半農半Xで広がる農業のかたち。
秋葉区「タカツカ農園」
食べる
2025.11.16
秋葉区の「タカツカ農園」は、お米と柿、大豆、野菜、加工品を作っている農家さんです。どんな商品があるのかパンフレットを見てみたら、私が何度も購入した竹の子の瓶詰めが「タカツカ農園」さんのものだとわかってびっくり。こんなふうに生産者さんと消費者はいつのまにかつながっているんだ、なんて考えてしまいました。さて、今回お話を聞いたのは代表の髙塚さん。就農した頃のことやこれから取り組もうとしている新規就農者の育成についてなど、いろいろとお話を聞いてきました。
髙塚 俊郎
Toshiro Takatsuka(株式会社タカツカ農園)
1971年新潟市生まれ。東京農業大学を卒業後に保険会社に就職。1999年、28歳で新潟に戻り就農。2025年「タカツカ農園」を法人化。自身の肩書きは「農業家」。趣味はスキー。
働きづめの東京生活から、
「図らずも」6代目農家に。
――まずは髙塚さんが就農されるまでのことを教えてください。
髙塚さん:「タカツカ農園」は私で6代目になります。「図らずも」6代目を継ぐことになったというか、正直なところ、実家を継ごうと若いときは考えていませんでした。東京の保険会社に就職して、バリバリ働いて。仕事が生き甲斐だったんです。でも、結婚や子育てを想像したら、「おや、将来がイメージできないぞ。俺は朝早く出社して、0時過ぎに帰宅するのにいったいどうやって生活するんだ」と、不安になりました。若いときは、そういう日々に充実感があるものだけど、ちょっと立ち止まると「親の介護はどうなるんだ」とか、この先の暮らしをリアルに考えるようになるんでしょうね。28歳のときに、新潟に戻ってきました。
――東京でがむしゃらに働いていたんですね。
髙塚さん:「24時間働けますか」のCMが放送されていた世代ですから(笑)
――でもご実家を継ぐ気持ちがなかったとはいえ、小さい頃は、農業のお手伝いをしていたのでは?
髙塚さん:いいえ、一切していません。学校の体験授業でしか、稲刈りしたことないです。ちなみに息子も、農家仕事はしたことがないです。
――予想外の答えでした(笑)。それで、将来の暮らしをどうするか悩まれていた頃の話に戻るんですが、「新潟に戻って就農する」って選択肢はすぐに候補にあがったんでしょうか?
髙塚さん:それはすんなり、「ポン」と頭に浮かびました。決意を固めて就農した人には失礼かもわからないですけど、「なんとかなるかな」と甘い考えで「タカツカ農園」に入ったんです。そして感じたのは、「農業はぜんぜん儲からない」。子どもなんて養えないかもな、とも思いました。
――子育てを見据えて新潟に暮らすことにしたのに……。
髙塚さん:新潟に戻ってきた翌年、29歳のときに父から経営移譲をされたんです。「お前にぜんぶ任せる」って渡された通帳に、1,000円だけ預けられていました(笑)。当面の目標は、東京での私と妻の合計所得を超えること。でも現実は、かなり厳しかったです。

