「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」を拠点に、国内外での公演やイベント、劇場外でのパフォーマンスなど積極的に活動している舞踊団「Noism(ノイズム)」。2004年のグループの立ち上げから今年でちょうど節目の15年。当時から舞踊家として、そして現在は副芸術監督としても活動を続ける舞踊家・井関佐和子さんに、彼女らしさのたくさんつまったNoismストーリーを語ってもらいました。
Noism
井関佐和子 Sawako Iseki
1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエをはじめ、16歳で渡欧。Noism1所属の舞踊家でありながら、Noism副芸術監督も務める。日本を代表する舞踊家のひとりとして、各界から高い評価を集めている。第38回ニムラ舞踊賞受賞。
現在、プロフェッショナルカンパニー「Noism1」、研修生カンパニー「Noism2」の2つの集団からなる「Noism」は、日本初の公共劇場専属舞踊団として2004年に誕生しました。国内外からオーディションで選ばれた舞踊家たちが新潟へと移り住み、「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」を拠点に年間を通して稽古とステージを繰り返す、まさにプロの舞踊団。公共劇場が専属の芸術集団を持つことは欧米諸国では当たり前のことですが、日本の劇場では今も専属の芸術集団を抱えているところはほとんどありません。
「Noism」が生まれるキッカケとなったのは、「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館」が国際的に活躍していた演出振付家・舞踊家の金森穣(かなもりじょう)さんに芸術監督就任の相談を持ち掛けたこと。ちょうど金森さんが、2003年に自身初のセルフ・プロデュース公演「no・mad・ic project -7 fragments in memory」で朝日舞台芸術賞を受賞するなど、注目を集めていたタイミングでした。「劇場専属の舞踊団を立ち上げましょう」金森さんのその提案から、すべてがはじまります。
「no-ism」つまり「無主義」を意味するカンパニー名の由来は、「19~20世紀に確立されてきたさまざまな主義を否定するのではなく、もう一度リスタディすること」から。特定の主義を持たず、長い歴史のなかで蓄積されてきた身体知やありとあらゆる「ism」を再検討。現代に有用な新しいカタチに置き換えて、現代人としての身体表現をステージ上で披露し、観客である私たちを魅了します。
――井関さんが踊ることに楽しさや魅力を見出したキッカケを教えてください。
井関さん:キッカケですか…記憶がないですね(笑)。3歳からクラシックバレエを習いはじめて、他にもいろいろと習い事をしたのですが、唯一熱中したのが踊ること、バレエでしたね。なので、何かのキッカケで楽しいと思ったのではないと思います。
――では、プロの舞踊家になりたい、踊ることを仕事にしたいと思った理由などはあるのでしょうか。
井関さん:普通だったら「舞台に立って、キラキラして、これが私の生きる道だ」って思うのでしょうけど、そうじゃなくて、私の場合は10歳くらいのときに踊る楽しさよりも、踊っている先輩や大人たちの姿に憧れたんです。「あっ、私はこうなりたいな」って。それで、この仕事で食べていきたいなと思ったんですよね。
――若い頃は海外に行かれていたんですよね。
井関さん:そうなんですよ。当時はクラシックバレエをしていましたが、バレリーナになりたいという思いよりも、「踊る人」として海外に行きたいという思いが強かったので。ただ海外を目指した動機は単純で、雑誌を見て、なんですよ。サッカー選手になりたいから雑誌に載っている選手みたいにブラジルに行こう!みたいな(笑)。
――それでも実現して海外に行ってしまうのは、すごい行動力ですよね。海外での活動から、Noismへと至る経緯は…?
井関さん:海外のカンパニーで踊ってきて、「もう踊り過ぎた、ちょっと踊ることから離れよう」と思って日本に帰ってきた時期がありました。休むために帰国したって感じです。ただ、踊るのをやめたわけじゃなくて、ちょうどその時期に穣さん(金森穣)が、東京で行っていたプロジェクトに参加したんです。海外にいたときから彼のことは知っていて、穣さんの作品を観たときに自分がその舞台に立っているイメージが見えたんです。それで一緒にやってみたいと思って。そのプロジェクトのあと、Noismのオーディションに参加しました。Noismって日本で初めての公共劇場専属舞踊団なんですよ。これって海外では当たり前で、舞踊家は日々生活できる給料がもらえて、保険があって、年金がもらえてと、カンパニーとしてしっかりと雇用されているカタチが海外では当たり前なんです。その環境が日本に初めてできて、カンパニーの立ち上げに関わることができるチャンスがあるということが、参加の大きな理由のひとつですね。
――立ち上げメンバーだった頃の印象的なエピソードはありますか?
