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弥彦の農業と観光をつなぐ「ヤヒコロジー株式会社」。

今年2月にThingsで紹介した、弥彦村にある「割烹 お食事 吉田屋(よしだや)」。その息子さんが東京から帰ってきて、お店の経営に携わりながら弥彦の地域活性に取り組んでいると聞き、さっそく、弥彦山を正面に眺めることができる「弥彦の丘サテライトオフィス」にお邪魔してお話を聞いてきました。

 

 

ヤヒコロジー株式会社

佐藤 尚樹 Naoki Sato

1989年西蒲原郡弥彦村生まれ。大学卒業後、東京の大手企業で経験を重ね、多くのPRに携わる。2023年に弥彦へ帰って家業の「株式会社 吉田屋」へ入社し、2024年には「ヤヒコロジー株式会社」を起業する。趣味はサーフィン。

農家と手を組んで、弥彦ブランド商品を開発。

——「ヤヒコロジー」って、ちょっと変わった言葉ですけど、どういう意味があるんですか?

佐藤さん:「弥彦」と「エコロジー」を掛け合わせた造語なんです。弥彦の「あるべき生態系」を考えていきたいという思いで名付けました。普通、営業不振のお店は淘汰されて、新しいお店に変わっていってしまうわけですが、そうしたことをネガティブに捉えるのではなく、みんなでポジティブに考えながら活性化していきたいんです。

 

——自然に対しての「エコロジー」かと思いました。

佐藤さん:もちろん、その意味もあるんです。現在農業をやっている人は60〜70代が多くて跡取りもいないため、5年後にはほとんどが引退して農地が半分以上なくなるだろうというデータがあるんです。そこで、農家がこれ以上減少しないよう、農業で継続的に食べていけるような仕組みづくりにも取り組んでいます。

 

 

——そのひとつが「伊彌彦醤油」なんですね。

佐藤さん:そうなんです。使用している原料の大豆や小麦は100パーセント弥彦産で、手離れがいい上にお米よりも高く売ることができるんですよ。そういった商品を開発することで、農家の応援をしていけたらと思っています。

 

——他にもそうした商品を開発しているんですか?

佐藤さん:最近立ち上げた「YAHIKO UPCYCLING(ヤヒコアップサイクリング)」という事業のなかで、弥彦の枝豆を使ったポタージュやソルト、アイスクリームができました。弥彦の枝豆は、出荷前の選別で半分近い数が規格外品としてはじかれて、畑に戻したり知り合いに振るまわれたりしているんですよ。

 

——えっ、半分近くも?

佐藤さんそうなんです。美味しい味は変わらないので、粉末にすれば形が悪くても関係なく売ることができるんです。粉末化事業はYAHIKO Avenir合同会社が主体事業者で、ヤヒコロジーはブランディングや販路開拓をがんばっています。

 

——なるほど。「伊彌彦醤油」と「枝豆ソルト」はどちらも調味料として使えます。

佐藤さん:調味料って、汎用性が高いんですよ。ラーメンや豆腐に使うだけでご当地グルメをつくることができるし、お店の卓上調味料に使ってもらえば観光地らしさを味わってもらえるんです。

 

自分のスキルを生かして、弥彦の問題解決に役立てたい。

——佐藤さんは「ヤヒコロジー株式会社」を立ち上げる前、どんな仕事をされてきたんですか?

佐藤さん:大学でマスメディアの勉強をして、それからは東京で企業の情報発信を担うプレスリリースの仕事してきたんです。最初に勤めた会社では、化粧品やテレビドラマのPRとかキャンペーンとかを企画運営していました。2016年からは交通事業をメインにした大手グループ会社で、渋谷再開発に関わるPRに取り組んでいたんですよ。

 

——大規模で大変そうな仕事ですね。

佐藤さん:当時は渋谷再開発に対して不満を持つ方もいたので、インフラが整備されることによって素敵な未来が待っているんだということを伝え、ポジティブに捉えてもらえるようなPRを心掛けました。

 

 

——そのときの経験が、弥彦に帰ってきた今も生かされているんですね。どうして帰ってくることになったんですか?

