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「しんじょう」「揚げかま」でお馴染み、新潟の味「竹徳かまぼこ」。

ぴあ万代、新潟ふるさと村、新潟伊勢丹、日本橋三越本店などに店舗を構える老舗蒲鉾店「竹徳かまぼこ」。「しんじょう」「揚げかま」などで知られていますが、2000年頃までは一般客への販売をほとんどしていなかったそうです。今回は代表取締役の竹中さんに、家業を継いだ頃のエピソードや事業転換されたきっかけなど、いろいろとお話を聞いてきました。

 

竹徳かまぼこ

竹中 広樹 Hiroki Takenaka

1972年新潟市生まれ。池袋西武本店、川崎西武百貨店で働く。その後、神奈川県で飲食店を経営。2000年に帰郷し、家業に入る。2013年に代表取締役に就く。

 

時代とともに変化した「竹徳かまぼこ」。

——竹中さんは家業を継ぐ前提で、経験を積むために百貨店に就職されたんですか?

竹中さん:いえいえ、そうではないです。高校生の頃は「いち早く東京へ行きたい」「ニューヨークへ行きたい」って思っていました。百貨店で働いていた頃は、まだバブル期で景気が良くてね。デパートの売上は日本一になったし、夜はディスコで遊んだりして。新潟に帰って来ようなんて、これっぽっちも思っていませんでした。

 

——では、竹中さんが新潟に戻ってこられたのは?

竹中さん:28歳のとき父親が病気で倒れ、新潟に戻ってきました。その頃私は神奈川で飲食店経営をしていましたし、そのまま会社に入るかどうかすぐには決められなくて。というのも、時代背景とともに食生活や結婚式の形式が変わり、かまぼこがだんだん消費されなくなっていたんです。そんな状況で、廃業するかどうするかの瀬戸際でした。同業さんも従業員さんも「これからどうするの?」って。でも税理士さんから「今、会社を畳んだとして負債はない」と聞かされて。正直、驚きました。無借金経営でお堅い仕事だったんでしょうね。

 

——確かに、ちょっと前はお祝いの席でかまぼこが必ず登場していましたけど今はあまり……。

竹中さん:90年代後半がいちばん苦しい時代だったんじゃないかな。インターネットがそれほど発達していないから、ネット注文もないですし。今は店舗販売をしていますけど、当時はまったくしていませんでしたから。

 

 

——えっ? そうなんですか。

竹中さん:その頃は、有名割烹だとかホテル、旅館、結婚式場なんかでうちのかまぼこが使われていたんですよ。料理人さんたちは、そういう場で誰でも手に入るようなかまぼこを使いたくないと思われたんでしょうね。「竹徳かまぼこ」を一般には販売しないという慣例がありました。

 

——それだけ重宝されていたんですね。

竹中さん:結婚式でハマグリの殻に入れて出すような、めでたい紅白のかまぼこを作ってくれと頼まれて、父親はそういう商品を作っていましたね。でもだんだんと変わっていったと。

 

しばらく生産されていなかった「海老しんじょう」の復活劇。

——そんな状況から新しくはじめたことはあったんでしょうか?

竹中さん:手はじめに本店の軒先で商品を売りました。それから、本町通にあった卸先の「山田蒲鉾店」さんが「店を畳むから、ここでやってみないか」と言うので、場所を借りてそこでも。でも、まぁ売れないわけ。

 

——だって、その頃は一般の人に知られていないですもんね。

竹中さん:そう、認知度ゼロだからね。でもそれを知った大和デパートの人から「催事に出てみる?」と声をかけられて出店してみたんですよ。そしたらけっこう好評で。「やっと10,000円売れた」って大喜びしました。1万円で、ですよ。他の店舗は1日10万円くらい売り上げるのが当たり前なのに。そういう経験があって「なぜ売れないのだろう」と考えるようになりました。お客様の行動を観察しはじめたんです。その結果、他と同じものを売っていてもダメだなと考えたんです。その頃ちょうど「地産地消」なんて言葉が注目されていたので、地場の素材を使ったものを商品化しようと作ったのが「海老しんじょう」です。

 

 

