からお店を構えてきた創業70年の老舗店。今回は社長の石山さんに、お店のこれまでのことや今の時期にぴったりなおすすめのお中元などについて、いろいろとお話を聞いてきました。
にいがた石山
石山 幸二 Koji Ishiyama
1972年新潟市生まれ。「石山商店」3代目代表取締役。16歳でアメリカに留学し、現地の高校、大学を卒業。その後、アメリカの日本通運で働き、38歳で日本に帰国。家業の「石山商店(にいがた石山)」に入る。
——まずは石山さんのプロフィールを教えてください。
石山さん:16歳のときにアメリカに留学して、そのまま22年間暮らしました。日本に帰国したのは38歳でしたね。
——えぇ?! そんなに長い期間アメリカにいらしたんですか。
石山さん:小さい頃から、うちにはいつも留学生が来ていたんですよ。その中のひとりがアメリカに帰国することになって、「今度はあなたがこっちで暮らしてみたら」と誘われたんです。兄も留学していましたし、僕も家族も留学にはあまり抵抗がなかったですね。
——じゃあ、アメリカの学校を卒業してそのまま働いていたってことですか?
石山さん:ウィスコンシン州の高校を卒業して、ミネソタ州の大学で発達心理学を学びました。それからアメリカの「日本通運」に就職して、輸出関係の仕事や営業所の立ち上げなどをしていたんです。
——ちなみに帰国の決め手は?
石山さん:う〜ん。いくつか理由はあったかな。ずっと家業に興味があったし、今はもうすっかり元気ですけど母親が体調を崩したってこともありました。両親は「もう自分たちの代で終わりにしようか」と思っていたみたいですね。そしたら、常連さんが「やめられると困るんだけど」って僕にメッセージをくれるようになって。
——アメリカではキャリアを積まれていたでしょうし、日本に戻ることに迷いはありませんでした?
石山さん:アメリカでの仕事や暮らしは順調だったし、向こうが嫌になって日本に戻ったわけではないです。でもやっぱり「蛙の子は蛙」なんでしょうね。離れていてもずっと家のことが気になっていました。それに僕は家を継ぐための修業をまったくしていなかったから、父と母からいろんなことを教わるつもりでいたんです。もし、ふたりが寝込んでしまうことがあったりしたら仕事は覚えられないわけです。「早期退職して、50歳を過ぎた頃に日本に戻ればいいかな」なんて思っていましたけど、そんな悠長に構えていられないと思ったんですよ。
——家業に入ってからは、どうやって仕事を覚えたんですか?
石山さん:とにかく見て学びましたね。もともと嫌いな仕事ではなかったし、楽しみに帰国しましたよ。それまでのデスクワークとは違うから、新鮮でおもしろかったですね。
——本題の「にいがた石山」さんについてもお聞きしたいと思います。
石山さん:うちは「人情横丁」ができた当初からあるお店なんですよ。僕の祖父が戦後にはじめて、創業70年を迎えました。しいたけ、昆布などの乾物に、たらこやすじこといった塩干をメインに販売しています。最近は常連さんのリクエストに応えるかたちで、調理済みの魚やお惣菜も用意しています。加工品はうちで仕込んでいるものばかりですよ。今朝は、県外のお客さまからオーダーいただいた「鮭の焼き漬け」を炙っていました。
——県外からもオーダーがあるんですね。
石山さん:ほとんどのお客さまは「新潟の人からお中元やお歳暮で『にいがた石山』の贈答品をもらって」というきっかけがお付き合いのはじまりじゃないかな。「新潟の旬の魚をお任せで」という注文もありますよ。
——自家製品の味の決め手は?
石山さん:乾物屋なんで、しいたけ、煮干し、貝柱といったものをふんだんに入れた出汁ですね。添加物を入れずに作る、母の自慢の味です。
——今の時期はどんな魚がおすすめでしょう?
石山さん:新潟は底引き網漁が、7月、8月と禁漁なんですよ。今の時期はヒラメ、甘エビなんかが少なくなって、定置網漁の魚がメインになるので、新潟の魚はちょっと乏しくなる時期ですね。なので、毎朝市場に行って旬のものを仕入れてくるんです。市場に行くようになったのは、僕の代になってから。ちょっとシーズンから外れているようなときでも、お客さまの「旬のもので」という声に応えたいと思って。ちなみに市場が休みの水曜日は、トンカツやハンバーグなども用意していますよ。
——ちょうどお盆前なので伺いたいことが。人気のお中元ギフトについても教えてください。
石山さん:本当だったら新潟らしく「鮭・いくら・すじこの詰め合わせ」と言いたいところなんですけど、ここしばらく鮭が不漁なんですよ。今年の冬はどうしようかって今から心配なくらい。なので、最近人気なのは「銀ダラの醤油漬け」ですね。先代からの常連さんは「高くても美味しいものを」という志向の方が多いんですけど、今はどんなにお金を払いたくても手に入らない魚も多いんですよ。
——なんと、そんな事態になっているんですか……。
石山さん:自然が相手ですからね。昔ながらのものを売りたいと思っていますけど、これからはどうなることか。「お正月といえば鮭」という文化だっていつまで続くか分かりませんよ。
——他にも、お家の仕事を継いで大変だと思われることもあるのでは。
石山さん:品物がなかったり、お客さんが来る日もあれば来ない日もあったりね。サラリーマンだった頃と違って、経理的な仕事も全部しなくちゃいけない大変さは感じます。でも、それは承知の上で戻って来ましたから。
——日本に戻って後悔したことはありませんでした?
石山さん:日本以外の世界も見てきましたけど、新潟で生まれ育ったわけだから、「結局、僕がいる場所はここなのかな」という思いがありますね。アメリカに行ってから、地元が大好きになったんですよ。ずっとここにいたら、もしかしたら嫌になっていたかもしれないけど、やっぱり新潟が落ち着くんですよね。
——最後に、今後の展望についても教えてください。
石山さん:新規のお客さまや若い人たちに向けた新しいことをすることも大事なんでしょうけど、それよりも「今までのお客さまをがっかりさせたくない」って思いで頭がいっぱいです。常連さんたちは「石山さんに任せる」と言ってくださる方ばかりなんです。これまでの信頼関係があってこその言葉ですから、「その期待を裏切らないでいたい」という思いが強いですね。
——これまでのことを守り続けるって難しいことですよね。
石山さん:常連さんが代替わりしてもお付き合いが続くこともあるんですよ。「石山さんの味が好みだった父と母が亡くなりまして。今までどんな注文をしていたのかわからないんですが、これまで通りお願いします」と言っていただくこともあります。そんなことがあると、やっぱり「先代たちが積み上げてきたことを守りたい」って思うんです。
——留学もされていたし、石山さんはチャレンジがお好きなのかと思ったので意外なお答えでした。
石山さん:今の私の年齢だからそう思うのかもしれませんね。思い返せば、家に入ったばかりの頃は「あれしたい、これしたい」っていろいろな試みをしていました。でもやっぱり毎日来てくださる常連さんに変わらず喜んでもらえることって難しいことだし、その責任が僕にはあるんですよ。プレッシャーは感じますけどね。
にいがた石山
新潟市中央区本町通り6-1118
TEL:025-222-8568