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店頭販売をスタートした、40年愛される新発田市の弁当専門店「北弁」。

パッと見た感じは「昔ながらの弁当のお店」といった佇まいの、新発田市の「北弁(ほくべん)」。でも店の前には「キンパ」と書かれたのぼりが立っているんです。「もしかして、意外とイマドキのメニューも置いているのかも?!」と気になって取材にお邪魔しました。今回は代表取締役の廣岡さんとお店を任されている廣岡さんの長女、佐藤さんにいろいろとお話を聞いてきました。

 

有限会社北弁

廣岡 信彦 Nobuhiko Hirooka

1953年新発田市生まれ。銀座の「三笠会館」や新潟市の日本料理店で経験を積んだ後、家業である新発田市の「割烹 北辰館」に入る。「北辰館」の弁当部門を設立し、1984年に独立。「有限会社北弁」を創業。趣味は鮎釣りと蕎麦を食べ歩くこと。

 

有限会社北弁

佐藤 みのり Minori Sato

1981年新発田市生まれ。新潟デザイン専門学校でCGを学び、卒業後はフリーでデザインやイラストを手掛けるなどして活動。10年ほど前に「有限会社北弁」で働きはじめる。

 

創業以来変わらず、ワンコインのお弁当。

——「北弁」さんは、40年続くお弁当屋さんだそうですね。

佐藤さん:父が「北辰館」の弁当部門を立ち上げて、その後独立してはじめたのが「北弁」です。創業当初は手書きのメニューで自ら営業していたそうです。当時から今まで、ずっとご注文をいただいているところもあるんですよ。

 

——廣岡さんは、どうしてお弁当事業をやりたいと思ったんですか?

廣岡さん:いや、やりたかったわけではないんですよ(笑)。ただ実家の「北辰館」で、本業とは別の業態を立ち上げたいと思いましてね。ちょうどお弁当の注文が増えていた頃だったから、「じゃ、弁当屋をやるわ」と向かいのガレージを改装して調理場を設けたんですよ。北辰館の弁当部としてスタートして3年後に「有限会社北弁」を創業しました。配達専門の弁当屋として独立するかたちで。

 

——その当時って、他にお弁当屋さんはあったんですか?

廣岡さん:珍しくはなかったですね。「たわら屋」さんもその頃、といっても少し前からだけどありましたし。

 

——それで近郊の会社さんだとかにお弁当を届けられたんですね。

廣岡さん:それが会社さんは、ほとんどないんですよ。官公庁が多いですね。

 

——あら、意外です。

廣岡さん:だってもっと安い弁当がたくさんあるじゃない。うちはワンコイン、500円なんですよ。創業以外ずっと500円。

 

 

——確かにもう少し安いお弁当の配達サービスがありますもんね。それでも今もワンコインだなんて、すごくリーズナブル。ちなみに何食くらい調理されるんですか?

廣岡さん:日替わりのお弁当だけで300食くらいですね。ピークのときで350食とか400食作ったこともありましたけど。でも「その他の注文」が大事なの。いつもの300食の他に150食くらいのフリーの弁当があるんですよ。

 

——フリーのお弁当?

廣岡さん:フリーっていうのは定期の注文とは別の「この日、これを作って」っていうオーダーですね。これは500円に限らずお受けするんですけど、そのフリーも合わせて多いときで500食くらい作ります。

 

——その食数を廣岡さんと従業員さんで、調理して、配達してってされるんですか?

廣岡さん:そうです。私の他に3、4人くらいで調理と配達をしてね。創業当時は、80食〜100食くらいの注文だったけど、「こんなに待たせてどうするつもりだ」とお叱りをいただいたこともあったし、まぁ悲惨でしたよ。

 

——忙しかったでしょうね。

廣岡さん:はい、忙しかったです。今も私、ほとんど休んでいません(笑)

 

若者に人気のキンパも登場。4年前にスタートした店頭販売。

——お弁当をワンコインで販売するには、いろいろ工夫があると思います。

廣岡さん:特に何もありませんよ。ただコストに見合った食材を選んで、できるだけ自分たちで調理しているだけです。そのやり方だと食数を伸ばすには限度があるんですよね。私たちの場合は、300食までは手作り弁当でやっていけると思っています。

 

——食材選びのポイントはありますか?

