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僕らの工場。#21 亀田縞で歴史を紡ぐ「立川織物工場」

失われた亀田縞を今の時代に。「立川織物工場」の挑戦。

皆さんは「亀田縞」をご存じでしょうか? かつて亀田を中心とする農村地域で農家の自給用として織られていた綿織物を、亀田の商人が世の中に広めたという「亀田縞」。亀田地区の歴史年表によると、元禄時代(17世紀末頃)に「木綿縞(のちの亀田縞)が生産開始」とされています。かつては600以上の業者によって生産されるなど、大正期にかけて全盛期を迎えたそうです。しかし昭和の時代、戦争のはじまりとともに繊維産業は整理統合を強いられたり、鉄の素材として織り機を回収されたりして、亀田縞の歴史はいったん幕を閉じることになります。そんな失われし「亀田縞」を復活させ、今の時代にあわせたやり方で伝統を受け継ぐ工場があります。今回は「立川織物工場」の立川代表にお話を聞いてきました。

 

立川織物工場

立川 治秀 Tachikawa Haruhide

1948年新潟市江南区生まれ。明治17年創業の立川織物工場の6代目代表。亀田縞正規伝承人。東京理科大学工学部経営工学科卒業後、同社入社。今年で職人歴48年目。

 

バブル崩壊とファストファッションの到来で苦境に。

――かなり歴史のある工場さんとお聞きしました。

立川さん:創業は明治17年、今から130年以上前になります。

 

――立川さんで何代目になるんですか?

立川さん:私で6代目なんだよね。でも、あんま昔のことだから、役場の資料がなくなったって。だから、あんまよくわかんねんだ(笑)

 

――立川さんはお仕事はずっとこちらで?

立川さん:生まれた頃から、機屋(はたや)だったからね。だから、継ぐとか継がないとかじゃなくて、小さい頃から当然この工場に入ると思ってましたよね。だから、高校卒業して大学に入ったけど他の道は考えてなかったね。それで、卒業してからはすぐこの工場に入ったんです。

 

――当時のことを教えてください。

立川さん:当時はここらへんもまだ、20社以上あったんですよ。入ったばかりだからさ、そんな数えてる暇なんてなかったけどね(笑)。その頃はまだまだこの地域も、元気があったんです。潰れるとも思ってなかったから。そしたらね、バブルがはじけて、平成になる頃からだね、うわぁってバタバタっと潰れていって、それで平成に入ってファストファッションが流行ってきてね、気づいたら4社しかなくなったんですよ。

 

――4社ですか……。

立川さん:そう、それもね、平成17年に2社同時にやめることになって。いよいよ、うちともう1社(中営機業)になったんですよ。

 

何か足跡を残したい……亀田縞の復活はそこからはじまる。

――平成はじゃあ、業界的には激動の時代だったと……。

立川さん:そうね。それでね、中営さんから、「立川さんこのままだと、うちらもじきに(他社と同じように)なるね。何か足跡みたいなもの残したほうがいいろっかね」って話がきて、それからなんですよ、亀田縞を復活させようってなったのが。

 

――亀田縞の復活は平成に入ってからだったんですね。

立川さん:そう。戦前は産地だったけどね。戦後になってからは亀田縞もなくなって、もう私の代には全然。普通の流行に合わせた生地を作っていたから。それこそ、ポリエステルだったり、綿だったり。だから、復活するかねってなってね。それで、昔の生地資料が残っていたんで、そこから亀田縞を再現をしたということなんですよ。

 

――亀田縞の特徴ってなんですか?

立川さん:亀田縞はね、綿で先染め織物なんですよ。例えば、今の生地は後染めが多いんだけど、それは無地の生地に後からプリントだったり、染料で単色に染めるのね。でも、先染めは糸から染まってるから、それで織られているってのが特徴。だから先染めのほうが何倍も手間も時間もかかるんですよ。もうほとんど存在しないよね、工程に時間がかかりすぎるから(笑)

 

――よく復活させましたね。

立川さん:正直ね、そんなに売れねぇだろうなって思ってたんですよ(笑)。だって、野良着、今でいう作業着だったわけだから。でもね、フタをあけてみると、亀田縞のファンっているんだよねぇ。

 

どうやって売ればいいのかわからない!

――「亀田縞」というブランドの底力ということですね。

立川さん:まぁ、ブランドっつっても、昔からこの地域で作っていたものだからね。でもまあ、確かに明治のときには北前船で東北、北海道をはじめ全国で売られていたわけですからね。そういったこともあって歴史のある織物のブランドってことなんですかね。

 

――その後、どう販路を作っていたんですか?

立川さん:まぁ、とりあえず、できたけど。全然そこらへん分かんなかったから(笑)。ネットで販売したらどうですか?って言われたんだけど、それも分かんねぇから。だから最初は「道の駅」で置かしてもらったの。そしたら最初は全然売れないわけよ、生地のまんま置いていたからね。それじゃあ売れないでしょって言われてさ(笑)。それから製品にして売りだすんだけど、ここでもやっぱり分かんないことだらけでね。縫製ってどこに頼めばいいの?とか、タグってなに?とかね。

 

――おお……そこから(笑)。製品づくりはゼロからだったということですね。

立川さん:そうなの(笑)。だから奥さんがね、色々なところに聞きにいってくれたんですよ。そのなかで本当に色々な人たちに恵まれてさ、紹介してくれたりさ。それで最初に巾着や風呂敷みたいな小物をつくったのね。それで、やっとできたとなってね。協力してもらった人たちにお礼にしに行ったんですよ。そしたら、またその人が、うちの風呂敷をみてね、「F/style(エフスタイル)」さんってデザイナーさんを紹介してくれてね。そこから、亀田縞って生地をいかした商品をつくってくれるってことになったんですよ。それから、全国にも亀田縞って知られるようになって、もう10年くらいのお付き合いですね。

 

 

――今後の目標について教えてください。

立川さん:亀田縞って温かいんですよね。色々と生地をつくってきたけど、やっぱり亀田縞がいちばん温かい。昔、野良着で使われてただけのことはあるよね。そして糸が太いから丈夫なんですよ。今、おかげさまで全国でも亀田縞って生地を知ってくれている人が増えてきて、エフスタイルさんみたいに亀田縞使って商品をつくりたいって人から問合せをもらってね。オーダーだから、色や質感なんかね、そういう人たちが現代にあわせて亀田縞を表現してくれてさ。もともと、私は織物職人として何十年もやってきたわけだから、そういった色や風合いをだすのは全然問題ないからね。そういったかたちで亀田縞をもっと世の中に広めていければなと思っていますよね。

 

 

 

立川織物工場

〒950-0131 新潟県新潟市江南区袋津3丁目1番52号(旧亀田町)

TEL 025-381-3067

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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