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新潟市民と一緒に舞台を創り上げる、演出家「斉木としや」。

新潟市を中心としたイベントでステージを盛り上げていた「ニイガタ・パフォーマンス・スクール」「Angel Generation(エンジェル・ジェネレーション)」「サムライローズ」。それらのグループでパフォーマンス指導にあたっていたのが、今回紹介する斉木としやさんです。かつてはご自身も役者としてミュージカルなどの舞台で活躍し、現在は「東区市民劇団 座・未来(ひがしくしみんげきだん ざ・みらい)」の演出家を務めています。東区プラザのなかにある練習室へお邪魔して、楽しい雰囲気のなかでおこなわれているワークショップを見学させてもらいました。

 

 

東区市民劇団 座・未来

斉木 としや Toshiya Saiki

1964年小千谷市生まれ・長岡市~新潟市育ち。成田空港税関勤務中に役者を志し、日本テレビ音楽学院俳優コースで演技を学ぶ。その後は東京キッドブラザースをはじめとした劇団での活動を経て、フリーとなり舞台、ドラマで活躍。2002年よりSHOW!パフォーミングスクール(旧アップルリトルパフォーマ-ズ)主任講師を務め、2008年にニイガタ・パフォーマンス・スクールを立ち上げる。2009年からは東区市民劇団 座・未来の演出家を務めている。

演劇の道に進んだ意外な理由。

——お疲れさまでした。ワークショップを見学していて面白かったです。早速ですが、斉木さんが演劇の道に進んだいきさつをお聞きしたいと思います。

斉木さん:東京税関に勤務していたときの研修期間中、週末にディスコ通いをしていたんですよ。それまでダンスなんてやったこともなかったんだけど、褒められることが多くて、なかには「教えてくれ」なんて言ってくる人もいたんです。そのときに表現することで人を楽しませる快感を知って、演技を学ぶために「日本テレビ音楽学院」の俳優コースに入りました。

 

——あれっ? ダンスじゃなくて演技を学んだんですか?

斉木さん当時好きだった女優さんの主演映画で相手役を決めるオーデションを受けたんです。でも経験がなかったせいか書類選考で落ちてしまいました。それが悔しくて、きちんと演劇を学ぶことにしたんです。いつかご本人に会えるかもしれないというのも励みに役者を続けてましたね(笑)

 

 

——まさか、憧れの女優さんがきっかけだったとは(笑)。演劇を勉強してみて、いかがでした?

斉木さん:どんどん面白くなっていって、本格的に芝居をやってみたいと思うようになったので、成田空港勤務だった東京税関職員を辞めて、柴田恭兵さんや三浦浩一さんが在籍していた「東京キッドブラザーズ」に入りました。ところが主宰の演出家がワンマンな方で、詳しくは話せないけど、めちゃめちゃ厳しい劇団だったんですよ。

 

——そんなに厳しかったんですか?

斉木さん:同期の仲間達がどんどん辞めていきました。辞めていくときに「お前は頑張って残ってくれ」と望みを託されていたんですが、卒業公演まであと一週間というタイミングで自分も辞めてしまったんです。後になって演出家に試されていたという真意を知って後悔したんですけどね……。演劇をあきらめて、新潟でパスタ屋をやろうかとも思いましたが、ダンスの先生から誘っていただいて、それからは小さなミュージカル劇団に入りました。

 

役者として経験した様々な舞台。

——そのミュージカル劇団では、どのくらい活動していたんですか?

斉木さん:3年くらいかなぁ……。最終的には劇団を任せていただけることになったんですけど、もっといろいろな仕事をやってみたいという気持ちが強かったので退団してフリーになったんです。

 

——「いろいろな仕事」というと……どんな仕事を?

斉木さん:ミュージカルやドラマ、それから「紅白歌合戦」や「歌のトップテン」でバックダンサーをやったこともあります(笑)

 

——そのなかで、印象に残っている仕事はありますか?

斉木さん:『トムソーヤーの冒険』という舞台で、主演のおふたりの横で壁塗りをしているシーンがあったんですが、いきなり台本にはないアドリブをやっちゃったんです。おふたりにはウケたんですけど、芝居を止めてしまって関係者からは大目玉をくらいました。当たり前ですよね……若気の至りで申し訳なかったなぁと思っています(笑)

 

 

——すごい度胸ですね(笑)。他にはどんなお仕事を?

