昨日の「たかだ みつみ」さんに続き、本日ご紹介する方も長岡・摂田屋に拠点を持つ作家さんです。猫が四季の風景の中を旅する「たびねこ」シリーズや摂田屋の地域キャラクター「せったポンとオケじい」など、数々の作品を生み出してきたイラストレーターの「もり としのり」さん。企業に勤めていた頃のエピソードから現在の活動についてなど、いろいろとお話を聞いてきました。
もり としのり Toshinori Mori
1958年香川県生まれ。日本デザイナー学院を卒業後、おもちゃの企画デザインプロダクション、パッケージデザインプロダクションに勤める。1994年に独立し、1997年に拠点を吉祥寺から長岡へ移す。「UX新潟テレビ21」のイメージキャラクター「ゆぅちゃんゴーちゃん」、パズル雑誌「ナンプレジャンプ」の表紙イラストなど数々のキャラクターを生み出す。2020年、イタリアのA’ Design Awardsで「たびねこ」が「ブロンズ賞」を受賞。「たびねこ」のイラストをラベルに使った「四季を旅するお酒」が長谷川酒造から販売中。
——作家さんのアトリエにお邪魔するなんてドキドキしています。まずは、もりさんのこれまでのキャリアについて教えてください。
もりさん:専門学校ではグラフィックデザインを学び、卒業後はバンダイ系列のおもちゃをデザインするプロダクションに就職しました。それからパッケージデザインのプロダクションに転職して、化粧品などいろいろなパッケージを作らせてもらいました。
——先ほど作品集を見せていただきましたが、有名なキャラクターのおもちゃをたくさん作っていらしたんですね。
もりさん:当時はいろいろな玩具をデザインしました。僕が勤めていた会社では、おもちゃの企画、デザイン、図面引き、試作品制作、販売手法のひと通りをすべてひとりで担うんです。だから制作から販売までぜんぶ自分でやろうと思えばできたんですね。そういう素養は独立してからも生きています。
——独立されたのは1994年でしたね。
もりさん:いろいろあって「そろそろそういう時期かな」と思って独立したんです。フリーになって吉祥寺に事務所を借りました。何もないところからスタートする高揚感みたいなものがあって、今思えばあの頃がいちばん楽しかったかな(笑)
——拠点を長岡に移されたのはなぜですか?
もりさん:家族の事情で、新潟に移ることになりまして。でも僕は東京の仕事も受けていたので、東京に行き来しやすいように長岡を選んだんです。
——独立はお勤めだった頃から考えていたことなのでしょうか?
もりさん:あまり考えたことはなかったかな。とりあえず目の前の仕事をやっていくことで精一杯でした。ただ、企業に勤めていると社内ですべて完結してしまって、自分のデザインにどんな反応があるのか知ることができませんでした。それに先方の都合で企画がボツになってしまうことも度々あったんです。「何のためにデザイナーをやっているのかな」と悶々としましたね。自分以外の都合でデザインが無駄になる、やっていることの意味がなくなるということは、仕方ないこととはいえ、なかなか納得できずにいました。
——その点、フリーで活動されているともう少し自由さがあるのですね。
もりさん:自分の作品を生み出して販売するスタイルは、デザインに対しての反応がダイレクトにきます。それが嬉しい。自分がメーカーになって作品を売っていこうと考えて、最初に作ったのはダンボールでできた箱時計です。展開図から考えて制作しました。これをネットや手づくり市にブース出店して販売したら、けっこう評判がよくて。
——徐々にご自身の作品を、もりさん自ら販売するようになったんですね。
もりさん:そのうち「たびねこ」シリーズが人気になって、今では僕のメイン商材となっています。当初は「たびねこ」だけでは食べていけなかったので、企業案件も並行して受けていました。でもそういった仕事の場合は、ご依頼を待っていなくてはいけません。自分のベースを作らない限りは、過去に経験したように「悶々とする」状況になりかねないと思いました。受け身ではなく、自分が発信元になって仕事の幅を広げるために、徐々にご依頼いただく仕事をセーブして、「たびねこ」シリーズなど自身で生み出した作品から派生する仕事を増やしていきました。
——今ではほぼ、もりさんが制作されたキャラクター製品の販売とご自身の作品づくりに時間を使われているのですね。
もりさん:この10年くらいはそうですね。企業との仕事において、デザイン料をどう提示するかが難しいのですが、その一方、制作した商品を販売するのであれば、最初から値段が決まっていて、それを欲しい方が購入する。すごく健全ですよね。
——もりさんの作品についても詳しく教えてください。どれもとてもキュートですね。
もりさん:おもちゃがベースになっているから、かわいいものを作るのが習性みたいになっちゃって(笑)
——2匹の猫が各地を旅する「たびねこ」は、どんなきっかけで誕生したのでしょう?
