新潟市の西堀通に「SAISON(セゾン)」という、フュージョン料理のお店がオープンしました。外観から漂うお洒落な雰囲気に緊張しながらドアを開けると、カウンターのなかで出迎えてくれたのは、幼なじみだという気さくなおふたりでした。
SAISON
ミドルミス 怜 Rei Middlemiss
1994年新潟市中央区生まれ。日本人とイギリス人のハーフ。JR新潟駅前の居酒屋「天晴れ」「デンジャラスチキン」で経験を積み、パリの「クラウンバー」、ニューヨークの「ブランカ」でモダンフレンチやニューアメリカンの料理を学ぶ。2023年に新潟市で「SAISON」をオープン。趣味はサッカー観戦。
SAISON
齊藤 陽介 Yosuke Saito
1994年新潟市中央区生まれ。幼なじみの怜さんと共に「デンジャラスチキン」で働き、後に店長としてお店を任される。2023年に怜さんと「SAISON」をオープンし、主にドリンクを担当。趣味はお酒と音楽で、エレクトロを聴きながらクラフトビールを飲むのが至福のとき。
——カウンターのなかでおふたりが並んでいる写真を撮らせてください。
怜さん:撮った後はいい感じに加工しておいてください。
陽介さん:特に胸は大きく加工してください。
——まったく意味がわからないんですけど、それって誰得なんですか(笑)。ところで、おふたりは幼なじみなんですよね。出会ったのはいつ頃なんでしょうか?
怜さん:お互いの母親同士が仲良しだったんです。
陽介さん:最初に出会ったのは2歳のときだったんじゃないかな……。
——に、2歳?
陽介さん:母の背中におんぶされている状態で出会ったのが最初らしいんですよ。
怜さん:幼稚園は一緒だったけど、僕の一家が西区に引越したので小中学校は別々でした。でも、その間も週末にはよく遊んでいたんです。
——おふたりのなかで、印象に残っているエピソードがあったら教えてください。
怜さん:大人になってから、陽介が好きだった女の子とその友達、それから僕の3人で飲んだことがあったんです。そのときに僕と陽介が韓国の風俗店で同じ女性からサービスを受けた話をしたら、翌日に陽介からものすごい勢いで怒られたんですよ。いつもとは違った血相に驚きました(笑)
陽介さん:あと一歩という大事なときだったのに「何してくれたんだ」って思いました。危ないところでしたけど、今では僕の奥さんです(笑)
——その気持ち、とてもよくわかります(笑)。では陽介さんが印象に残っている、怜さんの思い出はありますか?
陽介さん:高校3年のときに怜が付き合っていた彼女が、僕の以前付き合っていた彼女だったんですよ。怜は隠して付き合っていたみたいなんですけど、僕はとっくに知っていたんです。1年以上も経った頃に電話してきて、いきなりそのことを告白して謝ってきました(笑)
怜さん:ずっと、もやもやしていたんだよね……。
——(笑)。おふたりはお互いをどんなふうに見ていますか?
陽介さん:怜はいい意味でも悪い意味でも、大雑把で飽きっぽいんです。あと、この通り面白い奴なんですけど、意外としっかりしているんですよ。
怜さん:陽介は人のために尽くすことを苦に思わない、神の子のような人間です(笑)
——おふたりとも居酒屋で働かれていたそうですが、その頃から怜さんは調理を担当していたんですか?
怜さん:最初はアルバイトでホールスタッフを担当していましたが、先輩たちが料理をする姿に憧れて、自分でも調理してみたいと思うようになりました。でも、それまではカップラーメンを作ることはおろか、コンロの火すら点けたことがなかったレベルなんですよ(笑)
——それはなかなかのレベルですね(笑)
怜さん:そのせいで最初はめちゃめちゃ叱られました。でも根気よく教えていただいて、接客から調理までひと通りを覚えることができました。おかげで21歳のときには新しくオープンした「デンジャラスチキン」では店長に就任することができたんです。
——それからはずっと「デンジャラスチキン」で働いてきたんですね。
怜さん:でも途中でパリやニューヨークに渡って、料理の修業をしてきたんです。
——それはどんないきさつで?
怜さん:当時はインスタグラムが流行りはじめていて、いろんな料理人がアップしている料理写真を見ては参考にしていたんです。そのなかにフランスで注目されている渥美創太さんという日本人シェフのアカウントがありました。「料理の仕事をしていくんだったら、僕もこんな料理が作れるようになりたい」と憧れていたんですよね。
——それでフランスに?
怜さん:はい、フランスに渡って、渥美シェフのフェイスブックアカウントに「僕を雇ってください」というメッセージを送りました。そうしたら面接を受けさせてもらえることになって、面接の場で「人手が足りないので明日から来い」と言われて、翌日から働くことになったんです。奇跡ですよね(笑)
——フランス語は話せたんですか?
