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「お笑い授業」で全国の学校を回るグローカルタレント「高橋なんぐ」。

今でこそ、いろいろなタレントがローカル番組やイベントで活躍していますが、30年以上前の新潟にはテレビで有名な人といえば放送局のアナウンサーがいるくらいでした。そんななか、新潟のエンターテイメントに革命を起こしたのが「お笑い集団NAMARA」です。今回はその立ち上げから活躍を続けてきた高橋なんぐさんにお話を聞いてきました。

 

 

お笑い集団NAMARA

高橋 なんぐ Nangu Takahashi

1981年長岡市生まれ。1996年に「全国お笑いコンテストin東京ドーム」で優勝。同年「ヤングキャベツ」を結成し、翌年「お笑い集団NAMARA」に立ち上げより参加して芸能活動をはじめる。ラジオ番組「高橋なんぐの金曜天国」でパーソナリティーを務め、「米十俵〜高橋なんぐのお笑い授業」を出版するなど活動は多岐にわたる。なかでも全国の学校を回る「お笑い授業」はライフワークになっている。大相撲やプロ野球を観戦するのが趣味で阪神タイガースのファン。

 

メジャーよりローカルを選んだ15歳の少年。

——お笑い集団NAMARAの事務所が移転してから初めてお邪魔しましたけど、今回は思いっきり民家なんですね。

なんぐさん:そうなんですよ。仏壇とか神棚のスペースがそのまま残っているんです(笑)

 

——それもNAMARAらしさを感じます(笑)。なんぐさんは加入してからどれくらい経つんですか?

なんぐさん:1997年の立ち上げから参加しているので、今年の4月で27年目を迎えます。

 

——27年目ということは当時16歳? 参加したいきさつを教えてください。

なんぐさん:きっかけは1996年に吉本興業が主催した「全国お笑いコンテストin東京ドーム」で優勝したことなんです。

 

——えっ、それってすごいことじゃないですか! 詳しく教えてもらえますか。

なんぐさん:当時15歳だったんですけど、100万円という夢のような賞金に目がくらんで「全国お笑いコンテストin東京ドーム」に出場したんです。高校生には会場までの交通費を用意するのがキツかったので、母親に「2万円貸せば100万円になるぞ」と言って借金しました(笑)

 

 

——まさかその通りになってしまうとは……。お笑い芸人になりたいという気持ちはあったんですか?

なんぐさん:そのときは「芸人になりたい」というよりも「100万円が欲しい」っていう気持ちしかなかったんですよ(笑)。だから吉本興業の錚々たる大御所が審査員だったけど、それほど緊張せずに臨めたんじゃないかと思います。コンテスト参加者には、現在では売れっ子芸人の「錦鯉」長谷川さんや「サンドウィッチマン」富澤さんもいました。

 

——コンテストで優勝したことをきっかけに、お笑い芸人を目指すようになったんでしょうか。

なんぐさん:「賞金の100万円を時給として計算すると日給で2,000万円じゃん! すげー!」って思って、お笑い芸人になろうと決心しました(笑)。コンテストに優勝したことで吉本興業からもスカウトをしていただきましたし。

 

——吉本興業でデビューすれば全国メジャーも夢じゃないですね。

なんぐさん:でもそのとき同時に、新潟からコンテストを見に来ていた人にも声をかけられたんです。「新潟で地方発信型のお笑いプロダクションを立ち上げるのでぜひ参加してほしい」ということでした。それがお笑い集団NAMARAだったんです。

 

——もしかして、吉本興業よりもNAMARAを選んだってことですか?

なんぐさん:そうなんです。僕は人のやっていないことをやりたいと思うタイプなので、伝統ある有名プロダクションよりも、これから作り上げていくローカルプロダクションに魅力を感じたんですよね。

 

——ちなみにコンテスト賞金は何に使ったんですか?

なんぐさん:10万円はじいちゃんとばあちゃんに旅行をプレゼントして、残りは芸人として食べていけるようになるまでの生活費に充てました(笑)

 

コンビ結成と解散。自分を見直すため世界一周の旅へ。

——まずは「ヤングキャベツ」というコンビで活動をはじめられたんですよね。

なんぐさん:相方の中静祐介(なかしずかゆうすけ)は中学校の同級生なんです。僕は大人しくて中静はやんちゃなタイプだったんですけど、名簿順が隣ということもあって仲が良かったんですよ。僕が生徒会役員に立候補したときも中静が推薦者として応援演説してくれたんですけど、話すのが上手い中静に対して僕はボソボソしゃべっていたので、どっちが立候補するのかわかんなかったですね(笑)

 

——そんな中静さんを誘ってコンビを結成したんですね。

なんぐさん:本当は「全国お笑いコンテストin東京ドーム」にも一緒に出ようと思っていたんですけど、当時の彼は部活が忙しかったので諦めてひとりで出場したんです。その後、お笑い集団NAMARAに参加することになったので改めて誘って「ヤングキャベツ」を結成しました。当時はNAMARAのなかでもいちばん若かったので「若いけど芯がある」というイメージでつけたコンビ名なんです。

 

——最初はどんな仕事をされていたんですか?

