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写真家「山田博行」が関心を向け続ける、アラスカの大地と氷河。

  • カルチャー | 2022.10.26

以前「服と人」にも登場していただいた、世界で活躍する写真家の山田博行(@hiroyukiyamada)さん。アウトドアブランドや大手企業の広告・CM撮影を手掛けるなど、活動は多岐に渡ります。山田さんが准教授を務める長岡造形大学におじゃまして、写真家として独立されるまでの経緯や、山田さんにとっての故郷ともいえる「アラスカ」について、いろいろなお話を聞いてきました。

 

 

写真家

山田 博行 Hiroyuki Yamada

1972年新潟市生まれ。柏崎市育ち。長岡工業高等専門学校卒業後、名古屋大学工学部航空宇宙学科に編入。写真や映像制作への関心が大きくなり、武蔵野美術大学造形学部映像学科へ編入。40歳のときに拠点を東京から長岡へ移す。7年ほど前に長岡造形大学准教授に就任。趣味でサーフボードを自作している。

 

「いろんな世界を見たい」という思いを叶えられる、フォトグラファーの仕事。

――写真家として活躍されている山田さんですが、学生時代はどんなことに興味を持っていたんでしょうか。

山田さん:高専では流体力学を勉強していました。その延長線上で飛行機とかロケットとか、宇宙開発みたいなものをやりたいなと思って名古屋大学の航空宇宙学科に入ったんですよ。

 

――へ~!宇宙に関心があったんですね。

山田さん:ただ、僕がやりたかったことはその勉強以外にもいっぱいあって。テレビで流れる華やかなミュージックビデオクリップだとか90年代の新しい波が来ている中で、そういうカルチャーの世界に憧れが移っていったんです。スケートボードやスノーボードのビデオを見たりしているうちに、絵と音の融合みたいなものにすごくインスパイアされて、最終的に大学を辞めたんですよ。

 

――それは思い切りましたね(笑)

山田さん:勉強難しいしね(笑)。それから東京の武蔵野美術大学に入って、本格的にやりたいことに向けて方向を変えてみたというかたちですね。

 

――そこから美大に入っちゃうところがすごいですが……。学生時代から写真を撮っていたんですか?

山田さん:そうですね。当時、カルチャーの情報源ってほぼ雑誌だったんですよ。テレビとは違う、若者の心に刺さるような情報が溢れていて。だから雑誌社に写真を持っていったり、編集部に電話して「僕の写真を見てください」っていう売り込みをやっていて、そうやってチャンスをつなげていく活動を学生のときからやっていました。

 

 

――大学卒業後はどうされたんですが?

山田さん:カタログとかファッションの広告写真を撮るスタジオに入りました。20代前半はプロの人たちの仕事の姿勢とかテクニックとか、業界を学んでいったという感じです。それからフリーランスのアシスタントになって、フォトグラファーの横で撮影をサポートするっていう仕事をしていました。

 

――当時から「いつかは独立したい」という思いはあったんでしょうか。

山田さん:そうですね。「いろんな世界を見たい」っていう思いが新潟にいたときからずっとあって、それでカメラの道に憧れたっていうのもあります。自分が生活して見ている空間の外にある何かにずっと憧れを持っていて。もちろん写真も好きだったけど、職業がフォトグラファーになれば仕事としてタダで旅ができるなとか(笑)。海外いけたらいいなとか。そういう気持ちがベースにあって、20代後半ぐらいに独立しました。

 

アラスカに行けば、緊張と危険と引き換えに信じられない写真が撮れる。

――独立されてから実際に世界中でお仕事をされていると思いますが、特にアラスカには何十回も行かれているそうですね。アラスカに興味を持ったきっかけはなんだったんでしょうか。

山田さん:東京の美大にいるときに、冬と春休みに北海道のニセコのペンションでバイトをしながら、スノーボードライフを満喫していたんですよ。今でこそニセコって誰でも知っているけど、当時は知る人ぞ知るパウダースノーのメッカみたいなところで。そのときに僕と同じように全国からやってきて、仲良くなった友達たちと「いつかアラスカに行きたいよね」っていう話をしたんですね。

 

――どうしてアラスカだったんですか……?

