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江戸末期から続く美しい庭園の宿、村杉温泉「環翠楼」を支える若女将。

阿賀野市にある「村杉温泉 環翠楼(かんすいろう)」は、国指定登録有形文化財になっている建物と美しい庭園が魅力の旅館です。江戸末期からの長い歴史があり、大正時代に歌人の千葉胤明(ちば たねあき)が、緑に囲まれた素晴らしい庭にちなんで「環翠楼」と名付けたのだとか。今回は、そんな「環翠楼」を愛情深く支える、若女将の荒木さんにお話をうかがってきました。

 

村杉温泉 環翠楼

荒木 弥栄子 Yaeko Araki

1978年旧笹神村生まれ。「環翠楼」7代目若女将。東京の大学を卒業後、建設省(現国土交通省)の非常勤職員を経て、箱根の有名旅館にて修行。25歳で新潟に戻り、家業である「環翠楼」を若女将として大切に守っている。

 

出会いに恵まれ、支えられたことへの感謝。

——それにしても見事な新緑ですね。この時期に取材をさせていただいて、とても嬉しいです。まずは、「環翠楼」について教えてください。

荒木さん:木々に囲まれたお庭と歴史のある建物が自慢の旅館です。全室離れなのでコロナ禍でも安心してもらえるようで、ご予約を頂戴しているんです。1日9組までご利用いただけますが、1日1組のウェディングプランもご用意しています。結婚式の後にお食事を楽しんでから、ゆっくりお泊りできるので、こちらも喜んでいただいていますね。

 

——荒木さんは小さい頃から女将さんになろうと思っていたんですか?

荒木さん:いえいえ、全然(笑)。大学を卒業してからは、当時の建設省で契約社員として働いていました。ちょうど国土交通省として生まれ変わる頃で、いろいろなところからの出向者もいて、たくさんの出会いに恵まれまして。今でもお手紙でやり取りをしている方もいますしね。

 

——じゃあ今とはまったく違う仕事をされていたんですね。なぜ「環翠楼」を継ごうと思ったんですか?

荒木さん:お客様から直接「ありがとう」と言ってもらえることが、旅館の醍醐味だと思ったことと、「環翠楼」をずっと残していきたいという気持ちもあったかな。それで、建設省での仕事の契約期間を終えてからは、箱根の温泉旅館に勤めました。そこは「一度は泊まってみたい」と前々から思っていたものの、自分で宿泊するにはとても手が届かないような高級旅館で、求人は出ていなかったんですけど、直接連絡したら雇ってもらえました。

 

 

——歴代の女将さんが代々修行するような旅館があるのかと思いましたが、ご自分で探されたんですね。その箱根の旅館では、どんなことを経験されたのでしょうか。

荒木さん:最初は、旅館のあり方を学んで「環翠楼」に生かせればと思っていましたが、働くうちに「お客様を知ること」に力を入れるようになりました。会員制の旅館で常連さんが多かったこともあって、会話の内容や食事の好みなどを覚えたりして、目の前のお客様に喜んでもらうように努力していましたね。働いていたのは1年間でしたけれど、今でも同僚だった仲居さんと地元の名産品を送り合っているほどです。別れが辛くて、泣きながら新幹線で新潟に帰って来たことを、今でも覚えてます(笑)

 

——荒木さんの人柄がうかがえますね。「環翠楼」の若女将としてデビューしたのはいくつときですか?

荒木さん:25歳のときですね。家業以外で経験を積むのは、その年齢までと決めていたので。30歳までには自分が思い描くような旅館を作りたかったし、失敗して人に聞けるのは20代まで、と思っていたんです。実際は、今でも分からないことだらけですけどね(笑)

 

——歴史のある「環翠楼」を継ぐことに、プレッシャーはありませんでしたか?

