Things

ホビーのことはなんでもおまかせ!おうち時間に最適な「ホビーロード」。

新型ウイルス感染症の拡大防止のための自粛で、普段から外出を控え、家で過ごす時間が多くなっていると思います。そんな「おうち時間」の過ごし方のひとつとして、プラモデルやフィギュアを作って楽しむ人が最近、増えているようです。今回は新潟市にある総合ホビーショップ「ホビーロード」にお邪魔して、店長の小松さんからラジコンやプラモデルについてのお話を聞いてきました。

 

 

ホビーロード

小松 信之 Nobuyuki Komatsu

1963年新潟市東区生まれ。イトーヨーカドーや「日野屋」でおもちゃやホビーの売り場を経験し、常連客として通っていた「ホビーロード」で働き始める。一度退社し「玩蔵(がんくら)」という新しいホビーショップを立ち上げるが、ホビーロードのオーナーから呼び戻され、現在はホビーロードの店長としてお店を切り盛りしている。

 

ガンプラからスタートしたホビー人生。

——プラモデルやフィギュアって、やっぱりこのご時世、影響を受けているんですか?

小松さん:受けてるよー。「機動戦士ガンダム」シリーズのプラモデル「ガンプラ」なんて、ステイホームの「巣ごもり需要」で生産が間に合わないからね。売れるときに商品がないのってきついよねぇ……。もう品薄のレベルを超えてしまって、ガンプラブームの再来みたいだもんなぁ……。

 

——ガンプラブーム、ありましたねー。

小松さん:私は高校生のときにガンプラがきっかけで、プラモデルやフィギュアにハマっていったんだよね。あの当時もなかなか手に入らなくて、ガンプラが販売される日曜のたびに小学生と争奪戦を繰り広げていたっけね(笑)。デパートの開店と同時に階段を二段飛ばしで駆け上がって売場までダッシュしていたもん。無事ゲットできたときはわざと自転車のカゴに見えるように置いて、見せびらかしながら帰ったもんだよ。

 

——(笑)。小松さんも元々プラモデルを作るのが好きだったんですね。

小松さん:うん。怪獣のフィギュアも作ったし、好きだった松本零士の影響で「宇宙戦艦ヤマト」や日本の戦闘機も作ったね。自分がイメージした通りに作れたときは楽しいんだよね。その反対にイメージと違って「あれ?」って感じになってくると、心が折れてそっと箱にしまってそのままになっちゃったりして(笑)

 

 

——小松さんは今までどんな仕事をしてきたんですか?

小松さん:最初は「イトーヨーカドー」に勤めて、生地売場を担当してたんだよね。でもおもちゃに興味があったから、おもちゃ売場に配置替えしてもらったんさ。その後は「ダイエー」のおもちゃ売場とか「日野屋」とかで、ずっとホビー関係の仕事をしてきたんだよね。

 

——おお、まさにホビー人生ですね! こちらの「ホビーロード」で働くことになったのはどうしてなんですか?

小松さん:常連客としてホビーロードに通っていて、前の職場を辞める話をしたら「辞めるんだったらうちで働かない?」って誘われて働くことになったんさ。でも社長とは考え方の違いもあって、じつは一回辞めているんだけどね(笑)

 

——あ、そうだったんですね。そのときは辞めてから何をしていたんですか?

小松さん:自分で「玩蔵(がんくら)」っていうホビーショップを始めたんだよね。プラモデルやフィギュア、食玩なんかを販売してたんさ。

 

——知ってますよ。何度か食玩を買いにいきました。あのお店は小松さんがやっていたんですか!

小松さん:そうそう。楽しかったんだけど、資金繰りでは苦労したんだよね。まだ売れていなくても仕入れの代金は払わなきゃダメだし……。そのうちホビーロードの社長が辞めてオーナーが運営するようになったタイミングで、玩蔵を後輩に引き継いでホビーロードに戻ることになったんだよね。

 

いろいろなブームが起こったホビー業界。

——ところでホビーロードって、いつからやっているんでしたっけ? だいぶ前からですよね?

小松さん:昭和63年に万代シテイでオープンしたんだよね。元々創業者が趣味でラジコンのヘリコプターをやっていたんだけど、新潟にはそういう店がなかったから、ないんだったら自分がやろうってなったみたい。だから創業当時はラジコンヘリがメインで、その他にラジコンカー、エアガン、プラモデルをやってたんだよね。

 

——女池に移転したのは手狭になったからなんですか?

