「日本三大芸妓」と呼ばれる芸妓のひとつが新潟にあること、皆さん知っていました? 有名な京都の「祇園」、東京の「新橋」と並んで、新潟の「古町芸妓」がそのひとつなんです。あでやかな着物姿で踊りや長唄を披露し、お座敷を華やかに盛り上げる「古町芸妓」。今回は「振袖さん(若手芸妓)」として働く、昨年入ったばかりの新人芸妓3人に、お座敷前のわずかな時間で話を聞いてきました。
古町芸妓
さつき Satsuki
1999年新潟市生まれ。芸妓の姿できれいに踊ってみたいという思いから古町芸妓に。趣味は映画鑑賞で、最近観た映画は「アラジン」。
古町芸妓
咲也子 Sayako
1999年長岡市生まれ。楽器演奏が好きで三味線や太鼓などに興味があった。趣味は映画やドラマ鑑賞で、最近ハマったドラマは「3年A組」。
古町芸妓
那緒 Nao
1995年沖縄県生まれ。日本の伝統芸能に興味があり古町芸妓に。ディズニーランドが好きで、以前は年に2〜3回は遊びに行っていた。
港町・新潟は、江戸時代から多くの船が出入りし、多くの人々が集まることで発展してきた町です。そこで街にはお客さんをもてなすための料亭が軒をつらね、芸妓さんの粋な踊りなどによるお座敷文化が発展してきました。最盛期には400人もいたという古町芸妓。しかし、社会の移り変わりの中で後継者が育たず、1980年代の終わり頃になると一番若い芸妓が36、7歳になっていて、若手芸妓は1人もいない、そんな状態でした。そこで古町芸妓の灯を消さないためにと立ち上がった地元有志の出資によって設立されたのが「柳都振興株式会社」。全国で初めて作られた、芸妓養成と派遣のための株式会社です。こうして会社組織になった古町芸妓は、新潟の料亭文化を盛り上げるため、新潟の粋や風情を伝えるために現在も活動を続けています。
——今日はお忙しいところありがとうございます。早速ですが、3人はなぜ古町芸妓になろうと思ったんですか?
さつきさん:「新潟まつり」などのイベントで、子どもの頃から古町芸妓の芸を見る機会が多く、ずっとあこがれていたんです。高校3年生のときに学校で目にした「柳都振興株式会社」の求人票で、会社員として芸妓の募集していることを知り、さっそく応募しました。
咲也子さん:もともと踊りや楽器が好きで、タップやバレエを習ったり、バンドでドラムを叩いたりしていたんです(笑)。そのことを知っていた母の知人から「柳都振興株式会社」を勧められ、古町芸妓の踊りを見学させてもらいました。そのときに私もこんな風に踊ってみたいと思い、古町芸妓になろうと決めたんです。
那緒さん:私は京都の祇園芸妓など日本の伝統文化が好きだったんです。大学4年生のときにテレビのドキュメンタリー番組を見ていて古町芸妓のことを知り、自分もやってみたいと思いました。当時、地元の会社から内定をいただいていたんですが、自分のやりたいことができるのは今しかないと思って沖縄から新潟にやって来ました。
——3人それぞれですね。では、古町芸妓の世界に入ってみて驚いたことはありますか?
さつきさん:思っていたよりお座敷が多いことですね。入る前は1週間に1回くらいかと思ってましたが、ほぼ毎日あります(笑)。
咲也子さん:着物を1週間に2回も替えることかな。毎週月曜と木曜に、用意されている新しい着物の中から自分の好きなものを選ぶことができるんです。いろいろな着物が着れてうれしいですね。
那緒さん:独特なおまじないがあったりします。たとえば、着物を着たときに帯ひもの結び目があったらご祝儀が出るとか。帯ひもが片方下がっていたら好きな人に会えるとか(笑)。
——女子っぽいですね(笑)。着物の話しが出たついでにお聞きしますが、着物にはもう慣れましたか?
さつきさん:着物は…慣れました(笑)
咲也子さん:お稽古着は自分たちで着るんです。でも、浴衣さえ自分で着たことがなかったので、最初は大変でした。お座敷に上がるときの着物は着付けを担当する方にお願いしています。お客様からは「着物は涼しそうだね」っていわれることもありますが、じつは暑いですね(笑)。
那緒さん:大振袖を着ているので気をつけていることはあります。たとえば、袖を踏まないように持って立ち上がったり歩いたり、お酌をするときには袖をお膳につけないよう手で押さえたり。洋服を着ているときには意識しない動作が、着物のときにはありますね。
——いろいろおぼえることがあって大変そうですが、先輩であるお姐さん方って怖いんですか?どなたか代表してお願いします(笑)。
さつきさん:えー(笑)。怖いっていうか…中には厳しい方もいらっしゃいます。でも、それは私たちのためにいろいろ教えてくださっていることなので、とても勉強になりますし、本当にありがたいと思っています。
那緒さん:古町芸妓の中では、自分たちのひとつ下の後輩を教える習慣になっているんです。私たちも今年から先輩として教える立場になったので、そのむずかしさをいつも感じています。
——古町芸妓の1日の流れを教えてください。
咲也子さん:お稽古のある日は昼12時から始まって、お座敷の2時間前くらいには終わります。16時から着付けなどの支度を始めて、それぞれのお座敷に向かいます。基本的に21時半には着物を脱ぐことができるんですが、お座敷の時間によっては22時、23時頃になるときもありますね。たまに急なお座敷が入ることもありますし。
——なかなか時間が読めなくて、お友達と遊ぶ予定も立てられないんじゃないですか?
