新潟県民にとってテレビやラジオでお馴染みの「BSN新潟放送」。その看板番組のひとつが2011年から15年近く続いている情報バラエティ番組『水曜見ナイト』です。今回ご紹介する内藤亜沙美さんは番組スタートからずっと番組の制作に携わってきました。そんな内藤さんを訪ねて、番組を制作する上で大切にしていることや制作裏話の数々を聞いてきました。
株式会社 新潟放送
内藤 亜沙美 Asami Naito
1981年長岡市生まれ。2004年に株式会社 新潟放送に入社し、ディレクターやプロデューサーとして情報バラエティー番組の制作に携わる。その他にも数々のドキュメンタリー番組を手がけ、2009年に「JNNネットワーク協議会賞(環境・エコ部門)」優秀賞の受賞をはじめ多くの受賞歴がある。
——内藤さんはBSN新潟放送で、どんな番組に携わってきたんでしょうか?
内藤さん:『ウィークエンドi』からはじまって、『イブニング王国!』『THE新潟スペシャル』『水曜見ナイト』といった情報番組を担当してきました。
——新潟県民にとってはお馴染みの番組ばかりですね。新卒で入社されたんですか?
内藤さん:そうです。でも放送局だけを志望していたわけでもなくて、とにかくエンタメに関わる仕事がしたかったので、テーマパークの採用試験も受けたりしていました。
——テレビ局の仕事をはじめてみて、どんなことを感じました?
内藤さん:入社して3か月しか経っていないのに、『ウイークエンドi』の1コーナーを担当することになって、ロケから編集までを任されることになったんです。忙しい上に不安もありましたが、自分が作り上げたものが放送される楽しさも感じましたね。このスピード感は地方局だからこそできることだと思います。
——それだけ能力が認められて、信用されたんでしょうね。ミスなんかしなそうですもん。
内藤さん:そんなことないですよ。津南町にある清津峡をトレッキングして、下山後は温泉に入るというロケがあったんですけど、そのときに大失敗をしてしまったんです。プロの登山家さんから往復2時間程度の所要時間と聞いていたのに、登りだけで4時間もかかってしまったんですよ。プロと素人のトレッキング能力の差を計算できなかったんですね。
——その上、カメラなんかの機材もありますもんね。
内藤さん:そうそう。登山道のコンディションも悪かったので、カメラマンが転んでカメラが壊れちゃって。なんとか下山したんですけど、温泉のロケをはじめたのが20時〜21時だったので、真っ暗ななかでの撮影となってしまい、責任者としてリサーチの甘さを反省しました。
——それは大変でしたね……。気を取り直して、楽しかった思い出をお聞きしたいと思います。
内藤さん:伊勢みずほさんと商店街を巡った「まちかど行ってみずほ」というコーナーは楽しかったですね。いろんなお店にお邪魔しましたけど、お客として買い物に訪れているだけではわからない商店街の魅力を知ることができました。
——例えばどんな魅力ですか?
内藤さん:下町の商店街には面白おじさん、おばさんが多くて、それぞれのお店にドラマがあることを学びました。私は長岡市で生まれ育ったんですけど、今は古町が第2の故郷だと感じています(笑)
——情報番組の他に、ドキュメンタリー番組も制作されていますよね。
内藤さん:入社3年目頃から、ドキュメンタリー番組も任されるようになりました。民間天文台をつくっている方や、長岡花火大会の花火師など、いろいろな人たちを紹介しましたね。相手の懐に入らなければ本音を引き出すことはできないので、山小屋に泊まってドラム缶風呂に入ったり、お酒を酌み交わしたりして、いろんな人と仲良くなりました。
——そのなかで印象に残っている取材はありますか?
内藤さん:世界的なネイチャーアクアリウムクリエーターにして写真家でもある天野尚(あまのたかし)さんが、ポルトガルのリスボンで40メートル水槽のアクアリウムに取り組む挑戦に密着した取材ですね。40人ほどのスタッフを従えて1週間で一気につくる姿に圧倒されました。アクアリウムというよりも自然の川をつくっているようでしたね。
——すごい現場に立ち会ったんですね。
内藤さん:そのとき天野さんは病気で余命宣告を受けていたんですが、そんなことを感じさせない、エネルギッシュで鬼気迫る姿でした。そんな貴重な様子を映像に残すことができたことは、テレビマンとして素晴らしい仕事をさせていただけたと思っています。
——本当に貴重な体験をされたんですね。他にも印象に残っているお仕事はありますか?
内藤さん:高校時代から憧れていたロックバンドHi-STANDARDの難波章浩(なんばあきひろ)さんが『水曜見ナイト』に出演してくださったことです。その難波さんが老舗ラーメン店の味を守るべく始動した「なみ福」プロジェクトを、立ち上げ当初から取材させていただくことになったんですけど、難波さんの「新潟を盛り上げたい」という熱い思いに共感して、しっかりとストーリーを見せることを心掛けました。
——何週にもわたって紹介していて、力が入っていると感じました(笑)
内藤さん:おかげさまで反響が大きかったですね。それを見た東京のテレビ局からも取材が来たようで、自分たちの発信が世のなかを動かすことができて、学生時代から心の支えだった難波さんに恩返しできたことが嬉しかったですね。
——テレビの仕事をしていたから経験できたことですよね。
内藤さん:いろいろな夢を叶えることができる可能性を持っていますよね。夢といえば、BSN新潟放送の創立70周年を記念して「ユメファクトリー 70の夢応援プロジェクト」という企画があったんです。いろいろな人から募集した夢をテレビやラジオを使って実現するというものでした。
——例えばどんな夢を実現したんでしょうか?
内藤さん:「新人バスガイド時代に自信をくれた弘前の修学旅行生たちに、会ってお礼を伝えたい」という依頼を受けて、ラジオで探し出して再会を叶えたんです。他にも「若い頃から憧れてきたエルヴィス・プレスリーになりきって人前で歌ってみたい」という願いを叶えて、番組MCに知らせないままスタジオでサプライズステージをやってもらいました(笑)
——新潟県民への恩返しのような企画だったんですね。内藤さんが番組をつくるときに心掛けていることを教えてください。
内藤さん:視聴者を「へぇ〜」って言わせたいので(笑)、驚くポイントを必ず入れるようにしています。あと料理や商品の紹介であっても、人にスポットを当てるように心掛けているんです。あくまでも主役は新潟県民で、その方々のストーリーを大切に伝えてきました。
——これからやってみたいことがあったら教えてください。
内藤さん:じつは部署の異動があって、7月から番組の制作を離れることになったんです。これからは「メディアビジネス局の営業推進部」という部署で広告収入をバックアップするための仕事をいろいろとやっていきます。
——今までとは違うお仕事なんですね。
内藤さん:同じ会社ではあっても、転職したのと同じくらい業務内容は変わりますね(笑)。番組制作から離れるさみしさはありますが、今までの経験を生かして、営業と制作をマッチングさせて、うまく連携が図れるようにしていけたらいいなと思っています。
——なるほど。
内藤さん:それから地域との連携にも取り組んでいきたいです。子ども達のより良い未来を願って、役立つ情報と体験を地域の皆様と考える「キッズプロジェクト」にも力を入れていきたいと思っています。
株式会社 新潟放送
新潟市中央区川岸町3-18
025-267-4111