井関さん:この前、立ち上げ当初の記者会見VTRを見たんですけど、今では考えられないくらいメンバーのガラが悪かったです。やんちゃ…いやもう、ヤンキーですね(笑)。
――え(笑)。ヤンキーですか??
井関さん:彼らはみんな、オーディションから選ばれたメンバーですが、Noismに選ばれるまでそれぞれの道でキャリアを重ねてきました。だから、当然自分以外はみんなライバルだし、個が強すぎて…ギラギラしていたんでしょうね。
――負けられない!みたいな感情がめちゃくちゃ表に出ていたんですかね。
井関さん:スタートしてしばらくは、メンバー同士がぶつかり合うこともよくありました。穣さんの稽古もとにかく厳しくて、辛かったですね。肉体的にも、精神的にも。やっぱり穣さんの求めることはレベルが高くて、穣さんとメンバーとでは見えているものが違ったんでしょうね。その要求に対してメンバーも抵抗する部分があったり、プライドとプライドのぶつかり合いが続く日々でした。今思えば逃げることもできたんでしょうけど、逃げずに乗り越えてきた経験はとても大きいですね。
――Noism結成15周年を迎えて、今思うことはありますか?
井関さん:ん~とりあえず、今も過酷な日々は変わらないですよ。ただ、昔は稽古にしてもやらされている感がすごくありましたが、それはなくなり、自分との闘いへと変わりました。25歳のときもそうだけど、今40歳になっても公演後に悔しくて泣くこともあるし…。
――ステージ上では常に同じ精神状態で踊っているんでしょうか?
井関さん:そんなことはないですよ。でも、自分がその日の公演に満足できていなかったとしても、そこは経験や技術でカバーできるので、逆にお客さんから「いいパフォーマンスだったよ」って言われるときもあるし。満足できないときは、自分の心と身体とのギャップがある時かな。でもそのギャップが埋まったときはとても嬉しく思います。
――稽古、公演など、とにかく踊るときに意識していることはありますか?
井関さん:すべてを意識したうえで、まるで意識していないように見せることを意識しています。踊りは見てもらうものなので、目線、顎の角度、指先から足先まで、けっこう意識しないといけない部分があるんです。ただ、お客さんには意識していないと思わせて、自然の様子として見てもらわないといけない。
――ん~とても難しいですね…。ステージ上では、自分自身を表現されているという感じなのでしょうか? それとも、自分ではない何かを演じる、役作りをするという感じなのでしょうか?
井関さん:自分ではないものを目指すことはしますね。むしろ役作りは踊り以上に好きかもしれません(笑)。本を読んだり、映像を観たりして、この役の人物はこういうときにどんな振りをするのかを考えます。なので、スタート地点では自分ではないものになる感覚です。ただ、公演の回数をこなして突き詰めていくと、なぜか最終的には自分自身に戻っているんですよね。でもそれは役作りをはじめたスタート地点の自分ではなくて、また違う自分です。
――こだわりのあるライフスタイルだとお聞きしました。
井関さん:え、そんなこだわってないですよ(笑)。ちょっとこだわるようになったのは、食べ物に対してくらいですかね。舞踊家って、自分の身体を使って表現するので、身体に気を使わないといけない。グルテンフリーの生活をはじめてからは食べ方、食材にすごく興味関心を持つようになりました。直売所に行ったり、農家さんから野菜を買ったりしています。もともと食べるのが好きなんですよね。ちなみに昨日は、北区のトマトを買いに行きました。甘くておいしいんですよ。
――料理を作るのも好きなんですか?
井関さん:作るというか、キッチンに立つことが好きなんですよね。料理に没頭する時間はリラックスするし、気持ちをリセットする大切な時間でもあります。なので、よくお菓子を作っています。もちろん、夕飯も作りますよ。先日、ロシアで海外公演があって、その名残で昨晩はボルシチを作りました。
――同じ舞踊家であり、夫でもある穣さんとは、仕事でもプライベートでも一緒じゃないですか。切替のスイッチはありますか?
