鳥屋野潟のほとりで、春から秋にかけて定期的に開催されている「潟マルシェ」。地域の文化や自然にふれる体験に加えて、思いを持って活動するさまざまな人やものが集まります。今年で10年目を迎えたということで、マルシェを運営するデザイン会社「U・STYLE(ユースタイル)」の松浦さんに、「潟マルシェ」をはじめたきっかけや、開催にこめた思いについて聞いてきました。
株式会社U・STYLE
松浦 柊太朗 Shutaro Matsuura
1993年新潟市生まれ。デザイン会社「株式会社U・STYLE」に務める。デザインのディレクション業務に携わりながら、「潟マルシェ」を運営。
――まず、「潟マルシェ」を開催するようになった経緯を教えてください。
松浦さん:僕が「U・STYLE」に入社した2015年から開催していて、最初は「地域の方々と一緒に鳥屋野潟から地域の魅力を発信していこう」みたいなコンセプトで、このオフィスを会場にやっていたんです。
――最初は小規模にはじめられたんですね。
松浦さん:例えば三角だるまの職人さんとか、地元の福祉事業所さんとか老舗の和菓子屋さんとか。地域の中でいいものづくりや取り組みをしている方や、もっと知ってもらえたらいいなっていう方々と一緒に商品開発をして、そこに僕たちがパッケージデザインをして。そうやって作ったものをマルシェで販売していました。
――デザイン会社さんだからこそのアプローチですね。
松浦さん:鳥屋野潟ってもともと漁師さんや農家さんがいて、そこでとれたものが町や市で売られるような交易があったんです。その現代版じゃないですけど、売り買いする場を作って、人の交流をつくりながら地域の光るものを発信していこうっていうのが最初のスタートでした。
――会場を鳥屋野潟公園に移したのはいつからなんでしょう?
松浦さん:2年目の途中からですかね。オフィスだとちょっと手狭っていうのと、もっと水辺に出られるような場所でやろうということで。
――そもそも、「U・STYLE」さんが鳥屋野潟に対してそこまで特別な思いを持っているのはどうしてですか?
松浦さん:会社としては2012年ぐらいから鳥屋野潟と関わっているんです。「潟ボーイ’s」「潟ガール’s」っていう、鳥屋野潟の暮らしや文化を語り継ぐ冊子を作ったことがきっかけになっていて。当時は潟って世間的に汚いようなイメージがあったんですけど、冊子作りのために地域のお年寄りに話を聞いていくうち、昔は人と潟がすごく豊かに共存していたっていうことが見えてきたんです。
――共存っていうのは……?
松浦さん:蒲原まつりに舟で行っていたとか、魚をとって暮らしていたとか、潟で泳いで遊んでいたとか。そういうことを聞いて、それまではあんまり印象のなかった鳥屋野潟が、実は豊かで人にとって欠かせない場所だったっていうことが分かったんです。そこから鳥屋野潟を良くしていこうという気持ちが出てきて、会社として関わるようになっていきました。
――オフィスがあるこの場所も鳥屋野潟のすぐそばですよね。
松浦さん:もともとは沼垂に事務所があったんです。潟マルシェをはじめた年くらいに「もっと鳥屋野潟の近くでやっていこう」っていうことでオフィス機能をすべてここへ移しました。
――マルシェの出店者の方へは松浦さんたちから声がけをしているんですか?
松浦さん:いろんな場所で出会う中で「良かったらどうですか?」ってお誘いすることもあるんですけど、基本的にはホームページからエントリーしてもらうことが多いですね。
――「潟マルシェ」の考えに共感してもらえる方に参加をお願いする、というかたちなんでしょうか?
