東中通と営所通の交差点、新潟縣護国神社の参道入口にあたる角にある「百花園(ひゃっかえん)」は、新潟で有名な老舗の和菓子店です。和菓子だけの店かと思っている人もいると思いますが、店内には洋菓子もたくさん並べられています。とはいえ、そこは和菓子屋さんの洋菓子。他のお店とはちょっと違うみたいなんです。今回は5代目の太田さんにお菓子作りについてのいろいろなお話を聞いてきました。
百花園
太田 新太郎 Shintaro Ota
1982年新潟市中央区生まれ。東京の大学を卒業後、神奈川の洋菓子店や東京の和菓子店で修行を重ねる。その後、フランスに渡り洋菓子店で働く。帰国後は家業の「百花園」でお菓子作りに励み、現在は専務として店を切り盛りしている。趣味は漫画を読むことで「アフロ田中」のシリーズがお気に入り。
——「百花園」はどれくらいの歴史があるお菓子屋さんなんですか?
太田さん: 明治15年に今の場所で創業しました。初代は東京で腕をふるっていた菓子職人で、その腕を見込まれて新潟に来て、関東風お菓子作りの技術を広めたそうです。明治天皇に献上する和菓子を作ったりして評判になって、お店は繁盛したと聞いています。
——140年近く前から続いてきたんですね。
太田さん: ただ三代目の祖父のときには太平洋戦争が始まって、結婚したばかりだった祖父も徴兵されて戦場に行ったんです。その間はもちろん店なんてできないですから、閉めることになって生活も大変だったようです。戦後も祖父はシベリアに拘束されていて、帰国したのは29歳のときだったそうです。
——それでもちゃんと再開できたんですね。
太田さん: でもお菓子作りに使う道具はすべて国に提供した後だったから、何にもない状態からの再開だったようです。近所の人からは「お菓子屋をやめて自分のところで働かないか」と誘われたそうですけど、それを断って「百花園」を続けたそうです。長い歴史を自分で終わらせるわけにはいかないという使命感と、お菓子作りに対しての高い志を持っていたんでしょうね。
——でも、また一からのスタートになってしまったと……。
太田さん: そうみたいですね。最初は飴の卸売りをしながら、近所の人から借りた鍋であんこ作りをしていたそうです。お菓子作りの経験もまだ足りなかったので、知り合いのお菓子職人に来てもらっていたんですが、その人の手の動きを見ながら技術を覚えたそうです。その他にもたくさん本を読んで勉強して、お菓子に対しての知識を深めたようですね。
——やっぱり苦労されたんですねぇ。
太田さん: でも、その甲斐あってお菓子作りの技術が向上して、品評会でたくさんの賞をいただくようになっていったんです。あまりに賞をいただくので、出品者じゃなく審査員になるようにと言われたほどだったとかで(笑)。その評判を聞いて修行をしたいという人たちが集まって、ヒット商品も生まれてお店の営業も軌道に乗っていったんです。四代目の父も私も、祖父の志を受け継いでお菓子作りをしています。
——太田さんは「百花園」の五代目にあたるんですよね。最初からお店で働いていたんですか?
太田さん:いえ、東京の大学で政治経済の勉強をした後、神奈川の洋菓子店で2年半ほど修行しました。労働時間が長い上に教え方もけっこうハードで厳しかったですね。でも、そのとき覚えた知識や技術は今の商品作りに生かされています。
——和菓子屋さんなのに洋菓子の修行をしたんですね。
太田さん: 四代目の父の代から、和菓子だけではなく洋菓子の知識や技術を取り入れ始めて、「越しに舞う」というサブレや「すかし梅」というゼリーが生まれたんです。私もまずは洋菓子を学んでから和菓子店で修行をしました。その和菓子店の修行で、今やっている仕事の知識や技術がほとんど身につきましたね。
——なるほど。和菓子と洋菓子の両方いけるようになってから「百花園」に入ったんですね。
太田さん: その前にフランスの洋菓子店で10ヶ月くらい働いてきたんです。言葉がわからないのでコミュニケーションも取れないし、日本に比べるといろいろ不便だったので、日常生活が大変でした。一番大変だったのはインターネットの開設とか銀行口座の開設とかの手続きでしたね。日本に帰ってきて、日本の暮らしやすさを実感しました。
——フランスに行ったのは、やはり本場で洋菓子の知識を深めようという思いがあったんですか?
