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「白玉の湯 華鳳」女将さんに聞く、ホテルと月岡温泉の歴史と魅力。

日頃の疲れを癒す贅沢な非日常空間、「白玉の湯 華鳳」。

数えあげたらきりがないほどたくさんある新潟県内の温泉の中、新潟市民にとって馴染み深い温泉のひとつに月岡温泉があります。家族旅行や慰安旅行などで訪れて日頃の疲れを癒した人も多いのではないでしょうか。今回は月岡温泉の中でも人気のある「白玉の湯 華鳳(かほう)」と「別邸 越の里(こしのさと)」の女将を兼任する飯田美紀子さんに、ホテルや月岡温泉の魅力について聞いてきました。

 

 

白玉の湯 華鳳

飯田 美紀子 Mikiko Iida

新発田市(旧豊浦町)生まれ。東京の大学を卒業後、新発田市に戻り1972年にホテル泉慶に入社。2007年取締役副社長並びに白玉の湯華鳳、別邸越の里の女将に就任する。2011年に社団法人国際観光旅館連盟会長賞を受賞する他、新潟県女将会などの会長を務めてきた。現在は法人会女性部会長。先日初めて普通自動車運転免許証を取得した。

 

教師だった母親がホテル泉慶を開業する。

——今日はお忙しいところありがとうございます。よろしくお願いします。

飯田さん:まあまあ暑い中、遠い所までありがとうございました。どうぞ、お茶でも飲みながらやりましょうよ。

 

——あ、どうもすみません、いただきます。それにしても大きなホテルですね。開業したのはいつ頃なんでしょうか?

飯田さん:私の母が昭和42年に「泉慶」を開業したんです。当時は木造2階建てで客室8室、中広間1室の旅館でした。母は若い頃教師をやっていたんですが、地主の家に嫁入りしたんです。ところが農地改革があって農業以外の道を考えることになったんですね。やがて福祉の時代が来ると読んだ母は、当初福祉関係の病院を始めようと考えたようですが、病院を建てる前にお医者さんにならなければならないので諦め、それで旅館を始めることにしたんです。

 

——へ〜、最初は小さな旅館だったんですね。今では比べ物にならない規模の大きなホテルですよね。

飯田さん:お客さんの要望に応えていくうちに大きくなっていったんです。旅館業を始めた頃の母は全くの素人だったので、お客様の意見に対して、素直に耳を傾けてきたのが良かったんじゃないでしょうか。始めたばかりの頃はお客様が全然来なかったんですよ。

 

——どうしてお客さんが来るようになったんですか?

飯田さん:例えば、当時の旅館って、夜遅くに宿を探してもなかなか見つからなかったんですよ。でもうちは深夜のお客様もお引き受けするということをタクシー会社にお伝えして、お客様を連れて来ていただいたんです。そうしたことの積み重ねでお客様が増えていったんじゃないでしょうか。

 

お客様のスタイルやニーズにどれだけホテルを合わせていけるか。

——女将さんはどのタイミングで「泉慶」で働き始めたんですか?

飯田さん:私は東京の大学で学んでいたんです。ところが「泉慶」を手伝っていた姉がよそに嫁いで、人手不足に難儀している母を見かねて、開業2年目に戻ってきて手伝うようになったんです。

 

——旅館の仕事って最初は大変だったんじゃないですか?

飯田さん:最初は電話での予約受付や会計とかの事務仕事から始めたんです。その後、人手が足りない時には給仕や布団の上げ下ろしも手伝うようになりました。大変と思うことはありませんでしたけど、まだ若かったこともあって、最初の頃はお酒に酔ったお客様が苦手だったんですよ(笑)。でも、そのうち、そういうお客様に支えられていることに気づいて、ありがたく思うようになりました。

 

——「華鳳」ができてから女将さんになったんでしょうか?

飯田さん:「泉慶」にいた頃は若女将でした。平成9年に「華鳳」が開業してからは女将をやらせていただいてます。現在は「別邸 越の里」の女将も兼任してます。

 

——こんな大きなホテルの女将さんって大変そうですよね? 健康管理もしっかりされてるんでしょうか。

飯田さん:体調に関しては、お客様が少ないと休めて体の調子がいいかっていうとそうでもなくて、客室が満室になっていて従業員が回っている忙しいときの方が調子いいんですよね。不思議なものでね。

 

——女将さんとして気をつけていることはありますか?

飯田さん:お客様のスタイルやニーズは時代と共に変わっていくんです。そんな変化をいち早くキャッチして、そのニーズにホテルをどれだけ合わせていけるかが課題だと思っています。

 

ホテルの自慢は、パノラマが広がる絶景の庭、自家採掘の「白玉の湯」、そして…。

——「華鳳」の自慢をいくつか教えてもらえますか?