——「海老しんじょう」といえば「竹徳かまぼこ」さんの看板商品ですよね。

竹中さん:「海老しんじょう」は以前作られていたようで、本店の入り口には賞状が飾ってあるんです。でもしばらく生産されていませんでした。というのは、先々代が、従来のまま板かまぼこを作っても1日100本もできやしない。しかもすぐに傷んでしまう、というので「リテーナ成形かまぼこ」(※)を生み出しました。特許を取得した後、著作権をフリーにしたことで「リテーナ成型かまぼこ」が全国に広がったんですが、そのときに製造をストップしたのが「海老しんじょう」だったんです。かまぼこ業界が発展していた頃に、その陰でなくなっていった商品だったんですね。

 

※リテーナ成形……傷みやすいかまぼこを長距離輸送にも対応できるよう、昭和30年頃に創業者の竹中 徳四郎さんが考えた製法。

詳細は竹徳かまぼこホームページでもご覧いただけます。

 

——それが救世主だったと。

竹中さん:書家さんに「竹徳」と文字を書いてもらったものをロゴにして「海老しんじょう」のパッケージにしたら、150円で販売できるようになりました。それから新潟の名産、甘エビを入れた「甘海老しんじょう」を作ったら200円でも売れるようになった。それはどこも作っていない商品でした。周りの同業者のようにさつま揚げ、板かまぼこ、カニカマで戦うんじゃなくて、「うちはこれが良い」と思って磨きをかけてきたのが「しんじょう」です。

 

——ドラマがありますね。

竹中さん:たくさんのご縁をいただいて、「新潟ふるさと村」や新潟駅へ出店することができました。それで多くの方に「『竹徳かまぼこ』が美味しかった」と喜んでいただきました。そうしたご縁があって百貨店さんから「催事に出てみませんか」と誘われるようになったんです。気づいたら「ぴあ万代」「CoCoLo長岡駅」「新潟伊勢丹」と店舗展開させてもらい、今では「日本橋三越本店」にもお店を構えています。

 

ひと手間をかけた手づくりの味が、広く愛される。

——苦難を経て、今のような形態になったんですね。

竹中さん:そうこうしていたらコロナ禍ですもんね。道の駅や空港にも置かせてもらっていたのに、いっときは売上ゼロに近くなりましたよ。でもそれでネット販売が急成長したんです。おそらくうちだけじゃないんでしょうね。行動制限がある中、日本中が「助けてあげたい」って思ったのかな。ネット販売が売上のひとつの柱になったことも大きな変化ですね。

 

——ちょっと話題がそれますが、「竹徳かまぼこ」さんの「しんじょう」は揚げてあるところが特徴だと聞きました。

竹中さん:「しんじょう」はもともと京都発祥のお料理です。かまぼこの身に山芋を入れて蒸したものが「しんじょう」です。それが北前船に乗って新潟にやってきたと言われています。その昔、新潟の料亭でも京都流の「しんじょう」が出されていたんだけど、山芋が入っているからお箸からつるんと滑ってしまって、芸妓さんのお着物を汚してしまうことがあったみたい。それで古町界隈の料理人さんが箸でつかみやすいように「しんじょう」を素揚げしたようです。蒸してから揚げるひと手間で美味しさと心づかいが伝わります。うちでも続けている伝統です。

 

——商品は、度々メディアにも取り上げられていますよね。

竹中さん:2017年に「煮玉子しんじょう」がテレビ番組に取り上げられたときは、もうすごかったです。対処しようがないくらい注文が殺到して。あのときほどお叱りをたくさんいただいて、謝り倒したことはないですよ。手作りだから生産が追いつかなかったんです。

 

 

——今でも「手作り」なんですか?

竹中さん:重さを測るとか材料を混ぜるとか、機械でできる工程以外は手作業です。成形、蒸す、揚げるなどは人の手が頼りなんですね。

 

——寒くなると食べたくなるおでんも好評だそうですね。

竹中さん:具材をそれぞれ下ゆでして最後に合わせるから、おでんを作るのは大変なんですよ(笑)。そのひと手間をかけているから、澄んだお出汁になるんです。

 

 

 

竹徳かまぼこ

新潟市中央区東堀前通11-1775

Tel/ 025-222-0223

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。

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