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[Things Music]ストリート出身のアコースティックデュオ「ひなた」。

新潟で活動するミュージシャンを紹介する[Things Music]。今回は、従兄弟同士で活動を続ける長岡出身のアコースティックデュオ「ひなた」の登場です。ストリートミュージシャンとしてデビューしてから今に至るまでの音楽活動について、おふたりから話を聞いてきました。

 

ひなた

たかのり Takanori

1979年長岡市生まれ。兄の影響でギターをはじめ、ストリートミュージシャンとして活動をスタート。1999年に従兄弟のぴろんと「ひなた」を結成する。2010年には「超耕21ガッター」の主人公エイチゴウ役に抜擢され主題歌も担当する。現在は家業の「株式会社丸久ユニフォーム」の代表取締役を務めながら、音楽活動を続けている。

 

ひなた

ぴろん Piron

1980年長岡市生まれ。従兄弟であるたかのりの影響でギターをはじめ、1999年に「ひなた」を結成。現在は「株式会社丸久ユニフォーム」の取締役として音楽事業部を支えている。音楽の他に陶芸や書道など多彩な方面でのアーティストとしても活躍している。

 

ストリートライブから生まれた、従兄弟デュオ「ひなた」。

——おふたりはどんなきっかけで音楽をはじめたんですか?

たかのりさん:僕は兄貴に影響を受けたんです。兄貴は長渕剛さんに傾倒していて「長岡剛(ながおかつよし)」という名前でストリートミュージシャンをやっていたんですよ(笑)。高校生だった僕はその姿を見て憧れていました。ときどき兄貴が「新曲ができた」って聞かせてくれたんだけど、その曲を他の人たちがあちこちで歌っていたんです。「兄貴の曲をみんなが歌っている!」って感激して。でも実は全部、長渕剛さんの曲だったんですよね(笑)

 

ぴろんさん:そのときは信じてたんだ?(笑)

 

たかのりさん:そうそう(笑)。それでギターをはじめて、そのうちオリジナル曲を作るようになりました。

 

——たかのりさんはちゃんとオリジナル曲を作っていたんですね(笑)。ぴろんさんはどうして音楽をはじめたんですか?

ぴろんさん:僕とたかのりとは従兄弟なんだけど、彼が「ひなた」というアコースティックデュオを組んでストリートライブをやっているのを見に行って、自分でもやってみたいなって思ったんです。

 

——あれ? ぴろんさんとやる前から「ひなた」ってあったんですか?

たかのりさん:そうなんですよ。最初は友達と一緒に「ひなた」としてストリートミュージシャンをやっていたんです。

 

——「初代ひなた」があったんですね。で、ぴろんさんはそれに影響を受けたと。

ぴろんさん:はい。早速ギターを買って、たかのりに色々教えてもらいました。それからは、とにかくすっごく練習しましたね。毎日6時間くらい練習していたかな。

 

たかのりさん:ギターを教えた1週間後にぴろんと会ったら、めちゃめちゃうまくなってたもんね(笑)

 

——身内同士で影響しあったわけですね。「初代ひなた」から今の「ひなた」になったのはどうしてなんですか?

たかのりさん:ぴろんが参加してからは3人で「ひなた」をやっていたんですよ。僕は就職したばかりだったんだけど、会社を辞めて音楽で食べていこうと決心したんです。でも一緒にやっていた友達は、元々そこまでの覚悟がなかったので「ひなた」を脱退しました。そこで19991010日に改めてぴろんと「ひなた」を結成したんです。

 

 

——結成当社はどんな活動をしていたんですか?

たかのりさん:ストリートライブです。新潟駅万代口のバスターミナル前が僕らの「聖地」でしたね。

 

ぴろんさん:長岡駅前の地下通路でもやっていたよね。

 

——ストリートライブをやっていて大変だったことはありますか?

たかのりさん:お客さんが100人〜200人集まっちゃって、中止させられたこともありましたね。そんなときは、お客さんと一緒にゴミ拾い活動をして帰っていました。

 

——ストリートライブで200人も集まるって、すごいですね! じゃあ逆にうれしかったことはありました?

