建物や景観に城下町の風情を今も色濃く残す村上市の中心街。その入り口ともいえる角地に佇み、江戸中期から代々染物店を営んでいるのが、今回紹介する「山上染物店」さんです。このほど、築170年以上の歴史を持ち国の登録有形文化財にも指定されている古き良き店舗兼住宅が、やむを得ない事情でピンチを迎えてしまいました。同店ではそれを乗り越えようと、クラウドファンディングに挑戦しているとのことです。同店の14代目・山上あづささんに、お店のことも含め詳しくお話を伺ってきました。
山上染物店
山上 あづさ Yamagami Azuza
1969年生まれ。江戸期から続く染物店に三姉妹の長女として生まれ、地元の高校から京都の染物・織物の専門学校に進学。卒業後は染織作家に師事し、住み込みで型染を学ぶ。4年間の修業を経て24歳の時に帰郷し、家業に入る。村上市中心街の町屋を巡る散策イベントとして定着している春の「人形さま巡り」、秋の「屏風まつり」では毎回ポスターやパンフレットを飾る印象的な切り絵のメインビジュアルを手掛けており、現在は主催団体・村上町屋商人会の副会長も務める。3人の子の母で、また内外6匹の猫の面倒を見る無類の猫好きでもある。
――とても趣のある建物ですね。これが町屋というものなのですか?
山上さん:そうです。住商一体型で奥行きがあり、土間が奥まで延びていて手前の入り口から囲炉裏のある客間、奥の仕事場までストレートに通れるようになっているのが特徴です。なんでも江戸期は間口の広さで税額が決まったらしく、いわば町人が節税策としてこのような奥に細長いつくりにしていたそうで、それが町屋の大きな特徴のひとつになっています。その奥行きから「うなぎの寝床」なんて言い方もあります。
――なるほど。住商一体型とのことですが、山上さんもこちらで生まれ育ったんですね?
山上さん:はい。私はご近所を含めこれが普通だと思っていたのですが、中学に上がって別の地域の友人の家へ遊びに行くようになって初めて、これが当たり前じゃないことに気づきました(笑)。現在では貴重な観光資源のひとつとして認識してもらっていますが、観光などで初めて来られる方も、どこまでが玄関なのか、どこまで入ってよいのか、戸惑う方もおられます。プライバシーの境界が曖昧ですから。
――中に入るといきなり仏壇があったりして、正直私も少し戸惑っていました(笑)。ちなみにこちらは築何年くらいなのでしょう?
山上さん:棟札などが残っていないので正確なことは分かっていないのですが、少なくとも江戸後期の建築で、170年以上は経っているようです。……よくよく考えてみれば、「人形さま」や「屏風まつり」が始まって観光客の方が多く来られるようになった20年以上前から「築170年以上」って説明しているので、そろそろ更新した方がいいのかもしれません。
――(笑)。そのころからすでに染物屋さんだったんですか?
山上さん:これも正確な年までは分からないのですが、寛文年間に初代が亡くなったという記述が史料に残っていて、初代はすでに染物を商っていたとのことなので、染物屋としては少なくとも370年ほど前から続いていることになります。ちなみに、私で14代目です。
――それはすごい……この建物のさらに倍も歴史が。そんな長きに渡り、ずっと染物一筋で?
山上さん:先祖から伝わっている話ではそのようです。その時代その時代に合わせて試行錯誤しながら、布を染めるという社会的な役割みたいなものをこれまで担ってくることができたのだと思います。それは今も変わりません。
――では、現在の主なお仕事を教えてください。
山上さん:家紋やロゴマーク、模様などをのれんや手ぬぐいなどに染め抜く「印染(しるしぞめ)」をメインに、祭事で用いるのぼりの染めなども承っています。お客様は個人の方からお店、会社まで様々ですが、この地域ではお祭りで参加者が着用する法被がうちの仕事としてはいちばん目立つかもしれませんね。
――そういえば村上、瀬波、岩船とも今年3年ぶりに屋台の巡行が再開しましたね。やっぱり忙しかったのですか?
山上さん:はい、おかげさまで。逆に、コロナ禍で巡行のなかったここ2年はとても寂しい思いをしていました。
――ちなみに、山上さんもやっぱり当日は法被を着て巡行に参加されるんですか?
