みなさんは「ソーシャルワーカー」という職業をご存知ですか? 日常生活で接する機会はなかなかないかもしれませんが、医療や福祉、教育などの各分野で、専門の相談員として、困っている人と社会をつなぐ重要な役割を担っています。村上市に住む精神保健福祉士・社会福祉士で、下越地区の小・中学校のスクールソーシャルワーカーとして勤務する滝波さんは、そんな相談員を身近に感じてもらいより気軽に利用してもらおうと、昨年、地元の駅前商店街の一角に相談室を開設しました。今回はその相談室「楽楽」におじゃまし、いろいろとお話を伺ってきました。
精神保健福祉士の相談室 楽楽
滝波 厚子 Atsuko Takinami
1975年鹿児島県生まれ、村上市育ち。精神保健福祉士、社会福祉士。新潟青陵大学看護福祉心理学部を卒業し、精神科単科病院の有田病院(新発田市)や新潟大学医歯学総合病院にソーシャルワーカーとして勤めた後、新潟市教育委員会でスクールソーシャルワーカーに。現在は新潟県教育庁・下越教育事務所のスクールソーシャルワーカーとして勤務する傍ら、地元に相談室「楽楽」を開設し、子どもから大人まで、医療・教育・福祉・介護・LGBTQなど様々な分野の相談に応じている。趣味のひとつは「ガチャ」の景品収集で、生活用品のミニチュアが特に好き。
――本日はよろしくお願いします。まず基本中の基本から教えてください。ソーシャルワーカーって、どんな仕事をする人のことなのですか?
滝波さん:ごく簡単に言うと、病気や障がいなど様々な理由で生活に困難を抱えている方やそのご家族に対して、適切な助言や支援のコーディネートをする人のことです。例えばケガや病気で入院すると、仕事を休まざるを得なくなったり、元の生活が送れなくなりますよね? そういった場合に、退院後の社会復帰に向け、職場と調整したり、適切な公的支援を提案したりするのが主な役割です。一般的には病院や介護・福祉施設、公的機関などに勤務し、ケースワーカーや生活相談員、児童福祉司など、勤務する施設や仕事内容、資格によっても様々な呼び名があります。
――ちなみに、カウンセラーといわれる職業の人とはどこが違うのでしょう?
滝波さん:困っている方の相談を受けて解決を図るという点では同じですが、カウンセラーが相手の気持ち、心そのものにアプローチするのに対して、私たちソーシャルワーカーはその名の通り、相手の周囲の環境にアプローチするのが大きな違いです。もちろん重なる部分もあり、共同作業になるケースもありますが。
――なるほど。滝波さんは実際にどんな仕事をしているのですか?
滝波さん:現在はスクールソーシャルワーカーと街角の相談員、二足の草鞋で活動しています。前者は県教育庁の下越教育事務所という組織に所属し、下越地区の小・中学校から受ける不登校やいじめ、虐待などの問題を本人やその家族、先生と相談しながら解決していくのが仕事です。下越にはスクールソーシャルワーカーが私を含め2人しかいないので、実はレアキャラかもしれません。
――そうなんですね(笑)。では、こちらの相談室「楽楽」さんでは?
滝波さん:こちらではあらゆる年代の方の相談に応じています。職場や学校での悩み、依存症、不登校、発達に関すること、引きこもり、認知症、うつ病、精神疾患、LGBTQなど様々な相談をお受けしています。もちろん医療行為や強制はしませんしそもそもできませんが、スクールソーシャルワーカーとなる前は病院でソーシャルワーカーとして勤務していた経験もあり、相談の上で必要があれば受診や公的支援につないだりする場合はあります。専門家への相談というと身構える方も少なくありませんが、お医者さんや施設にかかる前の段階として、そうした方がいいのかどうかも含めてアドバイスできますので、気軽に相談してもらえればと思っています。
――そもそも地元に相談室を開設したきっかけは?