もりさん:息子が仔猫をもらってきたことがあって。僕はそれまで犬派でしたが、猫の野性味があるところに惹かれました。そんなときちょうどカレンダー展をやることになって、風景だけだと寂しいからと猫を作品に登場させたのが「たびねこ」のはじまりです。約10年かけて50点ほど制作しました。最初は黒猫だけだったのが、どこかで三毛猫と出会って「2匹で旅をするようになった」というストーリーです。
——描かれている場所はどこなのか気になります。
もりさん:悪天候の日以外は、運動不足解消がてら自転車で30分ほど走ることにしています。走行途中で気に入ったところを写真に残しておいて、そこからピックアップした場所を描くことが多いですね。
——ちょっと話が脱線しますが、もりさん、新潟に来てみていかがでしたか?
もりさん:新潟は地元の香川よりも湿度が高いからか、「植物の生命力が強い」というのが第一印象でした。そこから着想して、庭師のロボットを描いたこともあります。
——摂田屋の案内役「せったポンとオケじい」についても教えてください。
もりさん:まだ公認でもなんでもないんですけど、勝手に作ったキャラクターです(笑)。僕がイラストレーターをしているというので、町内会で頼まれまして。最初は「せったポン」だけでしたけど、やっぱりふたりの方がストーリーがあるような気がして「オケじい」にも加わってもらったんです。摂田屋は観光地化しつつありますから、グッズになることを想定して、度々マイナーチェンジを加えています。
——もりさんの作品にはファンが大勢いらっしゃいますよね。
もりさん:サイトのレビュー欄にもコメントをいただきます。それがモチベーションになりますし、「意見を参考にしてみよう」と思うこともあります。嬉しいので必ずコメントには返信をしています。
——作家さんからお返事があるなんて、ファンの方も嬉しいでしょうね。
もりさん:梱包や郵送も僕がしているので、手書きの宛名を見て「直接作家が書いている」と喜ばれることもありますね。個展を開催すると毎回来てくださる蒲原郡のご夫婦や県外から来ていただける方もいて、とてもありがたいなと思います。Facebook友達としてつながっている方もいますよ。10年くらいかけて少しずつ、ダイレクトに反応をもらえる仕事が広まって今に至っています。
——独立されてから、いちばん「歯を食いしばった」という時期はいつですか?
もりさん:商業的な仕事と自分の作品を広めることの両方をやっていた50代ですね。頑張りすぎたからか、最近は目と肩が大変です(笑)
——50代とは意外なお返事でした。てっきりもっとお若い頃かと。
もりさん:一般的にはそれくらいの年齢になると、それまで積み重ねたキャリアの上で安泰みたいなところがありますが、僕の場合は途中でおもちゃデザイナーを捨てて何もないところから次へ進もうとしたので大変でした。ただ、それまでのキャリアを一度捨てたからこそ次へ進めた、というのはあると思いますね。
——よりご自身にフィットする活動に変えられたんですね。
もりさん:そうですね。今年65歳という節目の年になったので、なるべくデジタルから離れて手書きか版画で「たびねこ」を描くのもいいなと思っているんです。本当は筆で絵を描くことが好きなのに、この30年はパソコンで描くばかりでしたから、次は筆で表現してみるつもりです。いったいどんなものができあがるのか、自分でも楽しみです(笑)
もり としのり