荒木さん:プレッシャーはなかったけれど、悩んではいたかな……。霞が関や箱根の人気旅館とは違うから、田舎でくすぶっているように思えて、気持ちが落ちていた時期はありました。そんな時、事務のおばさんから「弥栄子さん、下を向いてたって良いのよ。庭の奥に雪割草がきれいに咲いているわ」と声を掛けられたんです。「雪割草が咲き終わったら、今度は木々の新芽が出てくるから。必ず自然と上を向くようになるから、大丈夫」って。その言葉に本当に助けられましたね。落ち込んでいても時間は止まっていないし、そんな時でも何かに気が付くこともあるんだって力が湧きました。

 

歴史を受け継ぎながら、大切な「環翠楼」を守るための変革。

——「環翠楼」は、明治時代からの建物もあれば、令和にリニューアルした新しい建物もありますよね。

荒木さん: 明治、大正、昭和、平成、令和と、それぞれの時代の建築物があることも当館の誇りですね。

 

——荒木さんが働き始めた頃は、どんな旅館だったんですか?

荒木さん:20年ほど前は、旅館というより民宿に近い感じだったんですよ。古い建物があるだけで、どこか時代に取り残されているような……。広告を載せてみたくて業者さんに相談したら「庭と古い建物が売りの旅館は、どこにでもある」と言われたこともありました。その言葉がたまらなく悔しくて、どうしたらこの旅館を知ってもらえるかと必死で考えるパワーになったんです。

 

——なんだか、今の「環翠楼」とは違う感じがしますね。荒木さんがいろいろと改革したんですか?

荒木さん:他の旅館では当たり前のことをやっていなかったから、いろいろと変えましたよ。お部屋ごとに担当する仲居さんを決めたり、ポロシャツにエプロンだった制服を着物に変えたり、お部屋とお料理にグレードを設定して、プランを選べるようにしたり。もう私、口うるさくて小姑みたいだったと思います(笑)。従業員さんは大変だったと思いますけど、私と同じようにこの宿に愛着を持ってもらいたかったし、お客様や人との繋がりが素晴らしいことだって気が付いて欲しかったんです。ここで働いているから良いことがあるって感じてもらいたかったんですよね。

 

 

——昔からの常連さんもいらっしゃいますよね。変化に驚いたのでは?

荒木さん:素泊まり5,000円のプランがあった時代から来てくださっているお客様もいます。今でも定期的にご利用いただいているということは……、喜んでもらえているのかな。

 

——きっとそうですよ。ちなみに、旅館の豪勢な食事って、どこも似たよう感じてしまいますが、「環翠楼」の食事はとても好評だと聞いています。

荒木さん:常連さんが多いこともあって、お料理は毎月変えています。それに、もしも月をまたがずに再訪される場合は、一度召し上がったお料理は提供しません。器もすべて変えているんですよ。こうしたことに大ベテランの板前さんが協力してくれているからこそ、ご好評いただけているんだと思います。

 

いにしえの文化に価値をつけ、これからも残し続けるために。

——そういえば、一部の建物は国指定登録有形文化財になっていますよね。

荒木さん:はい。「大正の間」は、既に文化財登録を受けていて、「安らぎの明治の間」と「中広間」が登録に向けて答申されているところです。新しい物はお金をかければいくらでも作れるけど、古い物はそうはいきません。なので、これまで頑張ってくれた古い建物にも価値をつけたくて、文化財の登録に向けて動き出すことにしたんです。

 

 

——「環翠楼」の歴史と共に歩んできた建物ですもんね。そう考えると、お庭の木々も相当な年月なのでは?

荒木さん:杉の木なんかは、100年以上前からあるかもしれませんね。年月って、何にも変えられない財産なんですよね。

 

——それでは最後に、これから「環翠楼」どんなお宿にしたいと考えているか教えてください。

荒木さん:私にとって「環翠楼」は、先代からの大切な預かりものです。ずっと守ってきたものを後世につなぐ役割があると思っていて、そのためにも多くのお客様にお越しいただける宿にしなければならないとも思っています。大切な人と特別な時間を過ごす際に「じゃぁ、環翠楼へ行こうか」と選んでいただける宿でありたいし、私が家族や従業員さんを信頼している気持ちと同じくらい、お客様からも信頼していただける宿を目指していきます。

 

 

 

環翠楼

新潟県阿賀野市村杉温泉4527

0250-66-2131

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