太田さん: いいえ、フランスで働いたことで少し箔がつくんじゃないかと思って……(笑)
——(笑)
——太田さんはどんなことにこだわってお菓子作りをしていますか?
太田さん: できるだけ新潟県産の食材を使うということですね。それから和菓子の中にも洋菓子の要素を取り入れるようにしています。
——例えばどんなお菓子ですか?
太田さん: 少し前に「TVチャンピオン」っていうバラエティー番組で紹介された「生キャラメルの羊羹」があります。品名の通り生キャラメルで作った羊羹です。私が和菓子店で修行しているとき、コンテストに出品したお菓子なんですよ。それに改良を重ねて商品化したものなんです。
——お店の中を見ると、和菓子だけじゃなくて洋菓子もたくさんあるんですね。
太田さん: ただの洋菓子じゃなくて、和菓子の材料を使っているものが多いんです。ショートケーキのスポンジに白餡を使って、しっとりした食感にした「和ショート」とか、和三盆を使って作ったプリンに黒蜜をかけて召し上がっていただく「和ぷりん」とか。他にもモンブランにほうじ茶を使ったり、レアチーズケーキにゆずを使ったりしています。いずれはすべての洋菓子に和菓子のテイストを加えていこうと考えています。
——どうしてわざわざ洋菓子に和菓子のテイストを?
太田さん: 和菓子店で洋菓子を売ったところで、洋菓子店にはかなわないんですよね。だったら、和菓子店でしか作れないような洋菓子を作ろうということで、和菓子の材料やエッセンスを取り入れた洋菓子を作るようになったんです。
——お客さんの反応はどうでしたか?
太田さん: 私が入店した頃は、和菓子店ということで年配のお客様が多かったんですが、今は若いお客様が増えましたね。それから、カフェや酒蔵から和菓子製作のコラボのお誘いが増えてきました。
——「百花園」は洋菓子と和菓子のどちらに力を入れているんですか?
太田さん: もちろん和菓子です。明治から続いてきた歴史もありますからね。
——特におすすめのお菓子があったら教えてください。
太田さん: 三代目が考案した「月志露(つきしろ)」です。大きな栗が丸ごとひとつ入った和菓子で、発売当時は業界にも衝撃が走って大評判になったそうです。それから40年、今も多くのお客様から愛され続けているお菓子なんですよ。人気のピーク時には1日に8千個も作っていたそうです。
——1日に8千個ってすごいですね! ところで太田さんは和菓子の魅力ってどんなところだと思いますか?
太田さん: 見た目や品名に、日本ならではの季節感が感じられて美しいことですね。それから食事とは違って、生きていく上で絶対に必要なものではないんですが、心が和む時間を提供してくれるものなんですよね。そういった意味では食事と同じくらい大切なものなんじゃないかと思っています。
——今後やってみたいことってありますか?
太田さん: 「HIYORIKA(日和菓)」っていう新しいブランドを立ち上げたんですよ。もともとお菓子のケータリングから始まったものなんですけど、いろいろな種類のお菓子をたくさん食べられるようにひとつのサイズを小さくしたら、お客様から「ちょうどいいサイズだ」と言っていただけたので、お店でも販売を始めたんです。ゆくゆくは「HIYORIKA」の店舗展開も考えています。これからもお客様に喜んでいただけるようなお菓子を作っていきたいですね。
コンビニやスーパー、洋菓子店で売られているお菓子に負けないよう、伝統を守りつつも、和菓子と洋菓子を融合させた新しいお菓子作りに挑戦している「百花園」。この先いったいどんなお菓子が生まれるのか。これからも楽しみにしたいですね。
百花園
〒951-8114 新潟県新潟市中央区営所通1-321
025-222-4055
9:00-19:00