新潟市秋葉区の住宅街にある「お菓子工房ビッテ」。地元に限らず遠方からのお客さんも多い、たくさんの人に愛されているお菓子屋さんです。オープンしてから25年経つ今も、店長の八木さんがひとりでこだわりのケーキや焼き菓子を作り続けているんだとか。今回は八木さんがお菓子の道に入るまでの経緯や、ケーキのこだわりについていろいろとお話を聞いてきました。
お菓子工房ビッテ
八木 潤子 Junko Yagi
1970年長岡市生まれ。教員だった父の仕事で新潟県内を転々とし、小学1年生のとき旧小須戸町へ引っ越す。上越教育大学で教員免許を取得後、上京。老舗イタリアンレストランのベーカリー部門で働きながら1年間お菓子作りの基礎を学び、小金井にあるパティスリーに3年半勤務。1996年に自宅横で「お菓子工房ビッテ」をはじめる。2007年に現在の場所に移転。
――八木さんは教育大学を卒業されているんですよね。先生を目指していたんですか?
八木さん:父親が教師だったのでそれに影響されて、「先生になれたらいいな」ってぼんやりと思いながら育ってきました。だけど私の通っていた上越教育大学はものすごく実践的な大学で、1年生のうちから教育実習があったんですよ。そのときに「あ、私はこの仕事向いていないんだ」と思いました。
――教育大学って、やっぱり卒業したらほとんどの人は先生になるんですか?
八木さん:私たちの頃はほとんどが先生になる時代だったので、そこから菓子職人を目指したのは私ひとりくらいでしたよ(笑)。周りの友達は本当に楽しそうに実習をやっていたので、「好きなことじゃないと続かないんだな」っていうのをすごく感じました。「じゃあ自分がやりたいことってなんなんだろう」「どうやって生きていこう」っていうことを20歳ではじめて考えましたね。
――そこでお菓子職人の道に入ろうと思ったのはどうしてですか?
八木さん:小さい頃から月に1回、父親が給料を貰ってくると、好きな本を1冊とケーキをひとつ私に買ってくれて。ケーキを選ぶときに本当にわくわくしていたことを思い出して、そしたら「お菓子屋さんをやる」っていうことの優先順位が自分のなかでむくむくと上がってきたんです。
――「お菓子屋さんをやる」っていう新しい夢ができたんですね。
八木さん:はい。だけどなかなか踏み切れなくって……。そんなときに大学の友達が「日本人学校の先生になりたい」って言うのを聞いて、私も「外国で先生をやるんだったら楽しんでできるかな」と思ったんです。それで東京にある日本人学校の本部へ私も一緒についていきました。そのときはじめて東京に出たんですけど、「ここなら何でも挑戦できそうだ」と思って、東京から戻ってから友達に、「お菓子の職人になって、小さくてもいいから自分の世界を表現できるようなお店を開きたいんだ」って言いました。
――お友達はびっくりしませんでしたか?(笑)
八木さん:びっくりしていましたね(笑)。「なんでそうなるんだ」って。でもずっと保守的に生きてきた私の、自分の中にあるものがはじめて爆発したときでした。
――それからはどうしたんですか?
八木さん:まわりが採用試験の準備をしている時期に東京に行って、求人も出ていない何軒ものお店に飛び込みました。「職人になりたいので雇ってもらえませんか」って話をすると、みなさんすごく忙しいのに私の話を聞いてくれて、ご自分の経験も話してくださるんです。だけど最終的には、「職人の世界はそんなに甘くないから、教員試験を受けて安定した生活を送ったほうがいいよ」って、30軒まわったうちの29軒のお店で言われました。
――そんなにまわったんですね。29軒で断られたってことは、1軒のお店から良いお返事をもらえたんですね。
八木さん:有名な方がやっているお店でした。その方にもはじめは「絶対先生になったほうがいいから」って言われたんです。だけど「1か月後も自分の気持ちが変わらないのであればもう1回来て」って言われてもう一度行ったら、その方のつてで老舗のイタリアンレストランで働かせてもらえることになったんです。まかないは出るし寮も完備されていて、技術もないのにお金をもらえるっていうのは、本当にありがたいことでしたね。
――八木さんの熱意が伝わったんですね。そこでの仕事はどうでしたか?
八木さん:過酷ではあったんですけど、何も分からない私に対してもスタッフの方々は手取り足取り教えてくれました。期待に応えたくて、仕事が終わった後も勉強のためにいろいろなお店へ料理を食べにまわっていましたね。だけどそういう生活を1年ちょっと続けていたら、身体を壊してしまったんです。泣く泣く新潟に帰ってきて1カ月くらい休養を取っていたんですけど、やっぱり諦めきれなくて、また東京に出ることにしました。
――今度はどんなお店で修業を?
