「新潟お笑い集団NAMARA」は、全国初の地方発信型お笑いプロダクション。テレビ、ラジオ、イベント、ライブと多岐にわたる幅広い活躍を続け、今では多くの新潟県民がその名を知っていますが、立ち上げ当初は大変な苦労があったようです。「NAMARA」をどのような思いで立ち上げたのか、そして今どんな集団として活動しているのか、代表の江口さんに詳しく話をお聞きしました。
新潟お笑い集団NAMARA
江口 歩 Ayumu Eguchi
1964年新潟市生まれ。東京デザイナー学院中退後、レコード会社に勤務。父の死を機に新潟に戻り、1997年に「第1回新潟素人お笑いコンテスト」の出場者有志と共に「新潟お笑い集団NAMARA」を結成。社会課題とお笑いをつなげ、常識を覆すスタイルの活動を行っている。
——今日はよろしくお願いします。テレビ、ラジオ、イベントなどでNAMARAさんの活躍はよく拝見しています。
江口さん:ありがとうございます。そのほかにもいろいろやってて、まとめにくいんだけど…。学校、病院、施設、企業などに出張して行う「お笑い授業」「お笑い終活セミナー」「お笑い防災訓練」といった活動とかね。「いじめ見逃しゼロ県民運動サポーター」「フードバンクにいがた大使」「にいがた銭湯大使」「グリーンカーテン普及ゴーヤ大使」とかの大使にも任命されてたりもするし。とにかくいろいろやってますよ。
——本当にいろいろですね…。
江口さん:NAMARAは「好きなことができる場所」。芸人それぞれが自分のやりたいことをやっているんだよね。一般社会では、好きなことだけやっていても生産性はないし、仕事として成立しないと見られちゃうことも多いんだけど、じつは大きな利益につながる可能性を秘めてるかもしれない。そこを引き出してあげるのが我々の仕事だと思ってます。それと、オファーされた仕事は基本断らないようにしてるんだよね。
——それはどうしてですか? 断るべき理由のあるオファーも中にはあると思うのですが…。
江口さん:来る仕事ってすべて縁だと思ってるんですよ。仕事を受けることで人との縁も生まれるわけだから、断っちゃったらそこで終わりでしょ。だから、うちはなんでも「YES」。とにかく肯定から入るようにしてます。
——それで活動が増えていくんですね。そんな中で最も力を入れている活動はありますか?
江口さん:「お笑い授業」かなあ。NAMARAの芸人が学校を訪問しておこなう、生徒も参加したり体験したりできる講演会なんだけど。2000年頃からはじめて、もう20年近くやってるんだよね。県内外の保育園から大学まで、いままで1,300校で講演してきてるよ。授業のテーマもいろいろ。芸人にはそれぞれ得意分野もあるんだけど、基本的にはどんなテーマでも対応できるんだよね。
——NAMARAってどのようにして結成したんですか?
江口さん:1997年に「第1回新潟素人お笑いコンテスト」っていうイベントがあって、新潟県内から17組の素人出場者が集まったんです。そのとき、参加者の中から私をはじめ、ヤン、ヤングキャベツ(高橋なんぐ、中静祐介)、森下英矢、中村博和らで「新潟お笑い集団 NAMARA」を立ち上げたんだよね。それから少し後に金子ボボ、ジャックポット(大野まさし、ハルマキまさし)が加入したんだよ。お笑いで食べていきたいと思っているんだけど、本当に食べていけるかどうかまでは考えてなかったよね。勢いだけではじめましたね。
——勢いは大事ですよね。結成当初はどんな様子でしたか?
江口さん:うーん。いろいろ大変だったかな。最初のころに多かった仕事は地域の祭りとか、老人福祉施設の敬老会、宴会の余興なんかの出演。30分の出演時間を芸人1組では埋められないので5組で行くんだけど、ギャラを全員で分けると取り分がこづかいくらい。交通費とか考えるとほとんど残らない。ライブやっても赤字だしね。1ヶ月の収入がひとり1万円だったりね。
——そんな中でプロダクションをやるのは大変ですよね?
江口さん:そこで、最初はみんなで事務所づくりを優先しようということになったんです。とりあえず芸人の出演料はボランティアにし、ギャラは事務所のために使うわけ。借りている事務所の家賃やら、電話応対とかする事務スタッフの人件費とかね。そうこうするうちに仕事も増えてきて、芸人たちも一人ずつ食べていけるようになっていったんだよね。
——最初は大変だったんですね。そのときはどんな思いで活動していましたか?
