在りし日の光景を現在に。村上・藤基神社の「青銅大燈籠復元プロジェクト」

県内有数の風格も、本来あるはずのものが無い…復元にかける願い。

城下町村上に、藤基(ふじもと)神社という由緒ある名社があります。あの日光東照宮と同じ様式「権現造」で、地元の名工・有磯周齋による緻密な彫刻が施された社殿は、県内でも有数の荘厳な風格。木々や植物に囲まれ季節によって様々な表情を見せる境内などもあわせ、訪れる人たちを楽しませています。ただこの神社、パッと見はまったく気づかないものの、本来あるはずのものが現在は影も形もありません。それは社殿前に建っていた「青銅大燈籠」。現在は台座が残っているのみとなっています。神社では数年前、これを復元して神社本来の姿を取り戻そうとプロジェクトを立ち上げました。同社の次代・8代目にあたる禰宜の小島盛康さんに話を聞きました。

 

藤基神社

小島 盛康 Moriyasu Kojima

1988年、藤基神社の長男として生まれる。後継ぎとして國學院大學神道文化学部で神道・神職について学び、卒業後は行政職に従事しながら同社の禰宜を務め、宮司(父)の業務のサポートや神事の手伝い、広報業務などに忙しい毎日を送る。2児の父として子育てにも奮闘中。趣味のひとつとして数年前から雅楽団体に所属し篳篥(ひちりき)の演奏も。

 

藩祖の猛将を祀る由緒ある神社。家内安寧を願って創建。

――本日はよろしくお願いします。とても雰囲気のある落ち着いた神社ですね。

小島さん:ありがとうございます。武家屋敷のような神社だとよく言われます。おかげさまで、多くの方々から安産祈願や七五三、厄除けや神前結婚式など、お子さんや家庭円満に関する祈願などでご参拝いただいています。

 

――こちらはどんな神様をお祀りしているんですか?

小島さん:当社は、江戸時代の村上藩主・内藤家の開祖にあたる内藤信成侯の御霊をお祀りしています。信成侯は徳川家康侯の弟で、家康に仕えて数々の功績を挙げ、かの織田信長や豊臣秀吉からも賞賛された武将でした。当社はその信成のひ孫にあたる弌信(かずのぶ)が江戸の内藤家邸内に創建したのが始まりです。なんでも当時、本来家督を継ぐはずだった本家の嫡男が夭逝し、分家筋であった弌信が急きょ内藤家を継ぐこととなりました。弌信自身も子が5人も早世してしまったとのことで。次々襲う不幸を、家祖の曽祖父・信成の御霊を祀ることで払い除けようとして創建されたのが当社ということになりますね。そのため現在では、安産や子育て、厄除けの神社として信仰されています。

 

――では最初は江戸、東京にあったんですね。

小島さん:そうです。現在の千代田区・霞ヶ関にありました。創建は1717年です。それからすぐ、1720年に弌信が村上藩主となり内藤家が村上に来られて、以後1871年の廃藩置県まで約150年間、内藤家は村上を治めることになります。その間の1849年、江戸から分祀して現在のこの藤基神社が建立されました。

 

戦時中に供出。立藩300周年を記念しプロジェクトをスタート。

――いま復元プロジェクトを進めている燈籠もその時に建てられたのですか?

小島さん:はい。社殿の建立時に内藤家の家老衆から寄進されたものでした。この家老衆は、家祖の信成が初めて大名に取り立てられた際に兄の家康から賜った10人の家臣で、「内藤十騎」と云われ代々内藤家を支えた重臣の末えいにあたります。

 

――どんな燈籠だったのですか?

小島さん:約2.2m、今も残る台座を含めると3.3mもの高さがある、青銅製の大きな燈籠だったとのことです。石よりも貴重な青銅の燈籠は、当社が模したとされる東照宮と同様、御神体により近い拝殿のすぐ前に配されていました。

 

――それが、どうして失われたのでしょう?