八木さん:小金井のパティスリーです。出しているケーキも「自分もこういうケーキを出したいな」って思うものでした。はじめは掃除のバイトとして働かせてもらっていたんですけど、半年後にスタッフに空きが出てフルタイムで入ることになりました。それから3年半くらい働いて新潟に戻ってきましたね。
――ついに自分のお店をはじめることにしたんですね。
八木さん:はい。自宅の庭に小さな建物を建てて、最初はそこではじめました。お菓子屋をはじめるにあたって、お菓子を作ることはもちろん、それ以外にもやらなきゃいけない仕事が山ほどあって。そこを母が補ってくれて、しかも接客までやってくれてようやく走りはじめることができました。その場所で11年やって、14年前にこっちへ移りました。去年の11月でお店をはじめてちょうど25年経ちましたね。
――お母さんは今も接客を手伝われているそうですね。
八木さん:そうなんです。正直ここまで一緒にやれると思っていなかったのですが、ずっと全力で店を支えてくれています。父親は昨年9月に亡くなったんですけど、店に直接関わることはなくても、精神的にすごく助けになっていました。この世界に入るときも一切反対されなかったし、「自分のやりたいことを見つけて、それに夢中になるのは素晴らしいことだから」って応援してくれていましたね。
――お客さんはどういう方が多いですか?
八木さん:お客様のご職業やご年齢など、実際にどういう方がいらっしゃっているのか知る機会はほとんどないのですが……。そんな中でも、開店時から長年ご注文いただいているお客様から「私が生きている間はずっとお誕生日ケーキをお願いしたい」「家族が人生の最期にこちらのシュークリームを美味しそうに食べて旅立ちました、今までありがとう」と言っていただけたことがあります。自分が思っている以上に気持ちを寄せてくださっていることに気づかされて、驚きとともに本当にありがたく感じます。
――すごく愛されているのが分かりますね。ケーキを作るときにこだわっていることはありますか?
八木さん:私、和菓子も大好きなんです。素材の味がシンプルに感じられて、しつこく甘さが残らずにすっと切れるようなバランスは、自分のお菓子作りに反映されていると思います。粉や果物は、ほとんど国産のものを使っています。土台に使っているものがどれだけシンプルで美味しいかっていうことに尽きるので、あとはそれを殺さないようにしながら、どの味を突出させるか考えながら作っています。どちらかというと味を重ねていくよりも、そぎ落としながら表現する作業が多いです。
――果物にもかなりこだわっているわけですね。
八木さん:全国から新鮮な果物を取り寄せているので、お客様へ生産者の方たちの気持ちも一緒に届けるのが使命だと思っています。自然のものをどう美味しくするかっていうのは自分の力量が出るところなので、緊張はするけど楽しみでもありますよ。
――話は変わりますが、以前はお菓子教室も開かれていたそうですね。
八木さん:コロナ禍になるまでは、忙しさが落ち着く夏場だけ教室をやっていました。他にスタッフもいないので、自分のレシピを公開しているのはそこだけなんですよ。いろんなケーキの作り方がある中で、私のやり方に興味ある人に直接教えられないかなと思ってはじめました。教えていると自分自身も新しい発見があるので、面白いですね。落ち着いたらまた再開したいと思っています。
――お店を続ける中で不安になることはなかったんですか?
八木さん:店を開くときはいつも「今日は来てくれるかな」って祈る気持ちでいますよ(笑)。そこは1年目も25年経った今も変わらないです。この先お客さんから「ビッテの味はもういい」って言われることがあったとしても、自分が美味しいと信じるものを出していてそうなるなら諦めがつくんですよ。自分の信念とは違うことをしてお客さんから見放されたとしたら自分の本望じゃない。自分で「やりたい」って店を開いたわけだから、腹をくくって前に進んでいこうと思います。
――八木さんのやりがいになっているのはどういう部分なんでしょうか。
八木さん:やっぱり「好きなことをしている」ってことなんでしょうね。自分が出したものに対してお客さんが喜んでくださって、ここまで足を運んでくださるっていう。自分がどんなに美味しいと思って出しても売れないと続けていけないし、美味しいものを出しているお店っていっぱいあるんだけど、それでもお客さんにこの店の何かが響いたから来てくれているんですよね。その「何か」が何なのかは分からないんだけど(笑)
お菓子工房ビッテ
新潟県新潟市秋葉区矢代田1678-6
0250-38-5604
営業時間:11:00-16:00
営業日:金~日