井関さん:昔は境界線を作っていました。公私混同したくないとお互いに思っていましたから。若かったこともあり、難しかったんですよね。でも結婚して10年以上も経って、今では感覚的なラインがお互いにあります。自然に切替じゃないですけど、夫婦としても、仕事のパートナーとしても、その時々で変わりますね。まぁちょっと喧嘩したときは、稽古中に些細なことでイラっとすることもあるけど(笑)。
――でも、舞踊家として、ひとりの人間として穣さんのことをとても尊敬されているように感じられます。
井関さん:それはありますね。とにかく人間性、舞踊家としての面、すべてにおいて尊敬しています。夫婦って他人じゃないですか?人と一緒に生きていくって、そう簡単なことではないと思っています。すべて受け入れるのは困難ですし。私たちの関係には、前提としてリスペクトが存在しています。
――冊子を拝見したんですが「さわさわ会」って何ですか?
井関さん:ファンクラブみたいな会ですかね(笑)。この会はそもそも、万代にある映画館「シネ・ウインド」代表の齋藤正行さんが、「佐和子さんを応援する会はないの?作らないの?」っておっしゃったのがきっかけで。そしたらNoismを応援してくださっている方々から「作ろうよ」との声が上がってできたのが「さわさわ会」なんですよ。
――ファンの方からの発信で作られたんですね。どんな活動をされているのですか?
井関さん:冊子を年1回作っています。あとは、私の誕生日会という名目の飲み会ですね。私はお酒が飲めないんですけど(笑)。私を酒の肴にして楽しんでほしいんです。いろいろな分野で活躍されている方が参加してくれて、普段聞けないような意見や考えが聞けて面白いですよ。今の時代にタレントやアイドルでなく、ひとりの舞踊家のファンクラブが存在するなんて夢のようです。その昔、知識人や芸術家たちが舞踊家のファンクラブを作って応援していたのが憧れだったので、多くの方が参加してくれているのは本当にありがたいと思っています。
――新潟に移り住んでもう15年ですよね。活動していて思うことや、新潟にこうあってほしいと願うことはありますか?
井関さん:もっとたくさんのお客さんに劇場に来て欲しいです(笑)。新潟って、文化的な要素はとても多いと思うんですけど、ただ、点在しているだけでひとつに集まっていない感じなんですよね。あとはまだ劇場自体にお客さんがついていないんです。海外の劇場はむしろ逆で、まず劇場に人が集まっています。現状だとまずどうやって人を集めるか、そんな考えが先行していますけど、前提として劇場にお客さんがついていれば、「どう満足してもらうか」に集中できるので、劇場で上映される作品のレベルももっと上がると思うんです。だからたくさんの人にもっと気軽に劇場へ足を運んで欲しいですね。
――ダンスやアートの世界に興味のない人にとって、劇場に行くことってハードルが高かったりしますよね。どんな楽しみ方をしたらいいのか、どういう視点で観たらいいのか、「わからない」って思って、いろいろ難しく考えてしまうんですよね。
井関さん:確かに作品を理解しないとって考えてしまうと思います。でも単純に、楽しめたか、好きか嫌いか、なんだと思いますし、どう観るか考えるかは個人の感性でいいんです。それに、日本ではトレーニングして鍛え上げられた生の身体を間近で見る機会なんてなかなかないですよね。毎日厳しい稽古を重ねて、身体や食べ物を考え、どう観てもらうかを考え続けている40歳。そんな人を観てみようでもいいと思います(笑)。深く考えないで、ちょっと覗き見してみる感覚で、劇場に一歩足を踏み入れてみてください。
Noismの15周年記念公演「Mirroring Memories ―それは尊き光のごとく」「Fratres I」(2本立て)が7月に新潟と東京で上演されます。「Mirroring Memories」は昨年2018年に東京で初演された作品で、新潟では初上演。「Fratres I」は芸術監督の金森穣が演出振付を手がける新作です。新潟公演は「りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場」で7月19日から21日まで。「ノイズムってどんなステージなんだろう?」と興味を持った皆さん、ぜひ足を運んで、踊りの面白さ、迫力、身体表現の美しさを体感してください!
Noism 15周年記念公演 『Mirroring Memoriesーそれは尊き光のごとく』/新作『Fratres Ⅰ』 2019日7月19日(金)~21日(日)※全3回 会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉
Noism – RYUTOPIA Residential Dance Company
新潟県新潟市中央区一番堀通町3-2
025-224-6515