たかのりさん:最初にやったときは「投げ銭」に感激しました。自分の歌がお金になるんだって。それって目に見える評価ってことじゃないですか。

 

ぴろんさん:お客さんからの差し入れもうれしいですね。寒い日にあったかい飲み物をいただくと、身も心もあったまりますね。

 

全国47都道府県を47日間で回る、過酷なストリートライブ。

——東京にも進出していますよね。きっかけは何だったんですか?

たかのりさん:タレントのタモリさんが長岡で開催したフェスに「ひなた」も出演していたんです。そのときタモリさんの目に留まったようで「新潟だけで活動しているのはもったいないから、東京に出てやってみろ」って誘っていただいたので、東京でストリートライブをはじめたんです。

 

ぴろんさん:その後、引っ越した横浜でストリートライブを続けていたら、ふたつの音楽事務所からスカウトされたんです。そのスカウトの人たちは、一方はブッダみたいに穏やかな印象の方で、もう一方は怖そうな強面の方でした。僕は東京で活動していくんだったら厳しく揉まれた方がいいと思ったので、たかのりと相談して強面の方の音楽事務所に連絡したんです(笑)

 

——すごい覚悟(笑)。それから本格的に東京での音楽活動がはじまったんですね。

たかのりさん:はい。東京でストリートライブを続けていました。その頃はストリートライブ熱が高まっていて「ストリートファイターズ」っていう、ストリートミュージシャンを紹介する音楽番組までスタートしたんです。その第1回目の放送で紹介してもらえたんですよ。

 

——おお、記念すべき第1回目の放送を飾ったんですね!その番組では色々なストリートミュージシャンが紹介されていたんですか?

たかのりさん:全国各地のミュージシャンが紹介されていましたね。それで他の人たちの姿を見てとても刺激を受けて、自分たちも全国各地を回ってみたいと思うようになったんです。

 

ぴろんさん:あと当時流行っていたバラエティー番組のヒッチハイク企画の影響もあったよね。

 

たかのりさん:そうだね。それで事務所の社長に相談して、ストリートライブをやりながら日本一周する「ひな旅」をすることになったんです。

 

 

——それって大変そうな企画ですね。

たかのりさん:社長から言われたルールがかなり過酷でしたね(笑)。47都道府県を47日間で回りながら、当時リリースした「がんばれ」っていうCD5,000枚以上売るノルマがあったんです。だから13回はライブをして。CD1枚も売れなければ次の目的地に移動できませんでした。

 

ぴろんさん:食費は1500円ずつで、高速道路は使用禁止。車の中で寝泊まりしてましたね。

 

たかのりさん:自分たちでビデオカメラを回してライブを記録して、日記まで書かせられたんですよ。普通の日記と裏日記の2種類も(笑)

 

ぴろんさん:ほんと、何だったんだろうな……あれ(笑)

たかのりさん:天候に左右されたり道に迷ったりもしましたね。あと一度だけ怖い人たちに囲まれました。なんか撮影するとまずい場所でライブをやってしまって(笑)

 

ぴろんさん:僕が体調を崩してライブに出れなかったこともありました。

 

——やっぱりピンチはいろいろあったんですね。でもやってよかったと思いますか?

たかのりさん:はい、「ストリートファイターズ」でも「ひな旅」を取り上げてもらえて、そのおかげでランキング1位になることができたんです。全国を回って各地にファンもできたので活動の幅も広がりましたね。CD「がんばれ」も10,000枚セールスすることができました。

 

——苦労の分、成果も大きかったわけですね。

たかのりさん2007年には渋谷公会堂でワンマンライブをやりました。「ひなた」の中でも最大のイベントでしたけど、その後にお互い結婚することが決まって、2011年に独立して新潟に拠点を移したんです。

 

ご当地ヒーローや、地元企業とのコラボ。

——新潟に帰ってからはどんな活動をしてきたんですか?

