2L~4Lまでの粒の大きなさくらんぼにこだわって栽培している「伝作」。まったくの未経験の状態で実家のさくらんぼ畑を受け継いだという宮野さんに、現在に至るまでの経緯などをいろいろと聞いてきました。
さくらんぼ屋 伝作
宮野 公之 Kimiyuki Miyano
1978年北蒲原郡聖籠町生まれ。専門学校卒業後、舞台美術、広告会社、飲食業など様々な経験を経て、実家のさくらんぼ畑を受け継ぐ。
――こちらは宮野さんのご実家になるんですね?
宮野さん: そうですね。昔は米農家だったんですけど、父の代から兼業農家でさくらんぼだけやっていました。普段は勤めに出ながら、さくらんぼの時期はさくらんぼを触るみたいな感じで。
――小さい頃から宮野さんも農家を継ぐように言われていたんですか?
宮野さん:子どもの頃は田植えもさくらんぼの手伝いもまったくしたことなかったです。この時期忙しいみたいだな、くらいの感じで、まったく興味もなかったです。その頃は絵を描くのが好きだったので芸術家を目指してました。好きなことやってご飯を食べられたらいいなって漠然と思ってた程度ですけど。とにかく、さくらんぼ農家になるなんてまったく考えてもいなかったですね。
――そうだったんですね。高校卒業後はどういった道に進まれたんですか?
宮野さん:東京の専門学校に進学して、卒業してからは特にやりたいこともなく、派遣会社を通して舞台美術のバイトをしながら生活してました。それもたまたま行ったバイト先が舞台美術だったってだけのことなんですけど。
――舞台美術のお仕事からさくらんぼまでは、まだだいぶ距離がありますね。
宮野さん:でもその派遣会社さんが、飲食店の新規事業を始めるために立ち上げの人員を募集している広告会社さんを紹介してくれて。ここではじめて食に携わる仕事につくことになって、飲食の勉強をいろいろさせてもらいました。
――具体的にはどんなことをしたんですか?
宮野さん:例えば街に出ていろいろなお店に入って食べ歩きしたり、例えば「移民が集まるところに行った方がいいんじゃないか」って話からニューヨーク行って、ただひたすら飯のレポートを書いたりとかしましたね。このあたりからだんだん食に興味を持つようになってきました。
――へえー、じゃあいろいろな食文化に触れることができたんですね。
宮野さん:本当は立ち上げメンバーで運営側として配置されたんですけど、料理する方がいいなってだんだん思うようになっていきました。なので副業で飲食のバイトを掛け持ちしてやってましたね。普通に会社員しながら土日昼間カフェで夜は居酒屋で働くみたいな生活をするようになりました。
――休みなしで飲食業に関わっていたんですね。
宮野さん:そしたらもう料理する方に比重を置きたくなっちゃって、会社を辞めることにしたんです。
――副業を本業にしたくなったと。
宮野さん:そう、それで最初はイタリアンのレストランで働いて、その次は鎌倉のカフェバーで働きました。複数店舗運営しているうちの1店舗で店長を任せてもらえるようになってたんですけど、そのときに東日本大震災が起きるんです。
――地震を経験して心境の変化が?
宮野さん:新潟に帰ろうと思ったひとつの大きなきっかけにはなりました。計画停電ばかりで電気使えないときが多かったし、ガイガーカウンター買った人とか、海外に逃げる人とかもいっぱい見ましたし。親父もその頃は重い病気にかかってしまって、入退院を繰り返すような状況になっていたんです。
――いろいろなことが重なったタイミングだったんですね。
宮野さん:そうですね。孫を連れて親と一緒に暮らすってのがいいように思えて決心しました。そしてどうせ帰るんだったらさくらんぼ作ってみたいなって思うようになったんです。
――お父さんの畑でさくらんぼを作ろうと決めたわけですね。
宮野さん:その後は被災地のボランティアとかもやりながらだったので、本格的に新潟に帰ってこられたのは2011年の9月でした。でもそこから半年で親父が亡くなってしまったんです。帰ってきたときには、もうさくらんぼは収穫済みだったので、右も左も分からない状態のままで親父にも聞くことができなくなってしまったんです。
――さくらんぼ畑はあるけど、育て方が分からないと。
宮野さん:親父は2012年3月に亡くなったんですけど、さくらんぼの仕事って冬は剪定とかはありますけど、春がメインなんです。だから俺はまったく何をしていいのか分からない状態で春を迎えてしまうんです。なので親戚とか近所の人に聞いてなんとか助けてもらいながら最低限の知識だけ教わってやってみました。
――とりあえず初年度はなんとか乗り切るくらいの感じだったんですかね。
宮野さん:そう、それなのにその年はさくらんぼがめちゃくちゃ成りました。でも同時に30年~40年間、祖父の代から育ててきた樹が5本枯れました。
――え? 実をいっぱいつけたけど、その後に枯れちゃったんですか?