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新規就農者への選択肢。
「半農半X」という柔軟な働き方。
――そんな状況が好転したタイミングが、きっとあったのでは?
髙塚さん:そうですねぇ……。でも「明らかにあのときだった」というのは、なかったかも。振り返ると、そのときどきでお誘いいただいた何かしらの会に所属して、考え方や行動をアップデートできたところはありました。就農当初は「とにかくがむしゃらに働けばなんとかなる」って若さと気合いだけだったのが、地元の青年会議所に入り、他業種の人と活動していく中で、身になったことがたくさんありました。
――いろんな場での出会いは、貴重ですよね。
髙塚さん:そういえば、そのときの仲間と立ち上げたNPO法人の活動で、地元の中学生に「10年後の自分に向けて手紙を書いてもらう」というのがあってですね。当時30代後半だった私も、中学生と一緒に10年後の自分に手紙を書きました。先日その手紙を読んでみたら、記していた5つの「やりたいこと」のうち、4つはすでに実現していて。残りのひとつは、今まさに取り組もうとしていることだったんです。
――最後に残ったやりたいこと、聞いてもいいですか?
髙塚さん:「農業に就きたい人が起業できる場をつくる」です。新規就農のハードルは高い上に、能動的な働きかけが習慣づいている人は多くないような気がしています。私は、就農を目指す若い世代が自立の道筋をつかむための支援をしたいと思っています。
――農業をはじめたいという人に、髙塚さんはどんな言葉をかけることが多いですか?
髙塚さん:どんな仕事でも、お金を稼ぐのは楽ではありません。ラーメン店、美容室、雑貨店を開業するのと同じで、「技術力も、マーケティング力も、接客スキルも必要です」と伝えた上で、「農的な暮らしは間違いなく心豊かになるから、本業に就いたまま、週末だけ農業をするのもあり」という可能性を示したいと思っています。専業農家だけが農業ではないですからね。他に仕事を持っているけど、農業もする。それを「半農半X」と表現しています。
――半農半X?
髙塚さん:半分は農業、半分は何か。数学でいうX(エックス)です。そこに入る数値は、あなたが決めてくださいというメッセージを込めています。
――なぜ、この取り組みをしようと思われたんでしょう?
髙塚さん:今の農業は、「大規模であること」が至上命題のようになっています。農家になるためのいちばんの近道は、大きな農業法人に就職することなのかもしれません。でもクリエイティブな仕事をすればするほど、「好きなようにやりたい」と思うものじゃないですか。農業をしていても、そう感じる局面がたびたびあります。「小さく農業をすること」は、非効率で難しいと捉えがちだけど、大きな組織に所属していなくてもできることがあるよ、と他の選択肢も提示したいんです。
――今年の秋には、法人化をされたそうですね。
髙塚さん:新規就農者の育成のためには、希望者に当園で経験を積んでもらうことが想定されます。その間の福利厚生を整えたいと思いました。それに「どうぞ、ここで丁稚奉公できますよ」ではなくて、会社という、ちゃんとした組織に「入社」して、安定した給与を得てから次の夢を描くのがいいだろうと思っています。もうひとつ、別の理由もあります。3人の子どもが農業を継がない選択をした場合、第三者へ継承することも想定して法人化を決めました。

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お米と柿+αを作る理由は、
理想のライフスタイルにあり。
――「タカツカ農園」さんでは、何を生産されているんでしょう?
髙塚さん:お米と柿、ジャムやなんばん味噌などの加工品を作っています。実は、柿の品種のひとつ「八珍柿」の原木は秋葉区にあるんですよ。他にも大豆や野菜も生産しているんですが、それにはちょっとしたワケがあります。農業を効率化するには、品目を絞って一年中生産できるようにしておくのがベストです。でも、「自分たちで栽培しているもの以外はスーパーで買っているんです」ってなんかちょっと寂しいと思ったんですよね。思い描いているライフスタイルじゃないような気がして。
――加工品も作っていらっしゃるとは、意外だなと思ったんですが。
髙塚さん:得意分野こそ、人は存分に能力を発揮できるものです。私の妻は管理栄養士の資格を持っていて、食品系の会社に勤めていた経験もあります。それで就農した5年後くらいから加工品部門を立ち上げて、妻に一任しているんです。
――就農した5年後ということは、けっこう早くから農業の6次産業化をされていたんですね。
髙塚さん:確かにそうですね(笑)。「6次産業」なんて言葉はなかったかも。妻の得意分野だからという理由もあるんですが、農業をする上ではどうしても規格外品などがたくさん出るんですよね。今では当たり前ですけど、そういったものをなんとかしたいと思ったのもあるし、加工品を作ることで年中商品を販売できるメリットもあります。
――最後にお聞きしたいのですが、就農してから今までをどんな時間だったと思いますか?
髙塚さん:思い描いていたライフスタイルを実現するための期間だったかもしれません。農のある暮らしを楽しめているし、かなり理想に近づいていると思っていますよ。

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