「月曜から夜ふかし」「ジロジロ有吉」など、メディアに度々登場している南魚沼市の「BIRTH JAPAN(バース ジャパン)」。ヤンキーファッションを専門に扱うショッピングサイトを運営しており、社屋にはド派手なアイテムがずらりと置かれていました。ドラマや映画の悪役衣装にも使われている「どこからどう見ても悪い服」の仕掛け人である石川さんに、事業を立ち上げたきっかけや若い頃のエピソードなどいろいろとお話を聞いてきました。
BIRTH JAPAN
石川 智之 Tomoyuki Ishikawa
1982年南魚沼市生まれ。新聞販売やリフォーム営業などを経験した後、ネットショッピング事業を開始。最近、ラーメン作りにハマり中。趣味は釣りとカメラで、自ら商品撮影をしている。
――石川さんが「BIRTH JAPAN」を立ち上げるまでのことを教えてください。
石川さん:バイク事故を起こして、高校は中退しているんです。そのあとは新潟市で新聞の販売っていうか、押し売りみたいな仕事もしましたし、長岡の今でいうブラックなリフォーム会社で超過重労働もしました。20歳くらいのときでしたかね。とにかく金がない、人生つまらないって、闇落ちしているときにはじめた事業がありまして。そのお店の名前が「BIRTH JAPAN」なんです。
――今みたいにアパレル通販をしていらしたんですか?
石川さん:当時扱っていたのはアパレルじゃないです。ちょっと怪しいものを販売していました(笑)。商材がそういう類のものだから、悪い仲間ともつるむようになって。留置所に入れられたこともあるんです。それでもまだ、真面目に生きる気はなかったんですよね。
――人に歴史ありって感じです。
石川さん:また騒ぎを起こして、もう地元にはいられなくなっちゃっいました。とにかく今いる場所から離れようと関東方面を転々としていた時期があったんです。たまたま入った量販店で、2足で5,000円の靴を見つけて。めちゃくちゃかっこいいのに「なんでこんな安い値段で売っているんだろう」って、けっこう衝撃だったんですよね。田舎者の自分には、その倍くらいの値段に思えたし、そもそも地元にはこんな靴は売っていないぞって驚いてしまって。お金が必要だったので、試しにその靴を買って1足5,000円でネットで販売してみたら順調に売れたんですよ。しばらく1年くらいは、その靴だけを販売していましたかね。
――それがネット販売のはじまりですね。徐々に取り扱う商材を増やしたんですか?
石川さん:メーカーに問い合わせたり、展示会に行ったり、問屋街を巡ったりしましたね。「インターネットで紳士服の販売をしています。お取引させてもらえませんか」って都度、交渉して。
――それっていつくらいのエピソードですか? まだ今みたいにネットショッピングが主流じゃなかった頃ですよね、きっと。
石川さん:2006年くらいですかね。まだまだ今ほどは、ネット販売が普及していない頃ですよ。
――ノウハウはどうやって身につけたんですか?
石川さん:以前からネットを使って販売していたんですよ。ネットの掲示板を利用した販売ビジネスみたいな感じって表現したらいいかな。その頃はもちろんガラケーですし、使える文字量も限られていて。その文字数の中で言いたいことを伝え切るにはどうしたらいいのかっていうのは、もう何百回、何千回やってきたと思います。
――自然とキャッチーな言葉を発信する訓練をしていたんですね。
石川さん:営業的な仕事も経験したので、「これを伝えたら、この人はどう思うかな」って考えるクセがついていたのかもしれませんね。意外と尖っていたときの経験がプラスになっているんでしょうかね。
――靴の販売から始まって、今はヤンキーファッションを販売していますよね。
石川さん:最初はホストにウケそうなアイテムを販売していたんですよね。そしたら「ヤンキーファッションもおもしろいんじゃない」って勧められたんです。でも「売れるのかな」っていうためらいがあって。「やるだけやってみるか」と試しに販売してみたら、思いの外反響が良かったんですよ。自分としても不良ファッションの方が違和感がないし、このジャンルでやってみようかなと思えたんです。
――自社でデザインもされているそうですね。
石川さん:難しいデザインは外注していますし、すべてではないですけどね。仕入れている商品もありますけど、オリジナル商品が多いです。最近は外国人デザイナーさんとのコラボもしています。
――オリジナル製品を増やしていったのはどうしてですか?