宮野さん:結局は実をつけ過ぎて枯れちゃったんですよ。成り過ぎたのはいいことではなかったんですね。
――喜びがあったぶん、余計へこみそうですね。
宮野さん:「めちゃくちゃ実が成るじゃん」って喜んで、「これ楽勝なんじゃない?」とか言ってたんですよ(笑)。でもそこで半端な気持ちで取り組んでたんじゃだめだと思いましたね。先輩方からも「そんな無精ひげに百姓はできねぇ」と言われたりしてましたし(笑)
――目が覚める感覚ですかね。
宮野さん:それが悔しくて、枯らしたその年からは毎朝4時から夜8時までずっと畑にいました。知識がないことはしっかり受け止めて、まずは観察するしかないって思ったんですね。もちろん稼がないといけないので、知り合いの農家さんの家に手伝いに行ったりはしてましたけど、それ以外はずっと畑にいて観察してました。
――とにかく知ることから始めたわけですね。
宮野さん:やっぱ栽培技術も大事だと思って、栽培の本は片っ端から読み漁って知識を得るようにもしました。その知識を、目の前にあるさくらんぼの樹に照らし合わせていく作業を延々とやっていました。
――なにか分かることがありましたか?
宮野さん:そうするとまわりの農家さんが声をかけてくれるようになりましたね。例えば「自分はもう高齢で、雨よけのテントとかを張る作業ができないから手伝いきてくれよ」みたいな感じで。そこで行ってみると「お前毎日畑にいるけどガッツあるな。俺ももう歳だからうちの畑の一部をやってみないか」って言って畑を貸してくれたりするんです。そういう感じで徐々に畑を貸してくれる人が増えていくんですね。
――手伝いに行くことで学ぶこともありそうですね。
宮野さん:でも、そこから、その人の畑の樹を枯らすんですよ、俺は(笑)。めちゃくちゃ怒られると思いましたね。でも結局気づいたことは、樹ってやっぱ子育てとかと一緒で、育てた人のクセがとても入ってるんですね。
――クセですか?
宮野さん:親父の樹もその人の畑の樹も、枯らしたのはもちろん俺にも原因はあったんですけど、単純に他人が育ててきた樹だからってことが大きい原因のひとつだったんですよ。
――樹ってそんなにデリケートなんですか。
宮野さん:当時は実をつけ過ぎたから枯れたと思ってたけど、実はそうじゃなくて、その樹がどのくらいの実をつけても耐えられるかってことをただ知らなかっただけなんですよね。この樹はいつ喉が渇いて、いつ何を食べたがるとかっていうのは、みんな違っていて、それは親である栽培者が一番よく分かっていることなんです。
――長年のクセを知らずに急に育てられるようなものではないと。
宮野さん:「樹のクセ」「畑のクセ」「人のクセ」っていうのが複雑に絡み合いながら、その中で一本一本生きて育っていくんです。だから理論も大事だけど、それだけじゃないんだなってようやくそこで気づくんです。
――すべての樹に、その樹に適した育て方があるということですか。
宮野さん:先輩たちもやっぱり自分の畑しか持ってなくて、他人が植えたものを触ったりはしないんですよ。もちろん栽培の技術や理論の基本はあるけど、それを行うタイミングとか量とかっていうのは人それぞれ違うから。例えばこの樹の葉っぱを今日取るか明日取るかでも、樹にとっては大きな違いなんです。それが前の人が作ってたタイミングと違ってしまった時点でうまくいかなくなるんじゃないかって思うようになったんです。
――40年近くのクセがしみついているなら余計ですね。
宮野さん:そうなんですよ。そしておそらく、前の人のやり方をそのままきっちり受け継ぐなんてことはほぼ不可能なんじゃないかって思うんですよね。こういう自然の樹形で作っているものは特に。
――宮野さんが育てているものはなんという品種になるんですか?
宮野さん:佐藤錦と言って、さくらんぼの王様といえば佐藤錦といわれるくらいの品種なんですけど。佐藤錦って自分の花粉だけじゃ実をつけないんです。だから佐藤錦だけ植えてもだめで、3割から4割は他の樹を混植しなきゃいけないんです。
――同じ種類の花粉で実をつけない植物なんですね。
宮野さん:だから受粉の環境を整えてあげないといけないんです。ミツバチに受粉の手助けしてもらったり、あとは花粉を採取して人工授粉するしかないんですね。あとは気候も大事で、開花中に気温が25℃以上になってしまうと雌しべが壊死してしまうのでその時点で成らないことが確定します。
――じゃあ夏とかどうするんですか?
