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どの地域でも愛される唯一無二の味を追求する「麺屋 Aishin」。

古町からはじまり、東区と東京都内で営業を続けるラーメン店「麺屋 Aishin」。何度もメディアに登場する人気店です。今回は「愛心グループ代表」の笠原さんに、オープン前の苦悩や古町で営業していた頃の思い出、これから目指していることなど、いろいろとお話を聞いてきました。ちなみに笠原さん、代表の立場になった今も現役で調理されているそうですよ。

 

麺屋 Aishin

笠原 義貴 Yoshitaka Kasahara

1986年新潟市生まれ。音楽系の専門学校へ進学した後、音響の仕事に就く。その後、古町のクラブで働き、23歳のときに飲食業へ転職。中華料理店で経験を積み、2015年、古町に「Aishin」をオープン。翌年、東区に移転。2018年に東京へ初出店。大好きな直江兼続公をヒントに店名を決定。小学生の頃から柔道でも活躍。

 

人情あふれる粋なまち、古町に出店した頃の濃い思い出。

——「Aishin」さんは以前、古町で営業されていましたよね。笠原さんはお店をオープンするまでどんなご経験をされていたんですか?

笠原さん:僕は音楽が好きで、音響の仕事をしたいと思っていたんですよ。それで音楽系の専門学校へ進学したんですけど、卒業はしていないんです。いち早く現場で仕事を覚えようと思って。その頃の夢は、東京ドームで音を鳴らすこと。それで東京に行くためのお金を貯めたくて古町のクラブで働きました。そしたらけっこう出世しちゃって(笑)。なかなか辞められなかったんですけど、「このままじゃいけない」と、サービス業の経験を生かして、23歳のときに飲食の道へ進みました。

 

——それからどうされたんですか?

笠原さん:最初は全国にフランチャイズ展開している中華料理のチェーン店で働きました。そこで中華の調理技術を本格的に学ばせてもらったんです。でも「いつか自分の店を持ちたい」と思っていたので、新潟に本社がある中華料理店に転職しました。

 

 

——そこでラーメンを学んだわけですか。

笠原さん:どちらもチェーン店だったので、麺やチャーシューなんかは用意されているものを使っていたんですよ。つまりマネジメントと調理はできるけど、材料をどうやって仕込むかはまったくわからなくて。ゼロからイチを作るのはできなかったんです。古町で「Aishin」をはじめるまで、5ヶ月くらいでしたかね、もう極限状態で独学でラーメンの勉強をしました。

 

——その極限状態だった頃のこと、もっと聞いてもいいですか?

笠原さん:ひとりで引きこもっていたので気が狂いそうでしたよ。オープンの1週間前までひとつもメニューが完成しなくて。不安と「やらなければよかった」っていう後悔でどうにかなりそうでした。

 

——それでも頑張れたのはどうして?

笠原さん:20代のうちに自分のオリジナリティっていうか、存在を残したいっていう気持ちが強かったんです。30代になったらそういうエネルギーが薄れちゃうような気がして。「どうしても20代のうちにやってやるんだ」って、まぁ意地と勢いですよね(笑)

 

——その目標は実際に叶ったわけですね。笠原さんが古町にお店をオープンしたのは、29歳のときだから。

笠原さん:古町で営業していたのは半年くらいでしたけど、あの頃の思い出がいちばん濃いですね。お金がなくて看板すらつけられなかったし、最初の1ヶ月はひどい売上だったんですよ。お先真っ暗な道を進んでいる感じで「もう終わったな」と思いました。

 

——そうなんですか? 私、古町の「Aishin」さんをよく覚えているんですよ。けっこう遅めの時間なのにすごく賑わっていました。

笠原さん:ありがとうございます。きっと営業をはじめてしばらく経ってから来ていただいたんですね。もともと古町で働いていたから自分のホームみたいな場所で、人の流れもわかるし、知り合いもいる。でも古町のお客さまって舌が肥えているんですよね。一流料理店がたくさんあるし、経営者の方も多い。だから怖かったんです。それでお酒を飲んでいい気分になっている方をお迎えしようと深夜帯にも営業していたんです。

 

——ふふふ。酔っ払いさんをお相手にしようとされていたんですね。

笠原さん:23時以降がピークでしたからね(笑)。ラーメンは4種類だけで、一杯、一杯丁寧に作っていました。あの頃、ほとんどの古町のクラブとスナックにクーポン付きの手作りチラシを持って挨拶まわりしたんですよ。そうすると古町って人情のまちだから、ママさんがお客さんと一緒にすぐ来てくれて。それもクーポンは使わずに。粋ですよね。