石川さん:事業を始めた2000年代後半以降、不良ファッションがどんどん下火になっていったんですよ。仕入れもすごく高くなって。問屋さんで扱っているものは「なんかちょっと違うな」って感じでしたし。だったら自分で作りたいものを作っちゃおうって、自社デザインをスタートしたんです。
――石川さんご自身もデザインなさるんですか?
石川さん:はい、少しだけ。デザインの経験はないので、人に頼んで描いてもらったものを見よう見まねで覚えていった感じですよ。最初はパソコンも操作できなかったですし。
――事業が続いている秘訣はなんだと思います?
石川さん:やっぱりネット販売だからですかね。路面店で営業しても、お客さんは来ないんじゃないですか。今だとヤンキーなんて町に数人ですもんね。ネットがあるから成り立っている商売だと思っています。
――時代にあったビジネス展開ですよね。
石川さん:たまたま運が良かったんだと思いますよ。海外発注をはじめた2011年当時はものすごい円高だったので、挑戦しやすかったんですね。あれも作ろう、これも作ろうって決断できた時期でした。あのタイミングで自社製品を作っていなかったら、きっと今は別業界にいたと思います。
――石川さんを初めて見たのは、NHKの「阿佐ヶ谷アパートメント」でした。強面の石川さんが障がいを持つ青年と旅をするみたいな番組でしたね。自然な姿で寄り添っている石川さんがすごく印象的で、いつかお会いしたいと思っていました。
石川さん:あの番組は、いいところだけ編集してもらったような気がしますよ(笑)。僕だけじゃなくて、誰でもそうなんでしょうけど、やっぱり「悪い面」の方が目立つんでしょうね。どんな人でも絶対いいところがあるものなんだけど。
――先ほど、若い頃のやんちゃなエピソードをお聞きしました。ご自身で「当時とは変わった」と思われます?
石川さん:難しい質問ですね。真面目に生きようと思ったのは、妻と出会って結婚を視野に入れた頃でしょうか。それが気持ちを入れ替えるきっかけだったかもしれないです。
――そういえば、「BIRTH JAPAN」さんのお洋服がメディアに引っ張りだこと聞いたのですが。
石川さん:映画とドラマを合わせると250本ほど登場していますよ。だいたい悪党が登場する作品のときは声をかけてもらっています。
――最初に声がかかったときのこと、覚えていますか?
石川さん:よく覚えています。最初はドラマでしたね。めちゃめちゃ嬉しかったです。今は、何の作品に出たのかまったく覚えていませんけど。
――それだけたくさん登場しているってことですね。
石川さん:自社で製造するようになってから、「ちょっと悪い」じゃなくて「ゴリゴリに悪い」悪党ファッションに舵を切りました。それも支持してもらえる理由なんだと思うんです。中途半端じゃない、もう徹底的にってところがドラマや映画に登場する悪役にフィットするんだと思うし、こういうファッションを好きな人に求められるんだと思います。
――ゴリゴリの悪党ファッションっていうのがこだわりなんですね。
石川さん:その方が売りやすいっていうか、見せやすいんですね。生地や細部の仕上げにもこだわっているんですけど、やっぱり私たちは写真でしか伝えられないので、インパクトや見栄えは意識します。お客さまが商品を手に取るきっかけもそういうポイントだと思いますし。差別化するにもデザインが大事だと思っています。「徹底的に派手にやろうか」って気持ちですね。
――最後に石川さんのポリシーみたいなものをお聞かせいただきたいのですが。
石川さん:世間で不良、悪い人と言われる人でも心の中に「いい部分」っていうのはあります。別にそれほどの悪党でなくたって、強そうに見えても弱い部分だってあると思うんです。負けそう、くじけそうと思ったとき、その背中を押してあげられる服を作っていきたいなっていうのが自分のポリシーですかね。自分が決めた道を進むというとき、「こんな悪そうな服を着てダセェ真似はできないだろう」っていうことです(笑)
BIRTH JAPAN
南魚沼市六日町1993
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