宮野さん:太陽光はまず地面を温めてそこから空気が温まっていくので、水をばんばんまいて地面をまず冷やすことで花が熱くならないように対処します。逆に霜が降りるときも同じで、今度は気温が下がらないように水をまいてやります。
――気温にもすごく敏感なんですね。
宮野さん:特に開花中の気温にはすごく敏感です。だから霜注意報とか気温25℃超えそうな予報のときは必ず水まきをしています。
――育て方にこだわりとかってありますか?
宮野さん:さくらんぼに関しては、やっぱ大玉の方が美味しいんです。もちろん果肉のやわらかさや、酸味の有無とか人によって好みは分かれると思いますけど。だからなるべく大きくなるように育てています。
――大きさにはなにか基準を設けているんですか?
宮野さん:スーパーで見かけるようなものは出荷基準でMサイズからLサイズとかになってくると思うんですけど。今うちのさくらんぼの7割くらいは2Lサイズのものを出荷しています。
――どうやったらそんな大きく育つんですか?
宮野さん:栽培で人の手が加えられる部分って実はそんなに多くないんです。施肥、剪定、病害虫予防の3つが主になってきて丁寧に見て行かないといけない部分になります。枝を混ませると虫がつきやすくなるし、陽当りも悪くて光合成量が減ります。剪定は陽当りを良くしていかに実が太るような状態にしてあげられるかっていうところが大事。ジャングルみたいに枝いっぱいつければいっぱい実はなるけど太らないんです。
――ほんと日々の観察や気づきが大事そうですね。
宮野さん:植物にとって実をつけたり花を咲かせるって言うのは成長の過程ではなくて、子孫を残すっていう生殖作業なわけですよね。ということは弱れば弱るほど実が成るわけですよ。
――生き物の本能的なとこですね。
宮野さん:じゃあ弱らせていっぱい花が咲いて実が付いた方がいいんじゃないかって思うかもしれないんですけどそうではなくて、樹を若く保ちながら育てるっていう管理が大事になってくるんです。そうするととても良い実が成るんです。弱っているときの子孫繁栄のための実ではなくて、若々しい樹から作られる実の方が当然美味しいわけです。
――とても難しそうですね。
宮野さん:結局どこにどんな実がつくかって、徹底的に1年間研究したからできることで、そんな簡単にコントロールできるもんじゃないんです。栽培技術、栽培理論を読み漁りましたが、今はまた観察ってとこに戻ってきている感じですね。今一番求めている実がどの枝にどういう状態でついていて、いつどんな状態なのかっていうことを見ていくんです。そうするとじゃあその枝を作るにはどうしたらいいのかっていう逆算の栽培になっていく。
――逆算の栽培ですか。
宮野さん:そうすると本に書いてあるのは「この時期にはこれをしましょう」みたいなことだけど、自分が木に教えられているのは「理想の実を成らせるにはどうしたらいいかを考えろ」ってことなんですね。本や他人に教わったことをやっていればある程度作れますし楽ですけど、でもそれだとうまくいかなかったときにまったく対応できないんです。
――樹に教えてもらっているんですね。
宮野さん:自分が見て成功したことをどんどん試して増やしていくっていう作業ですね。もちろん本に書いてあったことや周りに教えてもらったことも全部試しましたけど、意味なかったことはもうやっていないですね(笑)
――生き物との関りは常に正解も変わりそうですね。
宮野さん:実はサイズも3Lとか4Lとかってくらいのも作っているんだけど、規格として当てはまるところがないから売り方に困っているような状況です(笑)。たまたまできた3Lとか4Lとかじゃなくて狙って作っているものになるから、そこは金額のつけ方も考えていかないとなって思っています。
――狙って作れるっていうのが大事なわけですね。
宮野さん:さくらんぼ作りって緻密な計算のように見えるかもしれないけど、観察とか感覚の部分もすごく大きくて芸術的なものに近いんじゃないかなって思ってやってます。それでもめちゃくちゃ失敗してまだまだ分からないことだらけですけど。
――今年はもう完売されてましたよね?今後はどこで買えますか?
宮野さん:さくらんぼってほんと博打って言われるくらいその年によって成りが違うんです。買える場所としてはECサイトとか大手百貨店さんとかスーパーさんに贈答ギフトとして置かせてもらっています。予約は5月の連休明けでほぼ打ち切っていて、2月から3月くらいから予約開始しています。
ありがとう御座いました。宮野さんが作る佐藤錦のさくらんぼブランド「さくらんぼ屋 伝作」は、毎年売り出しと同時に即売り切れになるほどの人気商品。その他にも、ブランド化できなかった規格外の佐藤錦もお手頃で価格でネット販売もしているとか。こだわりの美味しいさくらんぼが食べたいなと思ったら、少し早めですが2月から3月くらいからのご予約をおすすめしているそうです。
さくらんぼ屋 伝作
新潟県北蒲原郡聖籠町三賀848