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ものがあふれる燕市を商品撮影の町へ。カメラマン「宗村亜登武」さん。

商品紹介のために、食器や料理、洋服などの物品を撮影する「物撮り」という技術があります。燕市を拠点に活動するカメラマンの「宗村亜登武」さんは、そのプロフェッショナル。たくさんの「物」を撮影してきた宗村さんに、ものづくりの町燕市で感じた課題やご自身の取り組み、今後の展望などいろいろとお話を聞いてきました。

 

カメラマン

宗村 亜登武 Atomu Munemura

1981年燕市生まれ。バンタンデザイン研究所写真学科卒業後、フリーのフォトグラファーとして活動。その後、貸しスタジオのスタッフとして働く。2007年、業界大手「アマナ」の子会社「株式会社カブラギスタジオ」に入社。2009年、「カブラキスタジオ」のメンバーと共に「株式会社ワット」設立。2018年に独立し、2019年「株式会社オフィスアトム」開設。サウナにハマり中。クリエイター集団「写工場」代表。

 

ものがたくさんある町で、ものの見せ方を追求する。

——宗村さん、バンタンデザイン研究所を卒業されてからは東京で働かれていたんですか?

宗村さん:しばらく東京で仕事をしていました。学校を卒業して、最初の2年くらいはフリーのフォトグラファーとして活動したんですけど、ぜんぜん食べていけなくて。「もう1度写真の基礎からやり直そう」と、代々木上原の貸しスタジオのスタッフとして働きました。それから業界大手の制作会社「アマナ」の子会社「株式会社カブラキスタジオ」を経て、そこで声をかけていただいた上司や先輩と「株式会社ワット」の立ち上げから参加しました。

 

——新潟に拠点を移されたのは?

宗村さん:2018年に独立するちょっと前、2016年から新潟と東京の2拠点で活動するようになったんです。

 

——いつかは新潟に戻ってくるおつもりだったんでしょうか?

宗村さん:実のところ、燕市ではカメラマンとして生活できると思っていませんでした。「仕事なんてないだろう」って。でもだんだん世の中が、商品をECサイトやホームページで紹介する流れになってきて。以前所属していた「ワット」では、百貨店のカタログ撮影が主な仕事だったんです。いわゆる「物撮り」をしていたんですね。物撮り技術はネットの世界にうまくフィットするんだろうなと思ったとき、あることに気がついたんです。東京ではものづくりをしていないのに、写真や広告のクオリティが高い。でも燕市はものづくりの町で製品があふれているのに、その見せ方が物足りないなって。

 

 

——ほぉ。おもしろい視点です。

宗村さん:それがすごくアンバランスだと思ったんですよね。それでもっと燕市に比重を置いた活動ができないものかと考えはじめるようになりました。

 

——物撮りを得意とするカメラマンさんだったから、そう思われたんでしょうね。

宗村さん:そうかもしれません。それに東京がもてはやされるより地元が盛り上がる方が心から喜べました。地元の皆さんが嬉しいと自分も幸せになれて。それでどんどん燕市の仕事にのめり込んでいったんです。

 

——それが2拠点生活のはじまりですね。

宗村さん:「ワット」の新潟支部として2拠点で活動していたんですけど、その頃は百貨店の売り上げが低迷して東京の仕事がどうにもならなくなっていたんです。僕だけがむしゃらで、メンバー間の温度差を感じるようにもなりました。一方で燕市の仕事は、やればやるほど皆さんに喜ばれるし僕も幸せになれたんです。

 

出会いに恵まれ、撮影だけに留まらずトータルで広報を支援。

——その頃って、燕市ではほとんど実績がない状態ですよね。どういうふうに仕事を獲得していたんですか?

宗村さん:東京にいた頃「Kalita」というコーヒー器具のブランディングを任されました。その仕事を進める中で「今度、燕市の企業とコラボレーションするんだけど、宗村くんは新潟出身だよね」なんて話になりまして。「燕市といえば僕の地元ですよ」と大見得を切って、撮影集団とクライアントさんを連れて燕市の方々とお話する機会があったんです。そこで燕市の技術や製品力が僕の想像を超えるくらい「とんでもなくすごい」と知って驚きました。「もっと世の中にアピールした方がいいですよ」とお伝えしたところ、「どうしたらいいかわからない」「カメラマンもいない」というので、「それなら僕が燕市に来ます」「その度に撮影をします」と力説したんです。「困っている会社さんがいたらご紹介ください。僕がやりますから」って。

 

——それから口コミやご紹介ご依頼が増えていったんですか?

