色鮮やかな鏝絵(こてえ)の土蔵がある「機那サフラン酒本舗」。

「機那サフラン酒本舗」の土蔵は、醸造の町・摂田屋のランドマーク。

長岡市にある摂田屋(せったや)という地域では、江戸時代から醤油、味噌、日本酒などの醸造文化が栄えてきました。いまでも醸造蔵が残り、その風情が残る土地です。その中でも目を引くのが、色鮮やかなレリーフを施した大きな土蔵。中国の聖獣、動物、植物などの図柄が扉を飾っていて見応えがあり、摂田屋のランドマークとなっています。そこは「機那サフラン酒本舗」というスポットで、サフラン酒というお酒で財を成した吉澤仁太郎(よしざわにたろう)という人物の邸宅でもありました。今回は「機那サフラン酒本舗」を保存する活動をしている「機那サフラン本舗 保存を願う会」の平沢さんにお話を聞きました。

 

機那サフラン本舗 保存を願う会

平沢 政明 Masaaki Hirasawa

1957年長岡市生まれ。機那サフラン本舗 保存を願う会の事務局長を務め、ガイドをするほか、いろいろ研究しては資料にまとめている。趣味はソフトバレーで、小学生チームの監督も務めていたことがある。

 

ちょっとめずらしい鏝絵ってどんなもの?

——今日はよろしくお願いします。この土蔵はひときわ目を引きますね。

平沢さん:土蔵は機那サフラン酒本舗の中でも一番の見所になってます。大正15年に建てられたもので、大きな特徴は破風(はぶ)や扉に施された色鮮やかな鏝絵(こてえ)。白黒のなまこ壁と、極彩色の鏝絵とのコントラストが美しい蔵ですよね。鏝絵の数や造形美は「日本一」ともいわれ、国の登録有形文化財にも指定されてます。

 

——今お話に出てきた鏝絵っていうのは、どういうものなんでしょうか?

平沢さん:左官職人が壁を塗る鏝を使って描く漆喰装飾の一種です。彫刻のように削って作るんじゃなく、レリーフのように肉付けをしながら作っていくんですね。漆喰はすぐに固まってしまうから、一気に仕上げなければならないそうです。江戸末期に入江長八という職人によって全国に広まりました。

 

 

——とても立体感がある装飾ですよね。この土蔵の鏝絵にはどんな特徴があるんでしょうか?

平沢さん:作者は隣に住んでいた河上伊吉(かわかみいきち)という左官です。これだけの腕を持っているのに、この職人の作品は「機那サフラン酒本舗」以外で見ることがないんです。鏝絵にはいろいろな縁起物などがモチーフになっています。東面には中国の聖獣・龍(りゅう)、鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、玄武(げんぶ)、北面や南面には植物と動物を組み合わせた図柄が並んでるんですよ。内部の大扉にも、恵比寿と大黒天の鏝絵があります。これはよく見ると、初代の吉澤仁太郎、二代目の勇次郎の似顔になってるんです。

 

——おすすめの鏝絵はありますか?

平沢さん:私が好きなのは北面にある「馬と桜」の図柄です。色鮮やかでシャガールの絵画みたいですし、シャレみたいな取り合わせも楽しいですよね。堅苦しくなくて、すべてが自由な作風なんです。それから、時間でいえば朝がおすすめ。朝日が東面に当たると、くっきりと立体感が出てそれは見事なんです。

 

自作自演のプロモーションで話題になったサフラン酒。

——「機那サフラン酒本舗」のサフラン酒というのはどんなお酒なんですか?

平沢さん:そもそもは「薬用酒」ですね。漢方薬をアルコールに溶かして作るお酒のことです。サフランというアヤメ科の植物のめしべを使った香辛料を主原料に今はサフランとタイソウ、チョウジ、ケイヒ、カンゾウ他の入れリキュールとして販売しています。20種類以上の漢方薬が使われていました。

 

——薬用酒だったということですけど、どんな効能があったのでしょうか?

平沢さん:疲労回復、滋養強壮のほか、冷え性、月経不順などの婦人病にも効果があったといわれてますね。女性がなかなかお酒を飲む機会のなかった明治時代。お酒としてではなく、薬としてだったら飲めるということで、女性をターゲットにした商品だったようです。

 

——そういう意味もあったんですね(笑)。サフラン酒はけっこう売れたんでしょうか?