佐藤さん:僕の実家は弥彦で「吉田屋」という割烹食堂をやっています。父が亡くなったことで母も引退を考えていたんです。僕は店を継ぐつもりがなかったんだけど、四代にわたって弥彦で親しまれてきた店を残したいと思って、後を継ぐことを決心して弥彦に帰ってきたんです。

 

——馴染みの常連さんにとっては嬉しいことですよね。でも、今までやってきた仕事への未練はあったんじゃ……。

佐藤さん:それまでずっと規模の大きな仕事をしてきたので、自分のやっている仕事の意義がよくわからなくなってきていたんです。自分が手がけた商品がたくさん売れても、そこに喜びを見出せないというか……。でも弥彦に帰って「吉田屋」を手伝いはじめてからは、幸せそうな笑顔を目の前で見ながら、お客様の反応を実感できるようになりましたね。

 

——「吉田屋」さんは以前Thingsでも紹介させていただきました。でも、どうして「ヤヒコロジー株式会社」を立ち上げたんですか?

佐藤さん:弥彦に戻ってきて、人口減少で増えている空き家や、離農で増えている耕作放棄地といった問題を目にして、自分がこれまでやってきたスキルを生かすことで、解決のお手伝いができればと思いました。地元への恩返しもしたかったんですよね。

 

小さな村でも、仕事を創り出すことができる。

——弥彦で事業をはじめてみて感じたことってありますか?

佐藤さん:東京でやっていたときとは、良くも悪くもスピード感が違いますね。東京では電車やタクシーで移動することが多いから、移動中にメールのやり取りや資料のチェックができるんですが、新潟では自家用車を運転しての移動になるのでそれができないんです。

 

——なるほど。

佐藤さん:あと一体感の薄さを感じています。観光業は観光業、農業は農業というのではなく、もっとお互いに連携しながらやっていかないと村全体を盛り上げることはできないと思うんです。そこで僕がみんなをつなぐ役割を担っていけたらと思っています。村も観光に力を入れはじめてきているので、今がチャンスなんじゃないでしょうか。

 

——今後やってみようと思っていることがあったら教えてください。

佐藤さん:9月28日に開催される「YAHIKO JAZZ FESTA」の実行委員として携わっています。「割烹の宿 櫻家(さくらや)」さんをはじめ、「弥彦駅」や「おもてなし広場」「ヤホール」といった弥彦村各所でジャズのステージを楽しむことができるイベントなんです。今回は彌彦神社まで会場になっています。ぜひホームページで詳細を確認して、ジャズを楽しみに来ていただきたいですね。

 

——それは盛り上がりそうなイベントですね。他にも予定している取り組みはあるんでしょうか。

佐藤さん:いろいろあるんですけど、「YAHIKO UPCYCLING」の一環で、上越のクラフトジンメーカーと一緒に弥彦茶豆を使ったジンをつくる予定です。全都道府県の特産品でクラフトジンをつくる「県ジンプロジェクト」には、新潟県を代表する「県ジン」として参加します。クラウドファンディングもおこないますので、応援していただけると嬉しいですね。

 

——ご当地ビールやご当地サイダーはよく見かけますけど、ご当地ジンは新鮮ですね(笑)。今後もますます弥彦村が盛り上がっていきそうです。

佐藤さん:働き先を求めて若者が都会へ出ていくことで、弥彦の人材はどんどん流出しているわけですが、小さな村にいても仕事を創り出せるし、事業を起こすこともできるというのを、僕が実証してロールモデルになれたらいいなと思っています。

 

 

 

ヤヒコロジー株式会社

西蒲原郡弥彦村大字弥彦1143-16

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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