松浦さん:一方的に共感してもらうっていうよりも、お互いにいい関係でご一緒できる方にお願いするようにしています。僕ら側も相手が何を大事にしているかとか、社会に対してどういうメッセージを投げかけたいかってことはよく聞きますし。参加してもらうまでに直接お会いして、最終的にご一緒させてもらうかどうかを決めています。
――お互いの思いに共感し合える人とマルシェを作り上げているわけですね。
松浦さん:ひとつのテーマっていうよりも、いくつか視点があって。環境のことももちろん大事なんですけど、例えば他にも、継承されてきた技や文化をつなぐこととか、自然と人がいい関係性になれるような場にしていくこととか。そういういろんな視点を自分たちの中で持ちながら、相手が大事にしていることに共感し合える方と一緒にやっています。
――スタート当初から今も、マルシェのコンセプトは変わっていないんでしょうか?
松浦さん:2018年からは少しコンセプトを変えて、「エシカル&クラフトライフマーケット」っていうテーマを掲げていました。
――コンセプトを変えたのには何かきっかけが?
松浦さん:ものごとの背景をよく見て選択することや、自分の暮らしを他人任せにするのでなく、自分の手で豊かにつくっていく態度が大切だと感じはじめていたからだと思います。そういう暮らし方の提案やヒントに出会える場になるといいなと思って、コンセプトを変えたような気がします。
――今の「潟マルシェ」に近い感じがしますね。
松浦さん:そこからヒントを得て、アーティストが演奏したり踊ったり、ヨガをやっていたり、水辺のアクティビティがあったり。地元の食材とか人、ものに出会って、マルシェだけじゃなくて、暮らしの中にそういうものを取り込んでもらうことができたらいいなと思って、暮らし方を提案する場としてコンセプトを変えました。
――これから先も、「潟マルシェ」のコンセプトは変わっていくんでしょうか。
松浦さん:変わる必要があると思えば変わっていくと思いますね。今年は、大切にすることは指針として持ちながらも、言葉としてひとつのテーマを掲げることは辞めたんです。
――それはどうしてなんでしょう?
松浦さん:みんなが考えていることとか大事にしていることは違うし、社会自体もそういうふうに成り立っているし。ひとつの単純な答えだけで輪ができているわけではなくて、複雑な要素が絡み合って場所や社会ができているわけで。その複雑さみたいなものが場として調和することを目指す方が自然で、みんながみんならしくいられるんじゃないかなって思ったんです。興味を持ち合ったり、自分の大事にしていることを伝えるっていうことを、それぞれが大事にしていこうって考えでいます。
――今年で10年目だそうですが、今後「潟マルシェ」を続けていった先で描きたい景色ってあるんでしょうか。
松浦さん:僕はデザイン活動として「潟マルシェ」とか、鳥屋野潟の保全活動とかをやっているんですけど、やっぱり柱になっているのは、潟と人の関係性をつなぎ直して、良くし続けるっていうことなんですよね。潟に訪れたり、そこで過ごしたりすることで、潟の環境や文化が大事にされて、つながりが生まれていくといいなと思っています。
――柱にあるものはずっと変わらないんですね。
松浦さん:「潟マルシェ」もそのひとつの要因作りというか。マルシェをきっかけに鳥屋野潟に来てみたら気持ちいい場所があって、ちょっと興味を持てたり。それが子どもたちにとってもひとつの原体験になってくれたら、将来もその場所を大事にしてくれたり、「何か関わってみようかな」と思ってもらえたりするのかなって。潟と人がいい関係である風景が、いろんな場面で生まれていくといいのかなと思いますね。
――マルシェは鳥屋野潟の魅力を守りながらつないでいくための、ひとつの方法なわけですね。
松浦さん:鳥屋野潟だけにこだわらず、地域の文化や歴史も含めた価値とか背景を、しっかり次の世代につないでいきたいっていう思いに対して、僕らが持つデザインの考え方や手法を使っているんです。色や形のデザインだけじゃなくて、思考法から手法まで生かして場を良くしていくことに向き合っています。
――なるほど。デザインの手法や考え方っていろんなものに応用できるんですね。
松浦さん:何かを作ることだけでなくて、社会や地域がよくなっていくために自分たちの力を使うことがいちばん大事なことだと思うので、そのひとつのかたちとして「潟マルシェ」をやっていく。僕らのデザイン活動を社会のために役立てられる場所を増やしていけたらいいなと思います。
潟マルシェ