廣岡さん:地場産を中心に、リーズナブルな時期ものの食材を仕入れます。そうでないとやっていけません。「北弁」のポリシーは「料理屋さんのようなご馳走をいかに安く提供するか」。使うものは料理屋さんとは違うかもしれないけど、それと同じレベルのお弁当にしようって、ずっとやってきました。

 

——しばらく配達専門だったそうですが、4年前から店頭販売をはじめられたんですよね。

廣岡さん:昔から店頭販売をしたいと思っていたんですよ。事務所の造りもそれを想定していたんですけど、忙しくてなかなか実現できませんでした。でもコロナ禍だとか「さくたろう」という独立した息子の店のローストビーフ弁当を販売することになったりして、売り場を設けることになったんです。

 

 

——店舗があると、これまでとはまた違うんじゃないですか。

佐藤さん:お客さまから「昨日のお弁当、美味しかった」とか、直接感想を聞けるから楽しいですよね。今まではお電話で注文を受けて、お顔がわからない方に配達していたのが、店頭販売をしてからお弁当を取りに来てくれるお客さまが増えました。お客さまの層も変わったんですよ。「『北弁』を初めて知った」って方も多いです。

 

——へぇ〜、客層も変わったんですね。

佐藤さん:土曜日は私が考えたお弁当を販売しているので、その成果もあるのかな。父のお弁当を買いに来る方はご年配の常連さんが多くて。でも今の時代はSNSがあるし、若い方にももっとお店に来て欲しい、「北弁」を知って欲しいと思ったんです。それでキンパとか若者ウケしそうなメニューを加えたらけっこう評判で。

 

——私もキンパののぼりが気になって、取材したいと思ったんです。

佐藤さん:ありがとうございます(笑)。私が用意するお弁当は40食くらい。考えたメニューを父と料理長にお願いすると、理想通りに作ってくれるんです。できあがったお弁当をかわいく盛り付けて、私がデザインしたシールを貼ると、いつもの「北弁」弁当とはちょっと違うお弁当ができあがります。お陰さまで土曜日は、めっちゃ混みます(笑)

 

採算度外視?! 40年愛され続けた理由とは。

——配達分と店頭販売のお弁当は同じですか?

廣岡さん:私が朝から、勝手に作るの(笑)。コロナ禍で注文数が減って、300食のつもりでいるのにオーダーは250食ということもあってね。頭の中はいつも「300食」になっているから、お惣菜だとかが余剰になっちゃう。その分を店頭販売に回すんです。

 

佐藤さん:お弁当のメニューがあらかじめ決まっていないから、お客さまは楽しいみたいですね。「『北弁』さんは、何があるかわからないからいいよね」って来てくださいます。

 

廣岡さん:店頭販売をはじめたお陰で、やっと経営が安定してきました。そうでなければ、コロナ禍でうちの会社はなくなっていたかもしれない。もっと早くはじめておけばよかったくらいですよ。

 

 

——最後にお聞きしたいことがあります。創業から40年、これまで続いてきた理由はどんなところにあると思いますか?

廣岡さん:お客さまに喜んでもらうことしか考えてこなかったからじゃないかな。儲けって確かに大事だけど、いろいろなお客さまがいるでしょう。若い人だったり年寄りだったり。そのリクエストに応えようとずっと作ってきたの。だから決まったメニューがない。高校生が食べる弁当の注文だったら「このメニューにしよう」って感じでね。適当なのよ。

 

——注文によって作るお弁当を変えてきたんですか? それは大変だ。

廣岡さん:今は「もうやめようね」ってことにしたんだけど、以前は電話で注文を受けたら「必ず年齢を聞きなさい」ってルールにしていました。それが長続きした理由なんでしょうね。それだから会社の採算がこうなったんだと思いますよ。でも高級な自動車に乗っているか、軽自動車に乗っているかの違いでしかないんじゃないの。私はね、新車に乗ったことないです(笑)

 

 

 

北弁

新発田市新栄町1-4-6

tel/0254-26-5840

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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