地元の新鮮食材を使った、
「旬の閃き 柳庵」の創作和食会席。
食べる
2026.01.24
JR岩船町駅前に「住吉屋」という老舗の割烹旅館があり、それに並ぶようにして、創作和食を提供している「旬の閃き 柳庵(しゅんのひらめき りゅうあん)」があります。お邪魔してみると落ち着きのある和モダンなスペース。店主の齋藤さんから、お店をはじめたいきさつやお料理のこだわりを聞いてきました。
齋藤 芳憲
Yoshinori Saito(有限会社 住吉屋)
1967年村上市(旧神林村)生まれ。新潟市の専門学校を卒業後、京都の老舗料亭で5年間修業して、家業の「住吉屋」に就業。2005年に「旬の閃き 柳庵」を開業する。
昼食の出前から結婚式までやっていた
老舗割烹旅館「住吉屋」の歴史。
――お隣にある「住吉屋」という割烹旅館は「旬の閃き 柳庵」とどのような関係なのでしょう。
齋藤さん:この「柳庵」のある建物は、もともと「住吉屋」の宿泊施設だったんです。二階には設備の充実した結婚式場もあったんですよ。
――へぇ〜、結婚式もできる旅館だったんですね。
齋藤さん:ピーク時には毎週のように結婚式があって、1日に2回だったこともありましたね。
――いつ頃から続いてきた割烹旅館なんですか?
齋藤さん:かれこれ130年になります。創業当初は川のほとりで茶店を開いていたそうです。川に船を並べて橋にした「船橋」の上を人が渡っていたんですけど、雨で川が荒れると渡れなくなってしまうので、足止めされた人を泊めていたのがはじまりと聞いています。
――じゃあ以前はこの場所ではないところで営業していたんですね。
齋藤さん:平林村と神納村が合併して神林村ができた際、役場が移転したのに合わせてこちらへ移築したんです。周辺には神林村役場やJAがあるので、宴会や昼食の出前で繁盛していました。
――「住吉屋」は、今も営業しているんですか?
齋藤さん:コロナ禍以降は宴会もなくなり、ほとんど稼働していない状態なんです。空いているスペースがもったいないので有効に活用したいんですけど、改装資金もかかるのでなかなか難しいんですよね。

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自分がやりたい会席料理と、
求められる宴会料理のはざまで苦悩。
――齋藤さんは、最初から家業を継ごうと思っていたんでしょうか?
齋藤さん:はい、それで京都にある老舗の有名料亭で和食修業をしてきました。いちばん下っ端だった上に、文化も言葉も違う職場で働くのは辛かったですね。「ほかしといて」とか言われても「捨てる」という意味だとわからないから、うろたえて叱られたりしていました(笑)
――料理以外にも、覚えなければならないことが多いわけですね。でも、勉強になったことも多かったんでしょう?
齋藤さん:もちろんです。料理に対する考え方や和食の精神を学ばせていただいて、今でも私の料理に大きく影響しています。お客様から「美味しかった」という言葉をいただけたり、そっとお心付けをいただいたりしたことで、お客様に喜んでいただけることが料理の意義だと気づきましたね。
――修業を終えてからは、新潟に戻って家業の「住吉屋」で?
齋藤さん:「住吉屋」で毎日のように宴会料理をつくっていました。ただ、自分が修業してきた会席料理と宴会料理の違いに悩むようになったんです。温かいものを召し上がっていただくために、タイミングを見ながら出来たてをお出しする会席料理に対して、宴会料理というのはほとんどすべての料理を最初から並べておくんですよね。
――確かにそうですね。
齋藤さん:お客様から料理の提供が遅いという苦情をいただいたり、手をつけないまま戻ってくる料理があったりして、料理を楽しんでいただきたいという自分の思いと、お酒をメインにして宴会を楽しみたいというお客様の気持ちのズレにも苦しみました。
――自分のやりたいことと、求められていることにズレがあったわけですね……。
齋藤さん:美味しいものを召し上がっていただきたいと思っても、評価されないことに、料理をつくる意味を見失って気持ちが萎えちゃったんです。そのうちお客様に求められるまま、とにかく素早く料理を提供するようになっていきました。