滝波さん:ソーシャルワーカーとしてそれなりに経験を積むことができたので、自分のスキルを生かして地域の役に立ちたかった、というのと、専門家への相談に対する心理的なハードルを下げたかった、というのが主な動機かもしれません。組織を介さず、直に人の悩みに応じたい、という気持ちがありました。幸い副業もOKでしたし、家族が持っていたちょうど良い物件が空いたことも後押しになり、思い切ってやってみることにしました。
――ではもっと遡って、滝波さんがソーシャルワーカーになろうと思ったきっかけを教えてください。
滝波さん:大元をたどれば、子どもの頃の経験です。私は小学校時代、祖母から度々暴言や暴力を受けていました。とても理不尽で、怖かったし辛かった。今から考えれば祖母は精神疾患だったのですが、当時は私も他の家族もどうしていいか分からず途方に暮れていました。外面ではニコニコしていたものの、祖母だけでなく助けてくれない周囲をも恨み、精神的にかなり荒んでいました。今の仕事を志したのは、あのときの自分のような境遇にある人の力になりたかったからです。
――そうなんですか…それで勉強を。
滝波さん:10代~20代前半の頃、心の中はグチャグチャでした。高校卒業後に入った専門学校も途中で辞めてしまい、仕事に就いても長続きせず、プチひきこもりになったりもして、何をやっても上手くいきませんでした。このままじゃいけないと一念発起して、大学に入り直したのは24歳のときです。大学で医療や福祉について学びを進めるうちに、徐々にではありますが自分の過去も相対化できるようになってきました。とはいえ、晴れて大学を卒業して国家資格を取得し、病院のソーシャルワーカーとして働くようになってからも、殴られたり暴言を吐かれたりした光景は記憶から消えず、ふとしたときに鮮明に蘇ってきたりして、私を苦しめました。
――「トラウマ」という言葉は随分カジュアルに使うようになっちゃってますが、そんな生易しいもんじゃないんですね。
滝波さん:はっきり「乗り越えた」と思えたのは30代後半になってようやくです。それで、学生時代からもともとやりたかった「かつての自分」、つまり子どもを対象とした相談員の募集があることを知って応募し、新潟市教育委員会のスクールソーシャルワーカーに採用されたのが4年前のことです。その後、地元の小中学校も受け持てる県教委・下越教育事務所のスクールソーシャルワーカーになり、現在に至ります。
――紆余曲折があったんですね。
滝波さん:今から振り返れば、30代までの自分を知る方々には随分と不快な態度で接していたと思います。謝って回りたいくらいです(苦笑)。今、私の心の中は晴れ晴れとしています。もう亡くなりましたが、あれだけ憎んでいた祖母にも、今はむしろ会いたいです。会って「おばあちゃんもいろいろ苦しかったんだね」と言ってあげたいです。
――そこまで…。今後の展望はいかがですか。
滝波さん:イメージしているのは「身近にいて、いつでも相談できる地域のソーシャルワーカー」のような存在です。自分がかつて当事者として痛いほど実感したことですが、悩みは自分や家族だけで抱えず、長期化してこじれていく前に、早めに相談するに越したことはありません。繰り返しになるかもしれませんが、子どもを対象とした相談員をやっているのも、こうして商店街に相談室を開いているのも、相談へのハードルを下げ、なるべく早い段階で相談してもらいたいからです。
――身近に相談できる専門家が門戸を開いているのは確かに心強いですね。一人で深刻に悩んでいたことでも、相談を通して「なんだ、初めからこうしておけばクヨクヨしなくてもよかったんだ」と心が軽くなる場合もありますもんね。
滝波さん:そうですね。相談員としての究極の理想は、相手に「忘れ去られること」だと思っています。相談したこと自体を忘れるくらいの充実した幸せな生活を送ってもらいたい、ということです。多くの方に気軽に利用してもらい、今後も一人でも多くの生きづらさを抱える方の力になっていければ幸いです。
――本日はありがとうございました。
精神保健福祉士の相談室 楽楽
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