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職人たちの技術が光るガラス製品のお店、弥彦の「TAKU GLASS」。

彌彦神社の南側、お土産店が並ぶ杜の道沿いにある「TAKU GLASS」。店頭には涼やかな音色を響かせる風鈴が、店内にはグラスやアクセサリーがずらりと並んでいます。工房では、野澤さんをはじめ4人の職人さんが息ぴったりの連携作業を繰り広げていました。手作りとは思えないスピード感と機械のような正確さには、圧倒されっぱなし。今回は、店主でありガラス職人の野澤さんにいろいろとお話を聞いてきました。

 

 

TAKU GLASS

野澤 拓自 Takuji Nozawa

1981年新潟市生まれ。秋葉区の会社で働きながら定時制高校に通う。卒業後は複数の仕事を経験し、その後九州で6年間ガラスづくりを学び、2013年に新潟に戻る。同年、弥彦村に「TAKU GLASS」をオープン。

15歳で触れた、ガラスの世界。

――まずは、野澤さんがガラス職人さんになるまでのことを教えてください。

野澤さん:最初の職場が、秋葉区にあるガラス照明の製造会社だったんですよ。15歳から3年間そこで働いて、夜は定時制高校に通っていました。高校を卒業すると、友達も仕事に就きますよね。「いろんな職業があるわけだし」と私も2年間、数えきれないくらいの仕事をしてみたんですよ。それで思ったんです。「やっぱりガラスをやりたいな」って。

 

――ガラスづくりのどんなところに惹かれたんですか?

野澤さん:高校を卒業してからの2年間で、長く続いた仕事はひとつもなかったんです。ガラス工場で働いていた頃は、子どもながらに、仕事に夢中になっていたんですよね。集中力が自然と湧いてくるっていうか。

 

――最初の仕事が、天職だったんですね。

野澤さん:そういうことなんでしょうね。けっこう厳しい会社でしたけど、あのベースがあったから他のところでも通用したのかもしれないです。

 

 

――それからは、どうされたんですか?

野澤さん:秋葉区の会社は、大量生産に対応した工場でした。「もっと自分の手でものづくりがしたい」と思って働き先を探したんですけど、ガラスづくりの仕事ってどこにでもあるわけじゃないんですよね。最終的には、鹿児島で勤め先を見つけて、そこで6年ほどものづくりをしました。

 

――九州に行かれたなんて。

野澤さん:工場で経験済みだったので、ガラスの種を棒で巻く作業はできました。でも、ハサミでガラス種(だね)をカットしたり、細工を施したりはまったくの未体験で。そういった技術を九州で学んだんです。

 

弥彦神社の目の前にお店を構えたのは、偶然⁉

――鹿児島に行かれたのは20歳のときです。職場では、かなりの若手だったのでは?

野澤さん:その上、新潟から来たわけですから、珍しがられましたよ。鹿児島県の霧島市、大分県の由布市でも働きました。あの頃のことは昨日のように思い出せるけど、もう20年以上前か……。「ひと昔前」になっちゃいましたね(笑)

 

――新潟には、戻ってくるつもりだったんですか?

野澤さん:「いつか新潟に帰りたい」って気持ちは、ずっとありました。だから知らない場所でも踏ん張れたんだと思います。「ダラダラできないぞ」「早く技術を習得しなくちゃ、新潟に戻れない」って。

 

――いよいよ2013年に新潟に戻ってこられて、お店をオープンされました。

野澤さん:ガラスづくりをするにしても、何にしても、まずはお金を貯めないといけないじゃないですか。お店を構えたばかりの頃は、阿賀野市の工場で派遣社員として働いていたんですよ。仕事を掛け持ちしていたんです。

 

――弥彦と阿賀野市の職場とは、なかなかハードですね。

野澤さん:私は秋葉区の出身だから、彌彦神社にどれほどの参拝客が来て賑わうのか、さっぱりわからなかったんです。たまたま神社のあたりを散策したときに「空き物件がある」と知って。今思うと、大家さんにも恵まれたんですね。当時の私は商売の素人なのに、「若い人が頑張るのはいいことだから」と物件を借りることを快諾していただいて。

 

 

――彌彦神社のいちばん目立つ場所にお店があるから、てっきり綿密に計画を立てられていたのだと思っていました。

野澤さん:いやいや、まったく(笑)。そんなスタートでしたけど、今でもお店が続いているんだから、ありがたいことです。

 

――お店をはじめたばかりの頃は、どんな反響がありましたか?

野澤さん:九州で覚えた技術で風鈴を作って、売ってみることにしたんです。今と違って作り手は私ひとりだから、作れる量は知れていました。しかも、売れなければ作る必要がないわけで。それでも風鈴を売りはじめたタイミングが4月と、夏に向かっていく頃だったからか、順調に売れてくれました。

 

――それは、よかった。

野澤さん:派遣の仕事は、すぐに辞めました。でも、オープンから2年くらいはまったく休んでいません。若いし、パワーがあるから疲れないんですよ。ずっと覚醒しているからお腹も減らず、だんだんハイになってきて(笑)。夜はバタンキューでした。

 

目にも止まらぬ、驚きの職人技。

――今日は工房にもお邪魔させていただきました。作り手さんは、野澤さんも含めて4人の職人さん。見事な連携と手仕事とは思えないスピード感に驚きっぱなしでした。

野澤さん:各自、別々の役割があるんですけど、一連の流れの中で、今、相手がどんな仕事に取り掛かっているのか自然とわかるようになるんですよ。慣れてくると、音だけでタイミングをはかれます。「この足音がしたってことは、次はこれだな」という具合です。

 

――まさに「阿吽の呼吸」でした。しかも野澤さん、水分補給のタイミングもルーティン化していましたね。

野澤さん:はい、そのタイミングもいつも同じです。そうやって身体に動きを染み込ませないと、疲れてしまって1日持たないと思います。夏の工房内は、もっと暑くなるわけですし、扱う「棒」も重たいですからね。

 

 

――どれくらいの種類を作っているんですか?

野澤さん:季節限定の商品もあるし、おおよそですが200種類以上だと思います。

 

――「TAKU GLASS」さんの商品は、店頭販売のみですか?

野澤さん:「ぽんしゅ館」さんやアンテナショップの「ブリッジにいがた」さんには、商品を置いてもらっていますが、基本的には店舗での販売です。くらげ風鈴などの人気商品の一部は、オンラインショップで販売しています。

 

答えのない、ガラスづくりの奥深さ

――お店を10年間営業して、変化したこともあると思います。

野澤さん:店舗でお客さまに直接販売しているので、いろいろな声をいただくんですよ。お正月用のガラスの鏡餅に「お米を入れられるようにしたい」とかですね。「白くて本物のお餅みたいになる」というアイディアは、お客さまの声から生まれました。

 

――すぐに改良を加えられるんですね。

野澤さん:私の場合は、アイディアを温めておきません。すぐに作っちゃう。そうしないと忘れちゃうし、熱が冷めちゃうような気がして。

 

 

――グラスの飲み口にも工夫をされているとか。

野澤さん:その辺は、難しいところなんですよね。薄くして飲みやすくしているんですけど、「厚めがいい」という方もいらっしゃいます。自分の感覚で「これくらいがベストかな」と思ってはいるものの、まだまだ悩み途中です。「ちょっと厚めがいいかな」という日もあれば、「やっぱり薄めか」と迷い続けています。

 

――それも、手作りならではの「味」ですね。

野澤さん:そうなんですかね。でもきっと、答えはないでしょうね。

 

 

 

TAKU GLASS

弥彦村弥彦3022-4

0256-78-7741

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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