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修業時代の気持ちを思い出して、
会席料理中心の創作和食店を開業。
――会席料理をメインにした「旬の閃き 柳庵」を開業したのはどうしてなんですか?
齋藤さん:修業先の老舗料亭が東京赤坂に出店することになり、仲の良かった先輩から誘われて手伝いに行くことになったんです。手伝いとは名ばかりでOB会みたいなものだろうと思っていたんですけど、しっかりとレセプション用の料理を手伝うことになっちゃいました(笑)。白衣を身につけて、大将の下駄の音を聞いているうちに、修業時代の気持ちが蘇ってきたんですよ。
――会席料理への思いも蘇ったんですね?
齋藤さん:新潟へ帰る新幹線のなかでは、今の自分を振り返ってずっと反省していました。それでお客様の顔を見ながら料理をお出しできる、カウンターのある和食店をはじめることにしたんです。
――京都や赤坂のように人の多い街ではなく、当時の神林村で会席料理の店をはじめることに不安はなかったですか?
齋藤さん:近所にあるラーメン店にはいつも行列ができていて、遠方からもお客様が集まっているのを見て、美味しい料理を出していれば立地は関係ないと考えることができました。いろいろな料理を少しずつ召し上がっていただく会席料理のスタイルは、男性よりも女性に受け入れられるんじゃないかなと思っていたら、やっぱりその通りでしたね(笑)

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生産者とのつながりを得たことで
地元食材の魅力に気づく。
――お料理のこだわりを教えてください。
齋藤さん:地元で獲れた食材を使うことですね。
――どうして地元の食材を?
齋藤さん:鮮度はもちろん、美味しい食材が多いんですよ。関西では生きたままの活魚を仕入れるのが一般的なんですが、新潟ではそれができないと諦めていたんです。でも地元の漁師さんと知り合ったことで、それができるようになりました。おすすめの魚介を用意してくれたり、下ごしらえをしてくれたりするので、本当に助かっています。
――いいご縁に巡り会えましたね。漁師さん以外の生産者さんともお付き合いがあるんでしょうか?
齋藤さん:農業から畜産までいろんな生産者の皆様とお付き合いして、勉強させていただいています。山北地方の農家さんからは畑の一画をお借りして、無農薬の焼畑農法による赤カブづくりを体験させていただきました。
――食材についての知識も身につきそうですね。そうした食材を使ったお料理のなかで、おすすめがあったらぜひ教えてほしいです。
齋藤さん:女(め)ガニをおすすめしたいんだけど、海がシケ続きでなかなか手に入らないんですよ。全国ネットのテレビ番組ロケにたまたま遭遇して、紹介していただいてからはお問い合わせが続いているんですけど……女ガニがないんですよね(笑)
――それは歯がゆい(笑)。他にもおすすめがあったら教えてください。
齋藤さん:この頃はおせち料理にも力を入れています。お客様からの声にお応えしてはじめたんですけど、一年を締めくくる気持ちで取り組んでいます。日持ちさせることが大前提ですので、じっくりと長時間煮込むことで食材の水分を出汁に入れ替え、傷みにくくする工夫をしているんです。
――これからやってみたいことってあるんでしょうか?
齋藤さん:はじめちゃってるんだけど、カフェ営業です(笑)。地元にはカフェが少ないので、若い人が集まれるような場所をつくりたかったんですよ。自家製パンや窯焼きピザ、エソのすり身サンド、ジャージー牛のソフトクリームなんかを提供しています。駅からグラウンドや体育館に向かう高校生がたくさん立ち寄って、ソフトクリームを買って行ってくれるんですよ。

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