山田さん:その当時、アラスカってスノーボーダーたちの聖地って言われていて。世界の最先端のメディアとかから、めちゃくちゃすごいプロスノーボーダーたちがアラスカの雪山を滑っている映像が流出したんです。「この人たちやべーことやってるな」「これスノーボードの究極だよ」と思って。

 

――それを見て世界中のスノーボーダーがアラスカに憧れたわけですね。

山田さん:それで、大学を卒業する年に友達5人くらいでアラスカに3カ月行くことにしたんです。スノーボードの観点から見た憧れと、もうひとつ。アラスカの写真家で星野道夫さんっていう写真家の方がいて、彼の写真とか本を読んですごく感動していたっていうのもあって、自分の中で二重に「行ってみたいな」って気持ちがあったんですね。

 

 

――実際に行ってみていかがでしたか?

山田さん:あまりにもいろいろなものが衝撃的で、自然とか山とかもう想像を超えるぐらい、言葉にならないくらい綺麗だし。自分たちと同じような波長の、同い年ぐらいの若者たちがいっぱいいてね。そういったところでもすごく面白かった。フレッシュな刺激をたくさんもらって帰国したんですよ。

 

――アラスカでの経験は帰国後の活動にも影響しましたか?

山田さん:スノーボードで滑っている写真を残すには、カメラマンもプロスノーボーダーと一緒に山に行って、一緒に滑れないといけなくて。そういうフォトグラファーを求めているスノーボードブランドや雑誌メディアから、僕はある程度重宝されましたね。スノーボードもできるし、周りにプロスノーボーダーの友達もいたし。

 

――そういう撮影となると海外取材が多そうですね。

山田さん:多かったですね。それで世界中のスノーリゾートにいろいろ行きましたよ。カナダ、南米、ヨーロッパ、ロシア、サハリンも。ヘリコプターが落ちて遭難しかけたけど。それからアラスカに毎年戻るっていう。

 

――さらっとすごい発言をされましたけど(笑)。アラスカはやっぱり特別なんですね。

山田さん:そうですね。ヘリコプターですごいところに連れていかれて、緊張と危険と、その引き換えにありえない写真が撮れることがあるんです。

 

氷河は、僕たちが生きている時間軸とはまったく違うところにあるんだなって。

――ついこないだもアラスカに行かれていたとか。

山田さん:そうそう。コロナ禍になってからは行けてなかったんだけど、だいたい毎年行っているかな。1年半くらい住んでいたこともあって友達がいっぱいいるし、僕の中では故郷みたいな感じなので。

 

――アラスカではどんなものを撮影されるんですか?

山田さん:ここ10年ぐらいは氷河を撮っていますね。はじめは1年くらいで撮ってまとめようかなと思っていたんだけど、気づいたら今年で10年目(笑)。違う考えごとがでてきたり、氷河にもいろんな氷河があって、青く光っているんだけどその青さも違いがあったり。もうちょっと撮り続けていこうと思っています。

 

 

――山田さんは氷河のどういうところに関心を持っているんでしょうか。

山田さん:氷河の問題と、僕が90年代から追い求めたアラスカのスノーボードってすごく関わっているんです。アラスカの山って、雪原があると魚の背びれみたいにそそり立つんですよ。その急斜面に降った雪の上にヘリコプターで着陸して、世界のスノーボーダーたちが滑るんです。景観的にも「すごいところに人間がいるな」ってことが分かるし、その造形美が地平線までずっと続いていくっていうのは、すごく現実離れした世界で。そういう景観を彫刻しているのが氷河だったんですね。

 

――なるほど……。

山田さん:氷河って「氷の河」って書くように、上から見ると凍っている河に見えるんですよ。ただあれが何万年とか、何十万年のスパンで動いているんですよね。どんどん岩と岩の間を削っていって今のアラスカの景観を作り上げたって思ったときに、氷河って僕たちの時間軸とはまったく違うところにあるんだなって。目の前で見るとどう考えても止まっているのに、動いてきた証としてこの彫刻作品が残っている。そう考えると俺の一生なんて何でもないよねって(笑)

 

 

――氷河を撮り続けていて気づくことってありますか?

山田さん:地球温暖化の影響だと思うんだけど、どんどん美しい氷がなくなっていっているんですよね。その早さがめちゃくちゃ早いなって感じます。「前はここにあった氷、なくなっちゃったんだ」って。そういうショッキングなものを受けつつも、山を登って写真を撮っています。

 

――最後に、今後の活動について教えてください。

山田さん:氷河周りの映像作品をまとめていきたいですね。あとは写真集を出したいなと思っていて、出したいテーマが3つくらいあるので、ひとつひとつまとめて出版していきたいです。

 

 

山田博行

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