新潟本土と佐渡島をつなぐアクセスの要である「佐渡汽船」。私たちが乗船できているその裏には、船員の方たちによる安全管理や迅速な判断といった、責任を伴うプロの仕事があります。カーフェリーときわ丸の操舵室にお邪魔して、船長の田中さんに、佐渡汽船の船長になるまでの経緯や日々のお仕事について聞いてきました。
佐渡汽船株式会社
田中 潤一 Junichi Tanaka
1972年大阪府生まれ。幼い頃から大型船の船長に憧れ、高校卒業後は「神戸商船大学」へ入学。卒業後、新卒で「佐渡汽船株式会社」に入社。5年前、船長に就任しカーフェリーに乗務。
――田中さんは大阪のご出身なんですよね。どういう経緯で佐渡汽船の船長になられたんでしょうか。
田中さん:船長になりたいと思ったのは小学生の頃です。おじさんが船と取り引きする仕事をしていて、一緒に連れられて船に乗ったんです。そのときに会った船長を見て「かっこいいな」と思いました。小学校の卒業アルバムも、将来の夢を書く欄に「船長」って書いていたんですよ(笑)
――子どもの頃からの夢が叶っているわけですね! 素敵。
田中さん:なぜ佐渡汽船に入社したかっていうのは、船酔いする体質だけれども、大きい船に乗りたかったからなんです。だから運航時間が短い大型船があるかなと思っていろいろ見ていたときに、佐渡汽船の求人を見つけました。
――なるほど。
田中さん:当時の佐渡汽船はカーフェリーが5隻、ジェットフォイルが5隻もあって、ワクワクしました。たまたま先輩が人事課にいたから見学しに来たんです。そしたら皆さん温かく迎えてくれて、ここに入ることにしました。アットホームな会社ですよ。
――気になっちゃったんですけど、船長さんでも船酔いされるんですね。
田中さん:そうなんです。だから出港後は早めに航海士と交代します。
――なんだか安心しました(笑)
田中さん:船酔いすること自体は悪いことじゃないからね。これも体質ということで、自分は納得しています(笑)
――船長さんって、具体的にはどういうお仕事をされているんでしょう?
田中さん:船長の仕事というのは、とにかく船を安全に運航すること。すべての責任を取らなくてはいけない立場ですね。入港・着岸……要は船を港に着けたり、港から出したりするのも仕事です。
――なにより安全第一と。
田中さん:お客さんに快適に過ごしていただきたいですからね。特に冬場になると海がしけるから、船を走らせるか走らせないかっていう就欠航を判断しなければいけません。それは船長と運航管理者が話し合って決めるんだけど、意見が対立した場合は船長の権限で欠航します。
――責任重大ですね。田中さんはどんなときに「この仕事を目指してよかった」って思いますか?
田中さん:船乗りになって良かったなと思うのは、船の窓から天体ショーを見られることですね。昨日はオリオン座流星群がピークだったし、最近だとスーパームーンもすごかったです。夜航海のときは空が本当に綺麗ですよ。
――へ〜! 夜の操舵室から見る景色は最高でしょうね。
田中さん:佐渡の夜は、星座盤を見ないと星座が分からないくらい星がよく見えるんです。そういうふうに、自然とのふれあいがあるっていうのがいいですね。今日も朝焼けがすごく綺麗だったので、そういうのを見ると「この仕事をしていてよかったな」って思いますね。
佐渡汽船株式会社