那緒さん:3ヶ月先までのスケジュールは出ているから、なんとなーくですけどスケジュールを読むことはできます。でも、どのみち終わる時間が遅いので、その時間から遊ぶといってもなかなか…(笑)。
——大変ですね(笑)。ところで、古町芸妓のお稽古って、具体的にはどんなことをするんですか?
さつきさん:まず日本舞踊。「市山流」の市山七十郎先生からお稽古をつけていただきます。太鼓や鼓などの鳴物は「望月流」の望月初寿三先生、長唄や三味線は「長唄東音会」の岩田喜美子先生、笛は「福原流」の福原洋子先生に教えていただいています。
——お稽古ごとの中で得意なこと不得意なことってありますか?
さつきさん:得意なものはありません(笑)。苦手なのは太鼓ですかね…。私は中学時代に吹奏楽部だったんです。吹奏楽の打楽器って手首を使うんですが、太鼓は腕から落すのでなかなか慣れないですね。
咲也子さん:踊りや三味線はやっていて楽しいです。苦手なのは私も太鼓。それから鼓ですね。鼓の楽譜って「ツ」とか「タッポ」とか書かれているので、頭に入ってきにくいんです(笑)。
那緒さん:私は全部苦手です(笑)。お師匠さんの真似をするのが精一杯で、いつもその場をどう切り抜けようかと考えています(笑)。踊りは楽しいんですが、私のやっていた琉球舞踊のくせが出てしまうみたいなので、そこに気をつけてがんばっています。
——お座敷ではどんなことをして楽しむんですか?
さつきさん:お酒やお料理を楽しみながら踊りを見ていただいたり、お座敷遊びで盛り上がったりします。堅苦しく考えず気軽に楽しんでいただきたいですね。
——お座敷の際に大変なことってありますか?
さつきさん:私はお客様とまだうまく話せません(笑)。いろいろな方がいらっしゃるので、それぞれに合わせたお話をしなければならないんですね。私はまだまだ話術が未熟なので、隣でお客様とお話ししている先輩の話に耳を傾けて、いつも勉強させてもらってます(笑)。
咲也子さん:踊りはお座敷に入ってから、雰囲気などを見て直前で演目が決まるんです。着物の色や柄に合わせて、踊る立ち位置もその場で決まります。踊りは立ち位置でそれぞれ違い、2人のときと3人のときでも変わるんですよ。ですから、どんな踊りにも対応できるよう稽古をしっかりやって、頭に入れておかなければならないんです。
那緒さん:踊りは決めのポーズもその都度変わるから大変なんです(笑)。
——予習できない分不安ですね。大変なことをお聞きしたので、やり甲斐とか、うれしいこと、教えてください。
さつきさん:お客様からあたたかい言葉をかけてもらったときですね。踊りの後などに「きれいだったよ」とか「前に見たときより上達したね」とか言っていただけると、お稽古の成果も感じられてうれしいです。
咲也子さん:最近は外国人のお客様も増えて来たんですが、いっしょに写真を撮ったりしてよろこんでいただけると、新潟観光の役にも立てているように思えうれしいです。
那緒さん:前のお座敷についたお客様から、次のお座敷でもお名指し(指名)していただけるとうれしいですね。
——今後どんな古町芸妓をめざしたいですか?
さつきさん:芸や接客で楽しんでもらえる芸妓になれるよう、お稽古をがんばっていきたいです。
咲也子さん:踊りや三味線をしっかりと身につけ、その上でりっぱな「留袖」になりたいです。留袖っていうのは、振袖を7〜8年つとめ上げた一人前の芸妓のことです。
那緒さん:どこから見ても立派な古町芸妓に見えるようになりたいです。沖縄キャラから脱却して新潟キャラになれるよう、新潟や古町になじんでいきたいですね。
——お忙しい中ありがとうございました。この後のお座敷もがんばってください。
お座敷までの短い時間を使って取材に対応してくれた振袖さんの3人。とても明るく気さくで、話しやすいキャラの芸妓さんたちでした。今後、みなさんがどんな芸妓さんに成長されるのかとっても楽しみです。今度は取材ではなく、お座敷で芸を見せていただきたいです。