 

豊富なメニューを揃える本当の理由。

——そんな草の根運動もあって、人が人を呼ぶお店になったんですね。

笠原さん:テレビや雑誌の取材にも来ていただいて、オープンから3ヶ月目以降は11時過ぎに行列ができるようになりました。

 

——ほんの数ヶ月前まで苦しんでいたのが嘘みたい。

笠原さん:あの頃を振り返ると「人間、やれないことなんてないんだな」と思いますよ。ただ目の前のことを夢中でやって、結果がついてきたんですね。それから経営的にも安定して、「やっぱり昼間にラーメンを提供したい」と東区に移転しました。

 

——より客層が幅広くなったのでは?

笠原さん:ファミリー向けのスタイルが得意でしたし、いろいろな方に来ていただけて嬉しかったですね。でも生きた心地はしませんでした(笑)。東区の店舗はお酒を飲む方が少ないから回転が早いし、オープンキッチンだからお客さまの目の前で調理しなくちゃいけなくて。クオリティはなんとか維持できたと思うんだけど、オープン当初はそうとうお待たせしたと思います。申し訳なくて、あまり記憶がないくらい。今は他のスタッフにも調理を任せていますし、周りにも気を配れるようになってきたんですけどね。

 

 

——「Aishin」さんらしさってどんなところにありますか?

笠原さん:中華ベースに新潟らしい煮干しの出汁スープを取り入れています。「中華とラーメン専門店を融合させている」って感じでしょうか。当初から東京へ出店することを目指していたので、地域性の強いラーメンにはしたくなくて。斬新だけどどこでも受け入れられるところが持ち味だと思っています。

 

——20種類以上ある豊富なメニューも魅力ですよね。

笠原さん:東区に移転してから1年くらいは古町で営業していた頃と同じでラーメンは4種類だけだったんですけど、余裕が出てきてからはどんどん新商品を作りました。そしたら今度はメニューを下げられなくなっちゃって。メニューができるまでにはそれぞれドラマがあります。子どもみたいなもので、そんなわけないんだけど、意思があるように思えちゃって。

 

——それでどんどんメニューが増えたんですか。笠原さんにも人情を感じちゃう。

笠原さん:トレンドを新潟に引っ張ってくるのは面白いですよ。東京で流行っているものをいち早く自分の店で取り入れて、新潟の皆さんに衝撃を感じてもらいたいと思っています。それも地域貢献かなと。

 

「Aishin」第2章を支える「海老寿久担々麺」を世界に届ける。

——やっぱり人気は麻婆麺ですか?

笠原さん:新潟ではそうですね。でも東京では「海老寿久担々麺」がダントツ人気です。麻婆麺は当初考えた4つのラーメンでは4番手だったんですけどね。自信のあったラーメンじゃなくて、いつの間にか麻婆麺が主力になりました。やってみないとわからないものですよね。

 

——「海老寿久担々麺」は、まさにオリジナリティあふれるメニューですよね。

笠原さん:「海老寿久担々麺」は、「Aishin」の第2章を作ってくれました。このラーメンは、失敗から生まれたメニューなんです。経験のあるマスターと洋食店の営業をしていた頃にビスクスープを覚えました。「中華ベースのビスクスープに坦々麺と合わせたらどうなるかな」と何度も試作を繰り返していたら、エビの分量を間違えてレシピの3倍の量を入れてしまったんです。でも、それがすごく美味しくて。専用チーズをライスに乗せた「追いリゾ」で、リゾットとしても楽しめるっていうスタイルも確立できました。「海老寿久担々麺」がなかったら東京でうまくいっていなかったと思います。「Aishin」の格を上げてくれている、そんなメニューです。

 

 

——まさに地域を選ばないラーメンにも思えます。

笠原さん:去年ラーメンのイベントに出店したんですけど、「海老寿久担々麺」の評価がすごく高くかったんですよ。うちの唯一無二の武器だし、世界に通じる味だと思っています。何とかしてこのラーメンを世界中で食べてもらえるようにするのが今の目標です。そのために頑張らないとですね。

 

——ここまで見事なサクセスストーリーだなと思いつつお話を聞いているんですが、ご自身ではどう思われていますか?

笠原さん:サクセスストーリーだなんて、これっぽっちも思ってないです。まだまだスタートラインにも立てていないですよ。

 

 

 

麺屋 Aishin 河渡本店

新潟市東区河渡本町22-16

tel/ 025-279-2200

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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