小島さん:戦時中の1943年に、国の金属回収令で供出したんです。なので、もちろん実物は私も見たことがありません。子どもの頃、残された台座の上に乗って遊んだりしていたんですけどね。「タカオニ」とかで(笑)。そこにかつて立派な燈籠があったなんて思いもしませんでした。

 

 

――復元に向けた活動を始めたキッカケはあったのですか?

小島さん:1720年に弌信(かずのぶ)が藩主として村上に来られて、2020年の今年でちょうど300年になります。前々からその節目を記念するものとして、何かできないかと考えたのが最初ですね。具体的に活動を始めたのは2015年です。

 

――なるほど、ちなみにそれって…ズバリ、おいくら必要なのでしょう?

小島さん:制作費、設置工事費などを含めて総額で1,290万円です。

 

――けっこうしますね…。これまでにどれくらい集まったんですか?

小島さん:おかげさまで、昨年末時点で7割近い約880万円ものご寄付をお寄せいただいています。ありがたい限りです。今年は内藤家立藩300周年記念事業として、内藤家ゆかりの御神宝の公開など、いくつかの事業を計画していて、9月には臨時大祭を斎行し、復元した燈籠のお披露目をする計画です。

 

 

――寄付への返礼は、どういったものがあるのですか?

小島さん:額に応じて、様々ご用意させていただいてます。中でも目玉は、普段は入れない「石の間」での特別参拝です。

 

――「石の間」とは、どういった場所なのですか?

小島さん:社殿の中で、手前の拝殿と御神体を祀る本殿をつなぐ4間(約7m)の空間です。「石の間」がある神社建築様式を「権現造」といって、徳川家康を祀る日光東照宮と同じ様式なんですよ。本殿により近い神域の「石の間」はかつて、村上城主しか立ち入ることができませんでした。床には正方形の石畳が碁盤の目状に斜めに配されているのですが、中央の一箇所だけ本殿と正対する石が埋め込まれていて、参拝場所になっているんです。歴代城主はそこから本殿に向かって参拝しました。今回は特別に、それと同じ形で参拝していただくことができます。

(今回特別に、石の間の内部を撮影させてもらいました)

 

有名ロックバンドの聖地にも? 神社を村上が誇れる文化財に。

――ここで改めて、燈籠復元の意義を教えて下さい。

小島さん:復元によって当社が本来の姿を取り戻すことは、当社のみならず、地域にとっても意義のあることだと信じています。地元工匠の技を結集した意匠や彫刻が施された社殿と復元された美しい燈籠が一体となった光景は、きっと素晴らしいものになると思います。当社は境内地全域が国指定史跡に、社殿が地元村上市の指定有形文化財と歴史的風致形成建造物の指定を受けていますが、これを機に県文化財の指定を目指すことも視野に入れています。

 

――復元活動の手応えはいかがですか?

小島さん:活動を機に、というわけでもないのですが、当社のことをもっと知ってもらいたくてフェイスブックやツィッターも始めたのですが、ツィッターで不思議なご縁がありました。というのも、始めてみると、なぜか全国から多くの若い方にフォローしてもらうようになったんです。どうしてなのかと思ってフォロワーの方々を見てみると、BUMP OF CHICKENのファンの方々で。どうやら、ボーカルの藤原基央さんと当社の名前に共通点があることから、ゆかりを感じていただいてフォローしてくださったということで。中には実際に当社まで足を運んでくれた方もいたんです。「聖地巡礼」のようなものでしょうか。偶然とはいえ、とてもありがたいご縁をいただきました。

 

――へぇ! 神社とロックバンド、数奇なご縁ですね。そもそも「藤基」の名はどういう由来なのでしょう?

小島さん:当社でお祀りしている内藤家の家祖・信成のことを表しています。内「藤」家の「基(もとい)」となった方という意味ですね。

 

――なるほど。燈籠復元の暁には、信成さんも喜んでくれるんじゃないですか。

小島さん:きっと喜んでもらえると思います。村上が全国に向けて誇れる文化財となるよう、引き続き活動していきます!

 

――本日はありがとうございました。

 

復元活動特設サイト

 

 

 

藤基神社

〒958-0837 村上市三之町11-12

TEL  0254-52-4781


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