山上さん:それが今でこそほとんどそんな感じはなくなりましたが、私の年代では子どもの頃はまだお祭りは男衆が参加するものという雰囲気が強かったので、私自身その意識がまだ残っていて、当日は食事を用意して客人を迎えるのが専らですね。自分の子どもが小さかった頃は少し引き回しにも参加しましたが。また商売柄、例年お祭り前は法被の納品に追われてとっても忙しくて、なかなか……という理由もあります。父はそれでも参加してましたけど(笑)。
――では、いよいよ本題に。今回こちらの建物がピンチを迎えているとのことですが、具体的には?
山上さん:当店主屋の東側の壁が、隣家の解体により露出してしまったんです。町屋の建物ってお隣同士で構造を共有している場合も多く、うちとお隣さんの壁もそうだったのですが、解体によって本来は内側にある、外壁として仕上げられていない土壁が風雨にさらされる状況になってしまって。このままにしておくと、雪や風雨で土壁が崩れてしまいかねない状況になってしまったのです。
――それは大変。その修復のために、クラウドファンディングに取り組まれているとか。
山上さん:そうなんです。この壁に、逆側の外壁と同じく下見板張りを施したいのです。その費用として、自己資金と助成金では賄い切れない分を皆様にお願いしています。急ぐ必要があったので、工事はすでに始めていただいています。崩れる危険性があり、仮にクラウドファンディングが成功しなくても、下見板を張らないと建物が維持できないので。
――なるほど。ではなぜまたクラウドファンディングで?
山上さん:最初はまったく頭になかったのですが、周囲の勧めもあって挑戦することにしました。それで、せっかくやるなら、現代的に建て替えたりただ覆ったりするのではなく、この建物を次世代へ引き継いでいくために最良のかたちでの修復ができればと。木材には地元産のいわふね杉を使用し、工事も同じ町内の大工の方に依頼しました。また、クラウドファンディングとして内外に広く発信することで、当店だけでなく地域全体が城下町としての魅力を大切にしていることのPRにつながればとの思いもありました。
――開始から数日で、早くも目標額の4分の1以上が集まっていますね。
山上さん:本当にありがたいです。金額ももちろんですが、支援者の方から届くコメントがとっても温かく、そのひとつひとつに涙しています。……中には、ずっと会っていなかった中学校時代の同級生からも寄付があったりして、懐かしいやら嬉しいやらで。次に何かあったら、自分も支える側として、恩送りができればいいなという気持ちにさせられています。
――せっかくなので、山上さん個人のことも少し教えてください。いつごろから家業を継ごうと考えていたのですか?
山上さん:正直なところ一大決心して継いだというよりは、気がついたらそうなっていた、という感じですね。それこそ幼いころから住商一体の空間で親の仕事を間近に見て育ったので。地元の高校を卒業して京都の専門学校で染物を学んだあと、作家・澁谷和子さんに弟子入りするかたちで澁谷さんの会社に入り、住み込みで型染を学びました。
――住み込みですか?
山上さん:はい。先生のご自宅に下宿して、極端に言えば24時間体制の仕事でした(笑)。そんな生活を4年間続け、村上に帰ってきて家業に入ったのが24歳のときで、もう29年も前になります。
――修業時代の経験で今も活きていることってありますか?
山上さん:仕事自体はキツかったですが、先生の会社は私たち従業員が美を学ぶことについては寛容で、スケッチに行ったり美術館や博物館、寺社などへ鑑賞しに行ったりする分には柔軟に休暇をくれたんですよ。さすが京都ですよね。先生も鑑賞の仕方を教えてくれたりして。仕事とともに、その経験で養えた感性みたいなものは今でも私の血肉になっています。
――お見受けしたところ、ほとんど手作業でやられているのですね。
山上さん:そうですね。今どき、と思われるかもしれませんが(笑)。型も手書き、フリーハンドで起こします。注文はほぼ誂え、つまりオーダーメイドなので、お客様の求めているものを探りながらかたちにしていくのは、職人としての大きな醍醐味のひとつです。商品の性質上、人やお店、会社の歴史の節目節目でご利用いただくものですし。仕事モードになると、見ている風景がすべて頭の中で型紙・切り絵になることもありますよ。
――それはすごい(笑)。今後の展望を教えてください、って、まずは壁の修復でしたね。
山上さん:はい。修復が完了した暁には、ぜひ現物を見に村上へ来ていただき、まち全体の魅力にも触れてもらえたらと思っています。私もこの建物や仕事を、ご先祖様が残してくれたものの良さを大切にしながら、より良い形で次代へ引き継いでいきたいと思っています。
――本日はありがとうございました。