今年も実りの秋を迎え、果樹農園では収穫の真っ只中ですね。新潟市南区は、ぶどうや梨などの果樹農園がたくさんあります。旬の味覚に敏感なこのエリアで、3代にわたって続いてきた菓子店が「ル・ポワロン・ビス」。今回は3代目でシェフパティシエの武石さんに、これまでのキャリアやお菓子づくりのこだわりについてお話を聞いてきました。
パティスリー ル・ポワロン・ビス
武石 博臣 Hiroomi Takeishi
1967年新潟市南区生まれ。東京にある製菓専門学校を卒業後、都内や神奈川のフランス菓子店で修行を重ねる。フランスに渡り本場のフランス菓子を学んだ後、新潟に戻って実家の菓子店を継ぐ。地元のイベント「しろね大凧合戦」が大好きな、自称「凧キチ」。
——「ル・ポワロン・ビス」さんはいつ創業したんですか?
武石さん:昭和13年に私の祖父が「武石製菓店」という和菓子屋を創業したんです。二代目の父のときに、世間では洋菓子が流行りはじめていたので、父が独学で洋菓子の知識や技術を身につけて、和菓子に加えて洋菓子も提供するようになりました。
——時代にあわせて代々続いてきたお店なんですね。武石さんは三代目としてお店を継ぐ気持ちは最初からあったんですか?
武石さん:正直言って、あんまりお菓子作りの仕事をしたいとは思いませんでしたね(笑)。祖父や父の仕事が大変そうなのを見てきていますから……。でも、いつかは継がなければならないと思っていたので、とりあえず東京にある製菓専門学校に入学したんです。学生の半分くらいは、全国から集まってきたお菓子屋の跡取りでした。だから私は全国のお菓子屋に知り合いがいるんですよ(笑)
——それは心強いですね。専門学校を出た後は、やっぱりお菓子屋さんに勤めたんでしょうか?
武石さん:はい、東京の洋菓子店に勤めました。父からは「2〜3年修行したら新潟に帰ってこい」って言われてましたけど、実際に働いてみたらおぼえることが多すぎて、2〜3年ではとても帰れませんでしたね。お菓子作りの奥深さを思い知りました。ただ、とにかく早く仕事をおぼえて新潟に帰らなければならなかったので必死にやっていました。貪欲に仕事をおぼえたんですよね。知識や技術っていうのは、一生の財産になるわけですから。
——じゃあそのお店で修行を終えた後は新潟に?
武石さん:いえ、知り合いから頼まれて、原宿のフランス菓子店を手伝うことになりました。使っている材料や道具、仕事の内容が今までの店とはまったく違ったので衝撃を受けましたね。フランス人もたくさん働いていて、厨房ではフランス語が飛び交っていたんですよ。改めてフランス菓子の魅力に気づいて、今度はどうしても本場のフランスでお菓子作りの勉強したいと思うようになったんです。
——えっと、失礼ですけどフランス語は……?
武石さん:話せませんでした。でも勉強しようにも時間もお金もなかったから、言葉が話せないんだったら、せめて技術だけは身につけてフランスに行こうと思ったんですよ。それで神奈川にあるフランス菓子店に入社して、ひと通りの仕事をさせてもらって、フランス菓子の知識や技術を身につけてから、フランス行きの片道航空チケットを用意したんです。
——いよいよフランスに渡るわけですね。でも、仕事先は決めてあったんですか?
武石さん:行けばなんとかなるだろうと思っていたから、まったく考えてなかったんです(笑)。でも当時修行していた店のオーナーに相談したら、知り合いの紹介でフランスの菓子店で働けることになりました。とてもありがたかったですね。
——フランスでの修行はいかがでしたか?
武石さん:フランス語がまったくわからない状態で行ったので、本当に苦労しましたね。日本語のない世界で仕事をしなければならないので、ノイローゼになりそうでした(笑)。言葉がわからないと、まったく仕事にならないんですよ。
——そのままずっと働いていたんですか?
武石さん:でも同じ部屋に下宿していた15歳くらいのフランス人と、食事に行ったり遊びに行ったりしていたおかげで、少しずつフランス語をおぼえることができたんです。半年くらい経った頃には、ようやくフランス語が「言葉」として聞こえるようになりました(笑)
——それを聞いて安心しました(笑)。本場フランスでお菓子づくりの経験がしっかりできたんですね。
武石さん:もちろん知識や技術は身についたんですが、それ以上に得たものが大きかったですね。
——と、いうと?