怜さん:話せなかったので大変でしたね。渥美シェフとは日本語でやり取りできたものの、フランス人スタッフとのコミュニケーションは身振り手振りでした。でもおかげで素材の生かし方や高度な調理技術を学ぶことができましたね。
——その後はニューヨークで修業されたんですね。
怜さん:ニューヨークにある「ブランカ」のシェフと、渥美シェフのコラボイベントに同行したことがきっかけで、その後ニューヨークに渡って「ブランカ」で修業することになったんです。ここではアメリカンはもちろん、フレンチやイタリアンがいろいろ詰め込まれた「ニューアメリカン」というジャンルの料理を学びました。
——印象に残っている修業中のエピソードはありますか?
怜さん:ニューヨークでの修業は時間に余裕があったので、あちこち観光して回ったんですよ。なかでも自由の女神を見たことが印象に残ってますね。
陽介さん:はっず……。修業の思い出じゃないじゃん(笑)
——おふたりは同じ居酒屋さんで働いていたんですよね。
怜さん:最初は僕が働いていた居酒屋に、陽介がお客として飲みに来ていたんです。
陽介さん:そのうち誘われてアルバイトとして働いていたんですけど、飲食業の楽しさにハマって大学を中退してしまったんです。
——えっ、そんなにハマってしまったんですか?
陽介さん:もともと人と話すのが得意じゃなかったから、飲食業なんていちばんやりたくない職業だったんですけどね(笑)。でもすぐ目の前でお客様の喜ぶ姿を見られることが、とても嬉しかったんですよね。
——苦労されたこともあったんじゃないですか?
陽介さん:怜がフランスに渡った後、僕が「デンジャラスチキン」の店長を引き継いだんです。ところが、その途端にお客様がめっちゃ減ってしまったんですよ。僕の力不足だったんですけどね……。
怜さん:そんなことないよ。俺が優秀過ぎただけだから(笑)
——(笑)。陽介さんはその事態にどんな対応をしたんですか?
陽介さん:一度原点に帰って、お客様とコミュニケーションを取るよう意識しました。その結果お客様も増えてくれたので安心しましたね。
——そんなおふたりが、一緒にお店をはじめたいきさつを教えてください。
怜さん:ニューヨークから帰国して再び「デンジャラスチキン」で陽介と働いていたんですけど、コロナ禍で自粛を経験して、独立を考えるようになったんです。以前から「陽介とふたりで飲食店をオープンしたい」という夢は持っていたんだけど、リスクを考えると雇われている方が安心だと思っていたんです。でもコロナ禍のようなことが起これば、勤めるのも独立するのもリスクは一緒だと思ったので、思い切って独立することにしました。
——店舗をリフォームする際にこだわったことはありますか?
怜さん:お客様との一体感を感じたかったので、調理台と地続きになったフルフラットのカウンターにこだわりました。
——このカウンター、素敵ですよね。
怜さん:あとは薪窯にこだわって、自分たちで手作りしたんです。僕はお肉が好きなので、美味しいお肉を焼きたかったんですよ。薪火で焼くと内側はジューシー、外側はスモーキーな美味しい仕上がりになるんです。
——ガスとは違って薪は扱いにくそうですけど……。
怜さん:慣れるまでは大変でしたね。でも今ではフライパンを使うより焼きやすいと感じますよ。
陽介さん:薪って値段が高いんですよ。うちで使っているミズナラの薪は特に。でも火持ちが良くて香りにクセがないので、こだわって使っています。
——薪火を使った調理って、見ているだけでも美味しそうですよね。薪火料理の他にこだわっていることはあるんでしょうか。
怜さん:美味しい旬の食材を選んで、素材の美味しさを生かした料理をするように心掛けています。その思いを「SAISON」っていう店名にも込めました。
陽介さん:だからその日に仕入れた食材からメニューを考えているんですよ。
——なるほど。まだまだこだわりが出てきそうですね。
怜さん:うちのメニューは9皿のコース料理のみなんですけど、18時からの一斉スタートにさせていただいているんです。
——それはどうしてなんですか?
怜さん:一緒に進めることで調理の際にタイムラグが生まれないので、ベストな状態でお料理を提供できて、一定のクオリティーを保つことができるんです。お客様が来店したタイミングで薪釜に火を入れると、メインの調理をする頃にはちょうどいい置き火になっているんですよ。
——なかなかのこだわりようですね。
怜さん:だからといって堅苦しいお店にはしたくないので、居酒屋のように和気あいあいとした雰囲気でやっていきたいですね。
陽介さん:お客様に喜んでいただいて、笑顔で帰っていただくのがいちばんのモットーなんです。
SAISON
新潟市中央区西堀前通4-739
18:00-23:00
日曜休