斉木さん:大林宣彦監督がはじめて演出した舞台に「補欠」として採用していただいたことがあります。稽古期間の前半には休みがちな男性キャストのセリフを覚えて代役を買って出たり、スタッフと一緒に裏方仕事をやったりして頑張っていたら、監督からの指名で役をいただけたんです。見ていてくださったことが嬉しかったですね。

 

——努力が報われたわけですね。

斉木さん:ジャニーズ(現 STARTO ENTERTAINMENT)のタレントとも共演させていただいたんですが、少年隊が主演の舞台では、演出で意図的に落とされたつくりものの照明機材に当たって吹っ飛ぶシーンを40回以上やりましたよ(笑)

 

——スタントマンじゃないですか(笑)。実に様々なお仕事を経験されたようですが、どういういきさつで新潟に戻ってきたんでしょうか?

斉木さん:祖母が十日町でひとり暮らししていたので、一緒に暮らすことにしたんです。東京で舞台があるときは、十日町から通えばいいと思いました。そのうち結婚して子供ができて、家庭の事情なんかもあったので役者人生にピリオドを打つことになったんです。

 

タレント育成や市民劇団の演出に携わる。

——新潟ではどんな仕事をはじめたんでしょう?

斉木さん:タレント養成スクールの講師として、子ども達にパフォーマンスの指導をはじめました。

 

——それまでご自身が役者として演じてきたのに、子ども達を教えることになって戸惑いはありませんでしたか?

斉木さん:最初は戸惑いましたけど、やっているうちに子どもの持つ可能性の素晴しさに気づいたんです。新潟の子ども達って純粋でキラキラしているんですよ。与えられた課題に真っ直ぐ向かってきてくれるので、こちらも真っ直ぐ返さなきゃと思うようになりました。

 

——やがて「ニイガタ・パフォーマンス・スクール」を立ち上げますよね。

斉木さん:自分の思うままに、演技やパフォーマンスを教えたかったんです。

 

 

——「思うように」とは?

斉木さん:新潟という地方都市でお金をかけずに、東京のステージに立てるだけのスキルを身につけてもらえる場所をつくろうと思いました。最初はミュージカル役者を育成するつもりだったんですけど、2〜3年経ったら路線が変わっちゃいましたね(笑)

 

——それはどうしてなんでしょう?(笑)

斉木さん:僕が前職で、今はメジャーになった某アイドルを教えていた経験があったので、アイドルに憧れる子達がたくさんスクールに入ってきたんです。スクールのPRも兼ねてイベントステージへの出演もしていたので、ますますアイドル育成スクールとしての面が強くなりました。

 

——なるほど。もうひとつ「東区市民劇団 座・未来」で、演出を担当することになったのはどうしてなんですか?

斉木さん石山公民館で演劇団体を立ち上げたいと集まった方々と沼垂の経験者グループが一緒になって「水と土の芸術祭」で公演をやったことがきっかけだったんです。その後は東区プラザのホールで毎年公演をさせていただけることになり、新潟市の文化活性化につながってくれたらと思いながら続けてきました。未経験者でも参加できる劇団なので、演劇への裾野も広がっているんじゃないでしょうか。

 

同じ目線で考え、一緒に創り上げる舞台。

——現在は「ニイガタ・パフォーマンス・スクール」を閉校して「東区市民劇団 座・未来」の演出をメインに活動されていますけど、演出する際に心掛けていることってあるんですか?

斉木さん:上から頭ごなしに押しつけるのではなく、相手の目線に立って一緒に考える姿勢を大切にしています。人間ってみんなそれぞれ違うじゃないですか。だから相手のいいところを見つけて引き上げることが、僕の仕事だと思っているんです。

 

 

——では演出するにあたって、難しいと感じていることはありますか?

斉木さん:ハラスメントやジェンダーなどのデリケートな問題については、僕だけではなくメンバー間でも起こらないように気をつけています。観客が「また舞台を見たい」と思ってくれるのと一緒で、出演者にも「また出演したい」と思ってもらえる環境をつくるよう心掛けているんです。

 

——人が集まるといろいろな問題も出てきそうですね。では最後に、演出をやっていて良かったと思うことはありますか?

斉木さん:プロの役者ではない一般の市民が、仲間と力を合わせて舞台を成功させる姿を見ることができたときですね。参加する人を大切にすることで作品のクオリティは上がりますし、出演者が楽しく演じることで観客も楽しめる舞台になると信じています。

 

 

 

東区市民劇団 座・未来

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