武石さん:フランス人はみんな仕事に対する意識が高いんですよ。たとえば忙しい時期になると夜中の2時から仕事をはじめるんですけど、ビシッと全員がその時間に揃うんです。若い人もみんな将来のビジョンをしっかり持っていて、それに向かって一生懸命仕事を学んでいました。自分と比較してみても、フランス人の若者は考え方がしっかりしていて大人だなって思いましたね。
——フランスではどのくらい修行をしていたんですか?
武石さん:2年くらいです。自分としてはまだ修行が足りないと思っていたんですけど、祖父や父から早く戻って来いと言われまして……(笑)。修行もせずに独学で店をやっていた父に比べて、自分はフランスまで修行に行かせてもらったので、それ以上に贅沢を言っていられなかったんですよね。それで新潟に帰って実家の店を継ぐことになりました。
——戻ってすぐに店を継いだんでしょうか?
武石さん:そうですね。帰ってすぐに父から新しい店名を考えるよう言われました(笑)。それで「菓子工房 ル・ポワロン」という店名に変えて、フランス菓子をメインにしたんです。
——「ル・ポワロン」というのはどういう意味なんですか?
武石さん:「ル・ポワロン」というのは、私が愛用している銅製の片手鍋です。パティシエがシロップや砂糖を煮詰めるときに使う、お菓子作りの原点ともいえる作業をするための大切な道具なんですよ。ちなみに、現在お店で愛用している「ポワロン」は、飴細工に使いフランス修業時代コンクールで銀メダルに貢献し持ち帰った思い出の道具です。駐車場や立地の問題もあって今の場所に移転してからは「パティスリー ル・ポロワン・ビス」に名前を変えました。「ビス」っていうのは「2番町」とか「アンコール」とかの意味があります。創業地を離れ2番目のお店という意味と先代に敬意を表す意味もあったし、お客様からアンコールしてもらえる店にしたいという意味でつけたんです。
——お菓子作りのこだわりを教えてください。
武石さん:フランス時代に学んだことなんですけど、自然に逆らわないお菓子作りを心掛けています。夏には身体を冷やすスイカ、冬には暖めるミカンの実がなるように、食材の「旬」には必ず意味があると思うんです。だから、できるだけ季節の旬に合わせた食材を使うようにしています。
——それが「自然に逆らわない」っていう意味なんですね。旬の食材を使ったお菓子には、どんなものがあるんですか?
武石さん:今の時期だと「熊本モンブラン」がおすすめです。熊本産の栗を蒸して裏ごししたものを、ていねいに搾って自家製のペーストを作っています。あと、これからはリンゴの「紅玉」を使ったお菓子もはじまりますよ。
——お話だけでも美味しそうですね。ところで、ずっと気になっていたんですけど「おむすびころり」って何ですか?
武石さん:コシヒカリの米粉を使って作ったクッキー焼き菓子です。新潟ならではのお菓子を作りたいと考えていて、新潟といえばお米だろうということになったんです。お米といえば「おむすび」が頭に思い浮かんだので、おにぎり型の焼き菓子に挑戦してみました。ちょうど「新潟市おみやげコンクール」が開催されることになったので、出品してみたら最優秀賞をいただくことができたんです。
——それはすごい! これって、お土産とか手土産にぴったりなお菓子ですよね。
武石さん:ありがとうございます。私は白根で商売をさせてもらってますから、地元の人たちに喜んでもらえればそれでいいんです。無理に遠くからお客様を呼びたいとは思っていません。近所の人たちが「新潟市街まで行かんたってケーキが買えてありがたいわ」って言ってくれたら、それだけで嬉しいんですよ。
——地元に寄り添ったお店でありたいということですね。最後に将来やってみたいことってありますか?
武石さん:いつかは商売を抜きにして、自分の作りたいお菓子を思いっきり作ってみたいですね。手間やコストがかかったり、見た目が地味だったりして、なかなか売れないようなお菓子とか(笑)
パティスリー ル・ポワロン・ビス
新潟市南区白根1245-1
025-372-2674
9:30-19:00
火水曜休