江口さん:「自分がやりたいと思っていることは、やれば実現できる」っていうことを証明したかったよね。結成当初はまわりから「やりたいってだけで食べていけるほど世の中甘くない」とか「東京や大阪ならともかく、新潟でお笑いの仕事なんてできっこない」とかいろいろ言われたんだけどね。「やればできるでしょ?」「ほら、事務所立ち上がったじゃない!」っていうとこを見せたかったね。
——なるほど。ほかにも結成当初大変だったことはありますか?
江口さん:宴会の余興とかに営業でいったりするんだけど、ぜんぜんウケなかったりしたよねぇ。それで、笑いを取るために作戦を立てて、「営業」と「ライブ」でお笑いの使い分けをするようにしたんだよね。つまり、自分たちの本来やりたいお笑いは「ライブ」でやって、「営業」のときは会場のお客さんに合わせたお笑いをするっていうね。それでウケるようになったんだよね。
——江口さんがお笑いの道に進んだきっかけってあったんですか?
江口さん:私は東京のレコード会社で働いてたんだけど、父が亡くなったのでUターンで新潟に帰ってきたんですよ。 新潟にはレコード会社がなかったし、家業があったわけでもなかったから、サラリーマンじゃなくて自分で起業する道を選んだんです。何をしようか考えたとき、もともとビートたけしさんが大好きだったから、お笑いに携わる仕事をしたいと思ったんだよね。
——ビートたけしさんが大好きだったんですね。どんなところが好きなんですか?
江口さん:私は以前から周囲の人たちに「考え方が普通とちがう」といわれ続けてきた。ある日、ビートたけしさんの話を聞いて「自分も人とそんなに違わないじゃん」と思える出来事があったのね。精神的にとても救われたっていうね。それから大好きになったんだよね。
——江口さんのようにお笑いをやりたいという人も多いと思うんですが、NAMARAに入ってお笑いをやりたいっていう人はどうすればいいんでしょうか?
江口さん:NAMARAは思いがある人であれば、誰でも入れるんです。だからいろんな人がいるよね。元校長先生、裁判所の書記官、司法書士、70〜80歳のご長寿アイドル「笑年隊」、脳性マヒの漫才コンビ「脳性マヒブラザーズ」なんてのまでいる。高齢者だろうが障害者だろうが、何かやりたい人、表現したい人がいれば受け入れてるんだよね。反社会勢力以外は(笑)。「兼業芸人」っていって、サラリーマンをやりながら休日にライブやMCをやっている人もいます。もちろん会社と合意の上でね。闇営業とかじゃなくてね(笑)
——いろんな人がいるんですね。反社会勢力以外で(笑)
江口さん:ある日、脳性マヒの子がきて漫才やりたいって言うんだよ。でも、言葉が不自由だから何言ってんのかわかんない。だから言ったの。「漫才は2人でやるもんだし、おまえは何を話してるのかよくわかんないから、漫才やりたいんだったらおまえの言葉を通訳できる相方を連れてこい。」って。そしたら相方を連れてきたんだけど、相方も脳性マヒだったんだよね。だから「脳性マヒブラザーズ」っていうコンビでプロデュースしたんですよ。一般的には無理だと断られるケースだと思うんだけど、面白いと思うことを実現することが笑いなんだから、本人がやりたいと思うんだったら実現してあげるのがNAMARAだと思ってます。
——今後、NAMARAでやってみたいことはありますか?
江口さん:何かやりたいという人は、みんな集まってほしいよね。それぞれのやりたいことを、どうしたら面白く実現できるか考えるのも楽しいし。そうすることでNAMARAは緩やかな共同体になっていくんじゃないかな。NAMARAというプラットホームを使って、好きな活動をしてもらえればいいと思ってます。いまでも信頼関係の中でNAMARAの名刺を持って活動している人もいるからね。
——そうすることで、どんな効果が生まれると思いますか?
江口さん:自分の好きなことをして、人によろこんでもらって、いろんな仲間ができて、新潟が盛り上がっていって、全国から注目され、人が集まって人口も増える。そんな風になっていったら最高だよね。
それまでの新潟にはなかったお笑い産業として「新潟お笑い集団NAMARA」を立ち上げた江口さん。仕事のオファーから芸人志望の採用まで、なんでも「YES」と答える姿勢から、器の大きさを感じることができました。そんな江口さんとNAMARAがどのように新潟を面白く盛り上げてくれるのか、これからも目が離せません。
NAMARA
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