たかのりさん:帰ってくる少し前からアルビレックス新潟の応援番組「とことんアルビ」の主題歌や「関屋自動車学校」のCMソングを作らせてもらっていて。そんなある日、兄貴の「長岡剛」から電話がかかってきたんです。今度新しくはじまる「超耕21ガッター」というご当地ヒーロー番組の主題歌を作ってほしいということでした。それでディレクターにお会いすると、主人公のエイチゴウ役もやってほしいと頼まれたんです。兄貴が主人公をやりたがっていたんですけど、イメージが違ったみたいで……。ありがたく僕が主人公をやらせていただきました(笑)

 

——やってみていかがでしたか?

たかのりさん:新潟県内のあちこちでロケをして、いろんな人と出会うことができましたね。ドラマも人気が出て、幼稚園や小学校から呼んでいただく機会も増えたんです。それをきっかけに「夢先生」っていう歌も織り交ぜた講演をはじめて、子どもたちに夢を持つ大切さを伝えてきました。

 

ぴろんさん:おかげさまで、もう60校以上で講演をしてきたんですよ。

 

——その他にも新潟でやってきた活動はありますか?

ぴろんさんFMながおかで「ひなたのじょんのび喫茶」、長岡ケーブルテレビで「金曜生です!キャッチ・キャッチ!!」っていうレギュラー番組をやらせていただいています。

 

たかのりさん2014年には最初からの念願だった長岡市立劇場で、結成20周年コンサートを開催することができました。そのときは「長岡剛」もサプライズゲストで登場しましたよ(笑)

 

 

——念願だった場所でのコンサートを実現して、またひとつ夢が叶ったわけですね。最近はどんな活動をしているんですか?

たかのりさん:兄貴が家業の「丸久ユニフォーム」を継ぐ予定だったんですが、退社することになったので、僕が後を継いで社長に就任しました。今年から社内に「音楽事業部」を作って、ぴろんにも取締役として入社してもらい、「ひなた」の活動も会社の事業としてやっていくことになりました。

 

——会社の事業としてやるようになって「ひなた」に変化はありましたか?

たかのりさん:今までは「ひなた対観客」だけでよかったんだけど「ひなた対企業」という面も出てきましたね。

 

——例えばどんなことですか?

ぴろんさん:ラジオ番組のスポンサーになってくれた企業さんに、CMソングを作って提供したりしています。

 

たかのりさん:あと付き合いのある企業さんが、捨てられた傘の生地を使ってエコバッグを作っているんです。それを「丸久ユニフォーム」で販売しているんですが、「相愛傘フェス」というライブイベントを開催して、そこでも販売しているんです。今年も1031日に開催する予定です。

 

 

——傘の生地をリサイクルして作るのは、まさしくエコバッグですね。ところで、長岡でのフェスといえば「音むすびフェス!!」も忘れてはならないですよね。あれはどんないきさつではじめたんですか?

たかのりさん:全国のミュージシャンが地元でフェスを開催してして「ひなた」もいろんな土地のフェスに呼んでもらっていました。そのうち自分たちも長岡でフェスを開催して、全国のミュージシャンを地元の人たちに紹介したいと思うようになったんです。「音むすび」というタイトルは「おむすび」と掛けてあります。長岡の農家のご協力で提供していただいたお米で、調理専門学校の学生たちが塩むすびを握ってくれて、1,000人のお客さんに振る舞うんです。「塩むすび」は「縁むすび」に掛けてあるんですよ。

 

ぴろんさん:最初の2018年は5,000人の集客でしたが、2019年は13,000人ものお客さんが集まってくれたんです。昨年は新型コロナ対策もあって配信ライブになってしまいましたが、おかげで配信の可能性を感じることができたので、YouTubeチャンネルをはじめて、そこで地元の美味しいものや魅力的な企業の紹介を配信しています。

 

 

——地元に根ざした活動も行っているんですね。今後はどんな予定があるんですか?

たかのりさん2022年はいろんな意味で爆発する年になるんじゃないかって期待しています。楽しみにしていてください!

 

 

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