なんぐさん:商店街や町内会のお祭りで司会をすることが多かったんですけど、それまで司会なんてやったことがなかったから、他の方の見よう見まねでした。成人式の司会をやったときはまだ19歳だったので、新成人の人たちより年下なんですよ。それが「これからは成人として責任ある生活をしてください」なんて言ってるんだから「年下のお前らが言うな」って感じですよね(笑)

 

 

——「ヤングキャベツ」はテレビでもよくお見かけしていたのに、ある時期から見かけなくなったように思うんですが……。

なんぐさん:10年くらい活動してきたなかでレギュラー番組を8本持つことができて、ようやく「ヤングキャベツ」として食べていけるようになってきたんですけど、なんだか毎年同じことをやっているようにも思えてきたんです。仕事に対しての手応えが感じられなくなって、このまま続けていたら自分が芸人としてダメになってしまうと思ったので、思い切って「ヤングキャベツ」を解散することにしました。

 

——せっかく食べていけるようになったのにもったいないですね……。なんぐさんは安定することを好まないタイプなんでしょうか。

なんぐさん:かっこよく言ってくれてありがとうございます(笑)。もしかすると、そうかもしれませんね。コンビを解散した後は自分をリセットしてレベルアップしたいと思ったので、ニュージーランドに渡ってそこから世界一周をしてきました。

 

——どうして最初はニュージーランドに?

なんぐさん:「レベルアップするためには、自分の得意分野を封じればいい」と聞いたことがあったので、自分の得意分野が何なのかを考えてみたんです。芸人としてラジオやコントでしゃべったり、新聞連載で文章を書いたりしてきたので、自分が得意なのは「日本語」なんじゃないかと思ったんですよね。それを封じるために外国生活をしてみようと決心して、12月に海で泳げて6月に雪が降る、日本と真逆な環境に身を置こうとニュージーランドを選んだんです。

 

——あえて言葉が通じないところで生活したということでしょうけど、それって大変じゃなかったですか?

なんぐさん:飛び込みでホームステイやヒッチハイクをして、ずいぶん危ない目にも会いましたね。でも、その体験がコントのネタや講演の内容として生きてくると考えたら、何でもできるようになりました(笑)。それまでは新潟というローカルでしか生活していなかったのにグローバルな体験をしたことで、「グローカル」な話ができるようになったのは大きな収穫だったと思います。

 

全国1,800校で開催してきた、ライフワークの「お笑い授業」。

——なんぐさんが力を入れている「お笑い授業」の取り組みは、どのようにはじまったものなんですか?

なんぐさん:最初は聖篭の中学校に呼ばれて「3年生を送る会」で生徒たちが披露するクラスごとのコントを指導したんです。その後も学校に呼ばれる機会が増えて、文化祭でコントをするようになりましたけど、1時間近くもステージをするのは間が持たないし、子どもたちの集中力も持たないんですよ。そこで観客参加型のステージに変わっていったんです。

 

——それはどんなステージなんですか?

なんぐさん:学生のなかから面白そうな子をステージに上げたり、怖そうな先生にカツラを被せたりしています。ある中学校で目の前にいた男の子をステージに上げていじったら、しばらくしてその学校から電話が掛かってきたんです。てっきりクレームかと思ったんですけど、先生からお礼を言われたんですよ。

 

——どんなお礼だったんでしょう?

なんぐさん:僕がステージに上げたのはクラスでいじめられていた子だったそうなんですけど、僕が「お前、面白いな」と言ったことでクラスの子たちから一目置かれるようになって、いじめられなくなったということでした。それを聞いて「お笑いの力ってすごいな」って初めて感じましたね。それからはチラシを作って全国の学校に呼びかけて、今まで東北から四国まで1,800校に呼ばれて「お笑い授業」を開催してきました。

 

 

——今までやったなかで印象に残っている「お笑い授業」があったら教えてください。

なんぐさん:小中学校が中心なんですけど、たまに保育園や大学からも呼んでいただくんですよ。あるとき保育園から呼ばれたので行ってみると、お客さんが全員0歳児で言葉が通じなかったことがありました(笑)

 

——もはやネタじゃないですか(爆笑)

なんぐさん:あと長く続けてきたおかげで、「お笑い授業」を受けた子と思わぬ再会をすることもあります。ある小学校に呼ばれたとき、6年生を担任する先生が「子どもの頃『お笑い授業』を受けたことがあります」と挨拶してくれたんです。そのときの影響で先生になったと聞いて感動しました。あと駅前を歩いていてキャバクラの客引きからも「『お笑い授業』受けました」って挨拶されたことがあります(笑)

 

——いろんな人に影響を与えているんでしょうね。なんぐさんにとってもライフワークになっているんですよね。

なんぐさん:そうですね。これからも全国のいろんな学校を回って「お笑い授業」を続けていきたいと思っています。そしていつかは距離や規模に関係なく、すべての学校で無料の「お笑い授業」ができるようになったらいいなと思っているんです。そのためにはいろんな方の協力も必要になってくると思うんですけど、実現できるように頑張っていきたいですね。

 

——実現したら素敵ですね。

なんぐさん:賞金の100万円がきっかけでお笑いの仕事をはじめた人間が、今では無料で学校を回りたいなんて言ってるんだから面白いもんですよね(笑)

 

 

 

高橋なんぐ(お笑い集団NAMARA)

新潟市中央区天神尾2-13-13

025-290-7385

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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