飯田さん:まず、小高い丘の上に建ってますのでホテルからの眺めが自慢ですね。大きな窓の並んだロビーから庭を見れば、遠くに見える越後連峰も一緒にパノラマを楽しむことができます。これは眺めを計算して作られているんですよ。山の上にのぼる大きな月も風情があるし、日本海側を眺めれば海に沈む夕日を見ることもできます。月、太陽、風、音といった自然を楽しんでもらえる空間になっています。

 

 

——たしかにロビーからも眺めが素晴らしいですね。他にはどんな自慢がありますか?

飯田さん:湯量の多い温泉も自慢でしょうかね。「白玉の湯」っていうのは当館が独自に掘った源泉なんです。国内ではトップクラスの硫黄成分含有量を誇っていて、美肌効果にも期待できる温泉になってます。広い露天風呂や、部屋ごと貸切できる露天風呂もあるので、ゆったり満喫していただけます。

 

 

——贅沢なお風呂がたくさんありますね。お料理も自慢でしょうか?

飯田さん:はい。板場と毎日打ち合わせしている献立は、できるだけ地産地消の新鮮な食材を使って作られています。同じ食材を使っていても切り方が変わるだけで味も全く変わってくるんです。当館でお出ししている料理は「これでいい」という料理ではなくて「これがいい」料理なんです。「で」と「が」で一文字違うだけで意味は大きく変わってくるんですよね。

 

——なるほど。徹底したこだわりを感じますね。

飯田さん:でも、色々ご紹介しましたけど、一番の自慢は、常に笑顔でお客様に寄り添うことができる従業員ですね。

 

月岡温泉街のむかしといま。

——ところで月岡温泉っていつ頃から続いているんでしょうか?

飯田さん:石油開発の際に湧き出た温泉が月岡温泉の始まりとされています。大正4年に共同浴場ができて、「青木屋」という旅館が開館したのが始まりだそうです。当初は地元の人たちの湯治場にすぎませんでしたけど、昭和30年代に始まった高度成長や上越新幹線の乗り入れ、関越自動車道の開業といったインフラ整備の恩恵も大きかったのはないでしょうか。全盛期には観光バスが毎日15〜20台やってきてました。

 

——バブル景気の頃はすごかったんじゃないですか?

飯田さん:そうですねぇ。でもバブルが弾けた後、リーマンショックやら郵便局の民営化やら市町村合併の影響なんかで月岡温泉に来るお客様も減ってしまって、バブル景気の頃には28軒あった旅館も今では10数軒に減ってしまいました。月岡芸者も280人いたんですけど、今では23人しか残っていないんです。

 

——市町村合併は温泉客に影響してるんですか?

飯田さん:合併前は各市町村の役場や消防団が慰安旅行で月岡温泉を利用してくれていたんです。ところが合併によってその数が少なくなっちゃったんですね。以前は夜の歓楽街だった月岡温泉ですが、現在は若い人たちが中心になって昼の温泉街として町おこしや環境美化などイメージチェンジを図ってます。

 

お客様の「また来るよ」は、魔法の言葉。

——女将さんとしてやりがいを感じるのはどんな時でしょうか?

飯田さん:やっぱりお客様が喜んでくださって「良かったよ」「ありがとう」っていう言葉をかけていただいたときですね。特に「また来るよ」っていう言葉は私たちにとっては、これからもがんばろうって思える魔法の言葉だと思います。これはスタッフ全員共通した思いだと思いますね。ごくまれにクレームをいただくこともありますけど、クレームをいただけたことは宝だと思って、きちんと向き合って今後に生かしていきたいと思っています。

 

——今後はどのように営業していきたいですか?

飯田さん:新型ウィルス感染症対策の営業自粛で休業していて、先月の29日に再オープンしたばかりなんです。45日間も休業したのは初めてでしたよ。今後はどうしたらお客様に安心安全に過ごしていただけるか考えながら営業していきたいです。私ももう10年がんばって、月岡観光を盛り上げていけたらいいなと思ってます。笑顔で頑張ってれば、自然と結果がついてくるもんです。

 

 

最初は客室数8室の旅館が、今では客室数155室の「白玉の湯 泉慶」となり、客室数111室の「白玉の湯 華鳳」やその別邸「越の里」ができ、月岡温泉に多くの宿泊客を呼びこんでいます。その人気の秘訣は、「笑顔で頑張っていれば自然と結果がついてくる」という女将さんの言葉にあるような気がしました。新型ウィルス感染症の影響で苦戦する宿泊業界ですが、ぜひこれからも月岡温泉を盛り上げていってほしいです。

 

 

白玉の湯 華鳳

〒959-2395 新潟県新発田市月岡温泉134番地

02504-32-1515

 

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