小松さん:それもあるけど、社長はラジコンサーキットとかの遊び場が一緒になっているホビーショップをやりたかったんだよね。そういう店って当時はまだ東京くらいにしかなかったと思う。それで女池にちょうどいい物件があったから引っ越したんさ。ちょうどその頃にラジコンカーブームが来たから当たったんだよねー。売上の半分はラジコンカーだったんだもん。

 

 

——すごくタイミングよかったんですね。

小松さん:うん。バブル景気が終わった頃、実車でレースをやっていた人たちがレーシングカーを手放して、そのかわりにラジコンレースをやり始めたんだわ。それから当時はラジコンカーの番組もやっていたし。とにかくラジコンブームのおかげで営業も軌道に乗ったんだよね。

 

 

——じゃあ営業はずっと順調だったんですか。

小松さん:いやぁ……。ブームっていつか終わるからさぁ……。ラジコンブームが終わって売上が落ちたから、コスプレグッズとか大人のアイテムとかを置いてた時期もあったんだよね(笑)。でも似たような店がまわりに増えてきたから、また元のホビーショップに戻ったけどね。

 

——ああ、言われてみると一時期そんなコーナーもできてましたね(笑)

小松さん:あったでしょ(笑)。あとチョコの中のカプセルにリアルな動物フィギュアが入った「チョコエッグ」の人気が出て、一大食玩ブームがあったんだよね。そのときは食玩やクレーンゲームの景品、ガチャポンの景品を販売してたね。食玩なんて箱買いするお客様がたくさんいたもん。全種類揃った状態のコンプセットを作って売ったりもしたよ。

 

——私も食玩はけっこう集めていました(笑)。こうして見るとホビー業界もいろんなブームがあったんですね。

小松さん:そうなんだよねー。アニメやゲームのキャラクターグッズとかドローンとかもブームがあったしねぇ……。でも今は何が売れるのかまったくわかんない時代(笑)

 

ホビー業界の灯を絶やさないように続けていきたい。

——イオン新潟西店のテナントに入ったのはどうしてなんですか?

小松さん:ラジコンカーブームがおさまって、店舗家賃の負担も大きくなってきたところに、イオン新潟西店から声がかかったんだよね。こっちに移って3年になるけど、前よりファミリーのお客様が増えたね。お父さんやお母さんと一緒にきている子どもたちが、大人になったときにこの楽しさを覚えていてくれて、また遊びに来てくれるとうれしいね。

 

——小松さんは店長としてどんなことを心掛けていますか?

小松さん:社長から「自分の趣味だけで商品を仕入れるな」ってしょっちゅう言われてたから、できるだけアンテナを広く張って、自分が得意じゃないジャンルの情報も集めるようにしてるかな。でも、自分がほしいと思う商品が発売されるとうれしくなっちゃうんだけどね(笑)

 

 

——本当にプラモデルやおもちゃが好きなんですね。

小松さん:もうオタクですよ(笑)。昔は自分が接客業に向いてないって思ってたもん。お客様なんかより商品の方が大事だったりして(笑)。その意識が変わったのは「玩蔵」を経営してみてから。自分で店をやってみて、お客様のありがたみがわかったんだよね。店に来たお客様がほしかったものを見つけてくれるとうれしいんだよね。

 

——今後やってみたいことってありますか?

小松さん:ちょっと変わった家電品を置いたり、アイドルグッズのショップをやってみたいんだよね。あとはお客様のためにも「ホビーロード」をなくさないようにしていきたいよね。続けたいと思っても利益が出なきゃ続けらんないし、若い人材も育てなきゃスタッフがいなくなっちゃうから、難しいところもあるけどね。ラジコンメーカーも辞めるところが多くて、数が少なくなってるんだよ。なんとかホビー業界の灯を絶やさないようにしていきたいね。

 

 

小松さんとお話をしていて、本当にプラモデルやおもちゃが好きな方なんだなと思い、同じオタクとして楽しく取材させていただきました。まだまだ新型ウイルスの収束は先が見えません。おうちで過ごす時間を有意義なものにするためにも、プラモデルやフィギュア、おすすめですよ。「ホビーロード」の小松さんが親切に、熱く、教えてくれます。

 

 

ホビーロード

新潟県新潟市西区小新南2-1-10 イオン新潟西店3F

025-378-8155

10:00-20:00

無休

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
  • 部屋と人
  • She
  • 僕らの工場
  • 僕らのソウルフード
  • Things×セキスイハイム 住宅のプロが教える、ゼロからはじめる家づくり。


TOP