宗村さん:そうですね。同時に仲間にも恵まれました。独立前は孤独を感じていたし、いくつかの拠点で仲間作りをしようと試みてもうまくいきませんでした。それが燕三条ではご依頼は増えるわ、ネットワークは広がるわとトントン拍子に出会いに恵まれたんです。他の場所だと敵対視されたり、足を引っ張られたりしたのが、燕三条ではなぜかみんなが賛同してくれたんです。

 

——抱えている課題と解決できる人がマッチしたんですね。

宗村さん:出会うカメラマンも出張撮影や家族写真が得意で、商品撮影に強みを持つ僕とは被らなくて。お互い仕事を取り合うこともないし、相談できる幅が広がりました。

 

——お仕事は撮影以外にも及ぶと思います。

宗村さん:コンテンツを作るために、商品撮影はもちろん工場の撮影、経営者のインタビューなどご依頼は多岐に渡ります。僕ができる分野の範疇外であれば、得意な人にお願いできます。なにせたくさんの仲間がいるのでね。東京でブランドのディレクションや、チームでクリエイティブな取り組みをした経験が生きていると思います。

 

 

——すごく地域のためになるサービスを提供されていると思いました。

宗村さん:感謝してもらえることが増えてきましたね。写真や広告を、誰に、どう届けるかを描けるところが僕たちの強みだと思っています。成果物として撮影データを収めるパターンもあれば、ホームページや映像の制作、それにSNSの代行もしています。各種プロモーションに対して、お客さまの課題に可能な限り対応するのが仕事です。

 

——東京と新潟ではいろいろな面で違いがあると思います。どんなところにびっくりされました?

宗村さん:ディレクションという仕事に対してなかなか価値を感じてもらえないところでしょうか。撮影したものをどういったかたちで見せるか、そこに労力が発生するので、ディレクションにいちばん費用がかかるとは思うんですけどね。ディレクション費の捻出は今も苦労しています(笑)

 

——作業として見えるところではないですもんね。でも実績が増えて、やりやすくなっているんじゃないかと思います。

宗村さん:それはありますね。僕の代だけで終わってしまっては意味がないので、可能な限り僕の考えを広めていきたいと思っています。そうすればカメラマンが育つし、カメラマンとして食べていけるようになりますから。1カットいくらという値段の付け方ではなくて、コンテンツを作ることに対して費用をいただく。発注する側の認識が育てば、みんなが食べていけるようになるし、もっとありがたいと思ってもらえるはずです。

 

燕市を商品撮影の町へ。物撮りカメラマンの描く未来。

——物撮りのプロが燕市出身で、その燕市はものづくりの町だった。すごくストーリーを感じます。

宗村さん:なんだか不思議ですよね。僕は物撮りカメラマンになろうと思ってこの道を選んだわけじゃないんだけど、たまたま配属されたのが百貨店のカタログを作る部署でした。燕市に来てからは、どこへ行っても課題が見えるようになりました。「僕だったらこんな解決ができるな」っていうアイディアを伝えると喜ばれるんです。もう「無敵感」がありましたね。

 

——燕市の技術力は素晴らしいですよね。でもまだまだ発信の余地はあるんですね。

宗村さん:ものづくりの体制や素材の仕入れ方なんか、異次元と思えるくらいこの町独自のものがありますよね。だから小さい会社でもいつまでも続いているんですよね。そういった強みを地元の人であっても知らずにいるのかもしれません。

 

——燕市の強さを知ったときの衝撃はかなり大きかったのでは。

宗村さん:そうですね。なんなら捨てた町でしたから(笑)。「自分のセンスとは合わないよ」って、東京へ出て行ったんで。

 

 

——その燕市でご自身の強みを生かしているんですね。

宗村さん:物撮りの技術をしっかり教わった世代って僕らが最後じゃないかな。牛乳パックとか洗剤、クリアファイル、決して派手ではない商品撮影を山ほどしてきました。その中で技術が身についていくんですけど、今はそういう下積みをせずにSNSで自分好みの写真を得意なスタイルでアピールできちゃうじゃないですか。それだとほとんどの人はカメラマンとして生活できないような気がして。日本はものづくりで戦ってきた国だから、商品を撮影できるカメラマンは絶対に必要です。だけどきちんと製品を撮影できるカメラマンが少なくなっている。ここはものづくりの町、無限に商品がある町なんだから、燕市を商品撮影の町にもできると思っています。

 

——その技術を宗村さんが伝えていくってことですね。

宗村さん:新潟は港も空港もある物流の拠点です。この地域に商品撮影ができるカメラマンがたくさんいて、日本中から製品が集まる。そんな場所になったら「燕市は商品撮影の町になる」って思うんですよね。写真を立体的に作成するフォトグラメトリーという技術だって専門性がなくても実現できるようになってくるでしょう。そういった取り組みも含めて、この町が商品撮影の一大産地みたいになったらいいなと思います。

 

 

——すごくおもしろそう。

宗村さん:センスのある人たちは世界中を飛び回ってカメラマンとして生きていけばいい。でもそうなれる人は一部です。「株式会社オフィスアトム」では製品の撮影、製品をPRするコンテンツを学べます。僕の考えが現実になったら、燕市はすごくおもしろい町になると思います。見せ方が変わると、ものづくりの考え方だって変わるでしょうから、相乗効果も期待できそうですよね!

 

——実現するでしょうか。

宗村さん:絶対に商品撮影って技術はなくなりません。僕のこれまでの経験から、この考えは夢っていうより「そうなるだろう」って確信に近いですよ。

 

 

 

宗村亜登武

燕市水道町2-1-1

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