平沢さん:ロングセラー商品の「養命酒」と人気を二分していたといわれています。売り始めた頃、仁太郎は北海道や関東などへサフラン酒の行商に出かけたそうです。その行商方法がちょっと変わっていたんです。まず自分が泊まる宿のそばにある薬屋にサフラン酒を置かせてもらいます。宿に帰った仁太郎は腹痛を起こしたふりをし、「近所の薬屋にいってサフラン酒を買ってきてくれ」と宿の女中に頼むんです。ガマの油売りのような自作自演の宣伝が効果を発揮して、サフラン酒は話題になっていったそうです(笑)。そういうエピソードから、プロモーション能力に長けた人物だったようですね。

 

「機那サフラン酒本舗」創業者の吉澤仁太郎ってどんな人?

——創業者の吉澤仁太郎はどんな経歴の持ち主だったんですか?

平沢さん: 文久3年に生まれ、17歳のときに長岡の薬種屋につとめます。薬種屋というのは今でいう製薬メーカーや調剤薬局みたいなものですね。サフラン酒の製造をはじめたのは21歳のころ。31歳で現在の場所に「機那サフラン酒本舗」の居を構えます。42歳のころには銃印葡萄酒を販売して大ヒットします。そのように先見の明をもって、財を成していったんですね。

 

——なるほど。では、どんな人物だったんでしょうか?

平沢さん: とにかく何でも自分でやって極めたがる人だったようです。庭の隅っこに花火蔵を作って、そこで花火師といっしょに花火を作っては打ち上げていたらしいですね。でも、その花火で近所のお寺の屋根を焼いてしまったというエピソードも残ってます(笑)。主屋や離れなどの建物にしても、庭にしても、自分で考えて職人に造らせたようです。中には自分で直接やった部分もあったようで、庭の山灯籠の多くは自分で石を刻んだそうですよ。

 

独創的な家屋や庭園はまるで「ワンダーランド」。

——土蔵だけではなく、吉澤邸も凝った造りになっていますよね。

平沢さん:いうなれば「ワンダーランド」ですね(笑)。驚きの連続っていうか。常識にとらわれることがなく、自由な発想で自分の世界を表現したんじゃないでしょうか。そこには人真似をしたくないという心意気すら感じます。

 

——たとえば、どんなところに驚きを感じますか?

平沢さん:離れ座敷の玄関を入ると、ヒノキの一枚板を敷き並べた廊下があって、その天井には18mもある杉の丸太を丸ごと1本梁に使ってます。床の間の床柱には、皮付きの桜、黒壇などすべてちがうものを使っていたりするんです。天井には現在世界遺産になっている屋久杉を使っています。また、主屋のトイレの前には池があります。これは庭の池がそのまま建物の中に入っている造りになっているんです。

 

 

——細かいところも含めて凝りまくっているんですね。家屋も大きいですけど庭園も広いですねぇ。

平沢さん:石灯籠を自作したというのはお話ししましたけど、池のほとりにある不動明王像も仁太郎の作なんです。また、浅間山から噴火した際の溶岩を運び、庭石のようにあしらっていたり、赤、青、黄色とカラフルに置かれた庭石があったり、庭園も独創性に富んでいますよね。

 

庭の草むしりから始まったボランティア活動。

——「機那サフラン本舗 保存を願う会」では、どんな活動をしてきたんでしょうか?

平沢さん:平成21年より活動しています。最初は庭の草むしりから始めました。そのときに使う道具などを屋内に置くため、家の中を片付けたところ、どんどん片付ける範囲が広がっていったような感じです。その後、長岡造形大学が建物を調査した際、物が散乱した屋内を掃除してみたら、すごい建物だということがわかったんですね。それから、長岡造形大学の先生や学生、地元の企業や住民によるボランティアで整備をしてきて、平成25年から一般公開が始まりました。

 

——見所の多い「機那サフラン酒本舗」を多くの人たちに見ていただきたいですね。

平沢さん:ふだんでも鏝絵の蔵の外観は自由にご覧いただけます。でも、庭園や建物の中へはガイドの案内がなければ入れません。公開は土日祝日の10時〜15時となっていますので、お気軽にお越しいただきたいですね。

 

 

装飾の多さやその造形美から「日本一」といわれる鏝絵の土蔵をはじめ、溶岩をあしらった庭園、ぜいたくな建材を使って凝った造りの建築など、見所の多い「機那サフラン酒本舗」。ぜひ、その「ワンダーランド」へ足を運んで、サフラン酒創業者の吉澤仁太郎の世界に触れてみてはいかがでしょうか。

 

 

機那サフラン酒本舗

〒940-1105 新潟県長岡市摂田屋4-6-33

0258-33-4560

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